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【感想】SSSS.GRIDMAN(2018), SSSS.DYNAZENON(2021)

はじめまして、みよしよしと申します。
先日『SSSS.GRIDMAN』『SSSS.DYNAZENON』を観ました。
映画『プロメア』の製作会社であるTRIGGER繋がりでSSSS.シリーズを知り、時間もあったので観てみたところ、とても素敵な作品だったのでそのお話をさせてもらえればと思います。ネタバレを含みますので視聴後の閲覧を推奨します。

SSSS.GRIDMAN (2018)

Special Signature to Save a Soul ー 魂を救うための特別な名前

本作のメッセージ

まずはこちらから。凄く良かったです。こういう捻じ曲がっていない、まっすぐな作品が私は好きです。本作は新条アカネが"覚醒"するまでの物語ー現実から逃げ出し自分にとって都合の良い電脳世界を作り出した新条アカネが、宝多六花という友人に背中を押してもらい現実に戻るための物語です。なので、この作品が伝えたかったことは「夢からはいつか目覚めなければならない、けれど友達が現実に立ち向かうあなたを支えてくれる」ということだったのかなと思います。やや現実主義的な見方ですが、私たちが実世界を生きるうえで空想は無力です。こうなればいいな、ああだったらいいな、という空想は人間を慰めてはくれますが、現実の問題を解決してくれるわけではありません。自分の力で何とかするしかありません。現実に苦しむあなたに応援(エール)を送る作品だったと私は思います。

【SSSS.GRIDMAN】ノンクレジットED/ 内田真礼 - youthful beautiful [clean ED] より¹⁾

表現技法について

『SSSS.GRIDMAN』ではそういったメッセージが鮮明に視聴者に伝わるような工夫がなされています。それは間違いなく第十二話(最終話)のこのシーンでしょう(ちなみにこのシーンはOP主題歌のMVに繋がっています)。いわゆるキラーフレーズのような衝撃を与えながら、新条アカネが私たちと同じ現実世界の住人であったことを伝えています。このインパクトがあるからこそ、この作品が現実世界を生きる私たちへと向けたメッセージであると解釈することができるのです。

OxT「UNION」 Official Video より²⁾

ところでアニメ作品で実写の場面を入れ込むことに関する私見を話します。
このような表現の不利点としては、作品世界がつくりものであることを公に認めてしまう点にあると思います。もちろん作品で描かれる世界はつくりものですが、それを認めてしまうことはどこか寂しい気がします。つくりものであることに目を瞑り、どこかに在る世界として作品の世界に耽溺できることがアニメの魅力のひとつだと私は考えているからです(ロマンチシズムが行き過ぎているでしょうか)。もっとも、このような考え方こそ新条アカネのしていた現実逃避にほかならないとは思いますが。他方で、こういった表現の利点はもちろん現実世界と作品世界の関係性をラディカルに鑑賞者に伝えられることです。上記の例で説明した通り、これほど有効な手法はあまりないと思います。特に本作の場合は、ツツジ台は文字通り"つくりものの世界"なので、これでいいのだと思います。
(最近では『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のラストで実写の宇部新川駅が登場しましたが、あれも作品世界の延長(新世紀)に現実世界があることを伝えるために用いられていました)

第九話「幻・想」

個人的に好きだった回は第九話「幻・想」です。怪獣の能力によって夢の世界に閉じ込められた裕太たちが、アカネの夢の世界を否定するという、物語上、大きな意味を持つ回でした(円谷プロらしくもありました)。この回ではグリッドマンが広告塔の看板やコンビニエンスストアのガラスに映りこむ演出がクールでした。裕太の夢の中では、配役を六花からアカネに変更した第一話が繰り返されます。この描写から(明言されていないながらも)、夢の中であることが視聴者に伝わる良い表現だと思いました。過去のエピソードとのアナロジー(類似性)という気持ち良さを残しつつ、夢であることを言外に伝えられるのはクールです。

『SSSS.GRIDMAN』第9話「幻・想」より

響裕太が選ばれた理由

グリッドマンが裕太に取り憑いた理由については最終話(第十二話)で触れられます。教室の日常を切り取ったこの場面では、人気者のアカネを取り囲むクラスメイトとは対照的に、教室で六花に視線を向ける(好意を寄せる)裕太の姿が描かれています。誰もがアカネを好きになるように設計されている世界で、唯一アカネではない六花を好きになったイレギュラーな存在だからこそ、グリッドマンに見出されたという訳でした。響裕太が選ばれた理由と裕太が六花に好意を寄せていた事実のふたつをひとつの描写で伝えるのは、王道ながらおしゃれだなと思いました。

『SSSS.GRIDMAN』第12話「覚醒」より

売れた理由について

低俗ながら大切な話です。私は特撮作品が特別好きという訳ではありません(嫌いでもありません)。本作を観終えても残念ながらその感性は変わらず終いでした。それでもグリッドマンと怪獣の戦闘描写には力を入れていることは伝わりました。SNS上でも作画が良かったという意見が散見されたので多分そうなのだと思います。それ以外の要素としては、六花とアカネのふたりをはじめとする丁寧な人間関係が描かれていること、可愛らしいキャラクターデザイン、新世紀中学生とグリッドマンたちのコメディの感の良さなどでしょうか。この辺りも私がこの作品を好きな理由です。ただ列挙する分には簡単ですが、実際に脚本やデザインに起こすことは本当に難しいことだと思います。

SSSS.DYNAZENON (2021)

Scarred Souls Shine like Stars ー 傷ついた魂は星のように輝く

『SSSS.GRIDMAN』と通底するテーマ

本作のテーマも前作を踏襲して、現実とどう向き合うかという話に焦点が当たっていたように思います。本作の登場人物(ガウマ隊の構成メンバー)はいずれも過去の事件とそれに起因する現在に悩んでいます。麻中蓬は母親の再婚に対するどことない抵抗感、南夢芽は五年前に亡くなった姉香乃との行き違いとその後の家庭内の不和、山中暦は稲本さんから逃げ出したことと現在無職であること、飛鳥川ちせは中学校に馴染めず不登校であること、とそれぞれ、かなり具体的な問題に直面しています (ガウマや怪獣優生思想の面々も何かに囚われていますが、ここでは割愛します) 。彼らがこの問題をどう乗り越えるか、あるいはどう付き合っていくかというのが作品の本筋でしょう。

そして、その答えは共に過去という傷を背負って生きていくということだと思います。まず共にという部分についてです。姉の死と周囲の人間に対する不信感が拭えず苦しむ夢芽に手を差し伸べるのは蓬です。バス車内での蓬が夢芽に言った台詞「南さんのお姉さんが、南さんの一部なら、もう他人なんかじゃない」は本作で最も重要な台詞かもしれません。過去が現在の自分を構成していること、蓬は夢芽の苦悩を他人事だと考えないことはテーマをそのまま代弁しています。そして、そんな蓬に夢芽が心を通わせることが過去を乗り越えるために必要なのでしょう。それを決定づけるのが、第九話のダイナソルジャーに搭乗した蓬が水門の夢芽を迎えに来るシーンです。このシーンは前作の"君を退屈から救いに来た"グリッドマンと併せて象徴的と言えます。蓬が夢芽を救いに来たのです。ひとりで乗り越えられない過去は誰かの手を借りて乗り越えればいいのです。それに本作のタイトルに含まれるSSSSはScarred Souls Shine like Starsですから、やはりひとりではないのだと思います。

『SSSS.DYNAZENON』第9話「重なる気持ちって、なに?」より
【SSSS.GRIDMAN】ノンクレジットOP/ OxT - UNION [clean OP] より ³⁾

次に過去という傷についてです。ガウマ隊のメンバーは過去と向き合うことができたタイミングでS字型の傷が現れます。搭乗者ではない飛鳥川ちせには傷が現れていませんが、左腕のタトゥーを隠さなくなったことが彼らの傷と同じ役割を果たしているのだと思います。これらは分かりやすく過去の傷(トラウマ)の隠喩になっています。ところで、最終話(第十二話)でこの傷について夢芽が「ずっと消えない痕になるといいね」と話しています。これはガウマ隊のメンバーとの繋がりを残したいという表の意思と過去を肯定的に捉えることができるようになった裏の変化の表れだと思います。これが過去と向き合うことに対する回答であるように思います。
本作は前作より主人公たちの抱える問題が具体的になりましたが、現実に対して仲間とともに向き合うという、SSSS.シリーズに通底するテーマは貫かれているのだと思います。

『SSSS.DYNAZENON』第12話「託されたものって、なに?」より

まとめ

ずいぶんと大雑把な感想になってしまいました。とりあえず物語の中心を担うテーマについてお話できていたら嬉しいです。後半でかなり失速してしまったので、機会があれば追記していきたいと思います。
個人的には『SSSS.GRIDMAN』が物語の構成のまとまりがよくて好みでした。また、新条アカネの直面する現実は、どのようなものかは推測できますが、作中で明言はされていません。ゆえに彼女の抱える問題は観る人によって可変であって、観る人を救うのだと思います。こういうところも綺麗です。『SSSS.DYNAZENON』はSSSS.シリーズの次作として高いクオリティのアニメーションだったと思います。群像劇を描いていましたが、創る方も観る方もなかなか大変な部分があるかと思います(読み落としが腐るほどありそうです笑)。やはり物語の構造の複雑度と伝わりやすさはトレードオフなのでしょう。ただ、蓬と夢芽のふたりに主眼を置いたらそれはもはやGRIDMANなのではないかとも思うので、やはり新たな形式への挑戦は歓迎されるべきものです。なんだか、まとめまで雑多になってしまいましたが、このあたりで失礼したいと思います。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。それではまた。

脚注・引用

1) https://www.youtube.com/watch?v=QajmrUjqoD0
2) https://www.youtube.com/watch?v=b4CIYS1Bme4
3) https://www.youtube.com/watch?v=ku6Lz0dlTfs


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