見出し画像

生きる糧のライヴを諦めるということ

休みの日。

いつも考える。

私は一体いつになったらライヴへ出かけられるのか。

私は五年ほど前からライヴハウスへ頻回に行っていた。ものすごい勢いでミュージシャンやライヴハウスのマスターやそこに集まるファンの方々と知り合い、親しい人間関係が広がった。楽しい日々だった。人生の後半にこんな素晴らしきことが待っていただなんて、当時父を亡くしたばかりの私は本当に助けられたと思う。お父さん子だった私が寂しがらないように父が天国から何かしてるでしょ?絶対してるでしょ?と思うくらいな勢いだった。

音楽がきっかけでそこに集う人々は皆優しい。ひとりで、ある日突然現れた私を優しく受け入れてくれ包み込み、仕事でクタクタな心を癒してくれた。

何も心配しなくていい。

ライヴハウスにいる間だけは、素の自分になれた。ただ大好きな音楽と大好きなミュージシャンがそばにいてくれて、笑顔が溢れていて、幸せだけがそこにある、まさに夢の国だった。

でも、いま、その幸せはない。

少なくとも私がそこに足を踏み入れることは許されない。

私は今の仕事に誇りを持っている。やり甲斐も感じている。けれど、正直この仕事を真っ正直に続けていくならば、夢の国に足を踏み入れることは今はできない。できないのだ。今は。

私の性格は私自身がよくわかっている。今は、たとえ腕を引っ張られてもテコでも動かない、動けない。しがらみにグルグル巻きにされて、いや、自ら、しがらみに巻き込まれていく志願兵のように。

命の重さ。

その重い命を預けたご家族の想い。

介護の仕事は誇り高きもの。

この想いを背負って行く覚悟ができないのならば、今すぐに辞めるべきだ。たくさんの不安と心配と悩みを抱えているのは大切な命を預けた、預けるしかなかったご家族の方だから。私じゃない。

そんなふうに仕事人の私が言う。

今はダメだ。今は行ってはいけない。

逢いたい気持ちを辛抱している。

仕事人としての私とライヴが生きる糧の私人としての私がせめぎ合っている。

今日も、そして明日も。

まだまだ戦いは続く。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?