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今昔物語集 西の市の藏に入りし盗人の語

現代語訳

 今となっては昔のことだが、□□天皇の御代みよに西ノ京の市場にある蔵に盗人ぬすっとが入ったのだそうだ。

 盗人が蔵の中にこもったということを聞いて、検非違使たちがみんなで取り囲んで捕まえようとしている。その中に、冠をかぶって青色の上着を着て、弓矢を背負った上官の□□の□□という人がいた。

 蔵の戸のかたわらに近づいて立っている鉾を持った下役の者がいて、蔵の戸の隙間から盗人がこの下役を招き寄せる。下役がそばに寄って話を聞くと、盗人が言う。「上官に言ってください。お馬から降りて、この戸のかたわらに立ち寄ってくださいませ。お耳のそばで内緒で申し上げたいことがございます」と。

 下役は、上官のもとに近づいて、「盗人がこのように申しております」と告げたところ、上官はこれを聞いて、戸のかたわらに寄ろうとする。それを別の検非違使たちは「これはまったくけしからんことです」と言って、やめさせようとする。

 しかし上官は、「これは事情のあることであろう」と思って、馬から降りて蔵のかたわらに寄った。そのときに盗人は蔵の戸を開けて、上官に「こちらにお入りください」と言うと、上官は戸の中に入ってしまった。盗人は戸を内側から閉めて中に閉じ込もった。

 検非違使たちはこれを見て、「これは驚いた。蔵の中に盗人を閉じ込めて、周りを囲んで捕らえようとしていたら、上官が盗人に呼ばれて蔵の中に入って、中から戸を閉めて閉じこもって盗人と話をされている。これは前例のないことだ」と大騒ぎして、腹を立て合っていることこの上ない。

 そうしている間に、しばらく経ってから、蔵の戸が開いた。上官が蔵から出てきて馬に乗って、検非違使たちのいるところに勢いよく寄ってきて、「これは事情のあることだった。しばらくこの逮捕は行ってはいけない。みかどに申し上げないといけないことがある」と言って、内裏に参上しに行った。

 しばらく経ってから、上官が戻ってきて、「この逮捕は行ってはいけない。速やかに解散して帰れとの帝のお言葉があった」と行ったので、検非違使たちは引いて去って行った。

 上官は一人留まって、日が暮れるまで待ってから蔵の戸のかたわらに寄って、天皇の仰せあそばしたことを盗人に語った。そのときに盗人が声を出して泣くこと、とどまりなかった。その後、上官は内裏に帰った。盗人は蔵から出て、どこへ行ったかわからない。

 この盗人が誰か知られることはない。またついに放免された理由も人に知られることはなかったよと語り伝えられたということだ。

※□は欠字(伝わっていない文字)です。

付記

 今昔物語集は、大きく天竺・震旦(インド・中国)の部と本朝(日本)の部にわかれています。また本朝の部は、仏法部と世俗部の2つにわかれています。

 天竺・震旦部にもおもしろいお話はたくさんありますが、もっともおもしろいのは本朝世俗部で、その中でも巻二十九は、芥川龍之介の『羅生門』のもとになったお話などが載っている、特におもしろい巻と言われています。まずはその巻二十九を順に訳していくことにしました。

 古文教育は必要かという議論がありますが、わたしはせっかく固有の古い文化が残っているのに、それを学ばないのはもったいないと思います。勉強したくても古文などないアメリカ(まあイギリスの古典文学はありますが)に比べたらどれだけ恵まれているか。

 ですので、一人でも多くの人に古文に親しんでほしいなという思いが昔からあり、本当にささやかな実践ですが、拙い訳を不定期で発表することにしたのです。

 日本の古文教育には問題があると昔から思っていまして、それは最初に『枕草子』とか『徒然草』など、訳出が難しいテキストから始めることです。

 平安時代中期の紀元1000年ごろにいったん日本語の文法が確立し、その後の文語の基本となっているからだと思うのですが、かなり難しいのです。

 これが鎌倉時代も後期になると、かなり現代語に近づいてきて、読みやすくなります(ちなみに『徒然草』は鎌倉時代末期の成立ですが、『枕草子』のころの日本語を理想にして書いたものとなっています。それでも300年以上の隔たりがあるので、わずか数カ所ですが文法的な誤りが指摘されているそうです)。

 古文に親しむという意味では、鎌倉時代後期以降のテキストから入るのがわたしはいいと思っています。また現代人でも楽しめる内容がいいに決まっています。その意味で『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』などから入るのが最適だと思うのです。

 さて初回となる今回ですが、いきなり謎に満ちた話が収録されています。謎だけあってまるで解決されていないのですが、だからこそ語り継がれたのかもしれません。

 それにしても・・・と思うのですけれどw



自分のしたいことと向き合うことで、わたしはしあわせになれたと思っています。わたしの生き方を知って、ちょっとでも癒やされる人がいればいいなあという気持ちで書いています。スキやフォローは本当に励みになりますので、よろしくお願いいたします。