【Day96】 心の凝り_2016.11.16

今日で、コスタリカに来て3カ月になる。

今の自分から見て、この3カ月がどうみえるか。

正直なことを言うと思ったより長いなと感じている。

こういう時って、あっという間だったなという感想の方が多いのかもしれないけど、

自分の場合は、長いなと感じた。

その理由は、いろいろあると思うけど主な理由は二つだと思う。

一つ目は、日本シック、東京シック。

何でもそろっていて、おいしい食べ物もたくさんある日本。

さらに、日本で各々努力している仲間。そして、家族。

そういう、今まで当たり前だった環境に対して、自分はあまり寂しくならない方だと思っていた。

でも、やっぱり、全部恋しくなるものなんだな。

特に食事が一番恋しい。

本当に、学校の食事はおいしくない。

日本の牛丼が目の前にあったら、30秒で食べきれる。

二つ目の理由としては、その内容の濃さだと思う。

今まで、自分の人生で感じたことのないような初めてだらけのことの連続で、

そのカルチャーショックの波に溺れてしまいそうなほどだ。

でも、これが理由ならいいことだとはいえると思う。

でも、そんな新鮮なことが続く毎日でもやっぱり慣れっていうのはあって、

それはいいように言うこともできるが、悪くとらえることもできる。

最初のうちは、感動できていたものも当たり前のように感じてしまう。

こういうのって心の凝りって言えるんじゃないかな。

心の凝りと言えばさ。

ひとつ前のブログでも話したスラムの子供たちの話をもう少ししたいなと思った。

これまでも色々なバックボーンを持った人とサッカーをしてきたし、これからもサッカーを通じて人々と交流したいという気持ちはある。

でも、スラム街に暮らす子供たちとサッカーをするという機会は貴重な機会だと思う。

彼らの目は、とてもキラキラしていてサッカーというものを心から楽しんでいるなと感じた。

日本の部活では、まるで顧問の先生に強制的にやらされているように見える選手も少なくない。その目は、日本のサラリーマンによくみられるような無気力な目をしている。その目はこの、世代からすでに作られ始めている。

また、韓国でサッカーをしたときにはサッカーで稼いだお金で家族を養うという使命を背負ってサッカーをしている子供たちは目がまるで獣のようになっていた。

一方、今回のコスタリカのスラム街の子供たちはまるでサッカーが神瀬の楽しみのすべてであるかのように全身から楽しさがあふれ出ていた。この表現も決して大げさではないのだろう。ここには、ゲームもなければ、テーマパークもないし映画なんて人生で一回見れればいい方だろう。そんな彼らが毎日気軽にボール一つで楽しめるのはサッカーしかないのだろう。実際毎日この場所に集まってサッカーをしていると言っていた。

でもさ、日本にしても韓国にしても最初サッカーを始めた時はみんなこの子達と同じ心を追っていたはずだよね。

単純に一つのボールをみんなで追いかけて蹴ったボーロがゴールに入ったり、パスがつながったりする。その中で、仲間ができて友達になる。いつからそんな気持ちを失ってしまうんだろう。それに気づいたときとても悲しくなった。

これもさっき言った、心の凝りなんだ。

今の自分の現状として、サッカーを満足にできていない。

それでも、映像とかを見て体がうずうずしてくる。

本気でサッカーをしたい。その中で本当の仲間を見つけたい。

この、自分の感情がまたボールに惹かれていく。

それ以外のことでも、心の年を取りたくない。

何に対しても感動していたいし、自分の感情に素直でいたい。

そんな、自分の心の凝りに気づかせてくれたスラムお子供たちは、

物質的には貧しくても心は豊かなんだ思った。

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