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奈良に行くなら[25]〜興福寺五重塔編

当たり前にいつもそこにある風景。猿沢池から伸びる五十二段の石段を上がった先にある興福寺五重塔。何度訪れたかわからない、何度見上げたかわからない…この景色を目にすると「あ、奈良来たんだな」と思ったりもします。そんな馴染みの光景が、この土地のランドマークが、しばらく見られなくなりそうです。薬師寺東塔がやっとお目見えしたかと思えば今度は…といった感じですかね。

猿沢池ごしの五重塔

いよいよ五重塔の修理が始まります。約120年ぶりの大規模修理だそうですよ。工事が始まると塔全体が素屋根で覆われ、その姿を見ることができなくなります。2020年からすでに調査工事は始まっており、塔の周りに足場が組まれていたりもしましたが、現在の足場(調査のためのもの)がいったん外された後、来年には本体工事が始まります。2023年の4月ごろからまた足場がかかり、覆屋根着工となるようです。約50mの五重塔をすっぽり覆う素屋根は60mほどになるそうで。見慣れた奈良の風景が一変しそうですね。
現在の計画では工期は2030年まで。ただこれはあくまで予定であって、長引く可能性もあるそうです。ここまでの調査結果から、終わらないのでは? という声もすでに上がっているとか。素人考えでは、修理と聞けば問題のある部分をすべて直すのだろうな、と思いきや…傾きなど一部はそのままにしておいた方が良いなどの議論もあるようで。全面解体修理とは違い、どこをどこまで直すのかによって工期が変わってくるそうです。難しい問題がいろいろあるのですねぇ…。
(※薬師寺東塔は全面解体修理)

21年末の様子。調査用の足場がかかってます


そんな大修理を控えた五重塔。修理前最後となる特別公開がまもなく始まり、普段は公開されていない塔の内部にも入ることができます。

ちなみに夜間のライトアップは年内いっぱいとのこと

興福寺国宝特別公開「五重塔」 詳細

初層の須弥壇には12体(三尊形式×四方)の仏さまが、塔の中央に立つ心柱を背に安置されています。南方には文殊菩薩と普賢菩薩を従えた釈迦如来。西方には観音菩薩と勢至菩薩を従えた阿弥陀如来。東方には日光・月光菩薩を従える薬師如来。そして北方には如来形の弥勒が。脇に法苑林(ほうおんりん)菩薩と大妙相(だいみょうそう)菩薩が控えています。

塔の内部に仏さまが安置されているって、一般的に知られていることなんですかね? 興福寺に限らず各地に五重塔・三重塔はありますが、なぜだか私、こういった塔は建物としての外観がすべてだと思い込んでおり。何というか…中に入るものだと思っていなかったというか。だから「え? 中に? 」とすごく驚いたのです。しかも三尊像がきれいな形で残っていて。初めて初層に足を踏み入れた時は大興奮でした。なかなかないチャンスなので、会期中に都合がつく方は是非に!

さて、710年に藤原不比等によって創建された興福寺ですが、五重塔は730年に不比等の娘でもある光明皇后が造営を開始、なんとこの年の秋には完成しています。ええっ? 創建時の塔の高さは、現在よりも5mほど低かったそうですが、それにしても、えっ? ホントに〜? とちょっと疑ってしまいますが、記録によると半年ほどで完成したそうです。

ところが1017年には落雷で消失。1031年に再建されるも、15年後の1046年には再び焼失。1078年に再建。が、今度は1180年兵火により類焼…南都焼討ですね(カンベンシテクダサイ・涙)
1206年に再建されるも1356年には落雷により焼失。1375年に立柱。1411年にまたも落雷により焼失。
と、これまでに5回焼失。うち3度は落雷によるもの。カミナリ…天敵ですね、にょきっと高い塔の宿命ですか…。その後、室町時代1426年に上棟された現在の五重塔は六代目にあたります。
明治初期の廃仏毀釈による危機を乗り越え、1897(明治30)年に特別保護建造物に指定されると、3年後の1900(明治33)年には屋根を主にした修理が始まり、この工事が1902(明治35)年に完了。 
1905(明治38)年にも落雷を受け(ヤメテー!)黒煙を吐くが大事には至らず(ヨカッタ…)、1907(明治40)年になってやっと避雷針が設置されました(コレデチョットアンシン)。

さてさて。明治の修理以来、120年ぶりとなる令和の大修理。今回の修理に関するお話を伺った中で興味深かったのが塗装についてです。
漆喰の塗り直しはすでに計画されているようですが、柱などの塗りをどうするかの結論が持ち越されているようです。現在の古色蒼然な姿のままにするのか、元の姿に戻す意味で青丹を塗り直すのか、議論があるそうです。
青丹を塗り直すと、柱は朱に、連子(れんじ)が青丹(くすんだ黄緑)に。
2018年に落慶した中金堂や、また薬師寺西塔のような雰囲気になるわけです。

文化財保護の観点では賛否が分かれるところだと思います。個人の好みも大きく割れそうですよね。が、1996年に修理が行われた南円堂では青丹に戻したように、お寺では「元の姿に復す」ということが比較的多く選択されてきているそうです。
第一回の修理委員会の中でも貫首から、元の姿に戻すということをお寺としては考えたい、とあった模様。青丹に戻すというのは、具材の保護にもつながることだそうで。
3年後の2025(令和7)年ぐらいには、塗りをどうするかということの結論が出るそうですが。さて、どうなるんでしょうね。

古色蒼然なお姿はもしかしたら見納めかもしれない…今のうちにじっくり愛でておこうと思いますよ。

興福寺 境内案内


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