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About ミヨグラフィ

改めまして、ミヨグラフィです。
皆さまごきげんよう。

現在、東京を中心にフリーランスフォトグラファーとして
活動している漆原未代(ウルシハラ ミヨ)です。
ミヨグラフィは屋号であり、作家名でもあり、
とりあえず本名でも屋号でも呼ばれたら振り向きます。

キャッチコピーは「フットワークが窒素よりも軽いフォトグラファー」

交通費出るならどこへでも。(ただし水中は除く)

自分より腕のいいフォトグラファーは山のようにいます。
それでも「ミヨグラフィと仕事したい!」と思ってくださる方に
出会うと阿波踊りするほど嬉しいです。
フットワークの軽さ、変な略歴と人様のご縁によってお仕事しております。

略歴を。長いよ。

1986年 徳島県生まれ。ピッチピチの33歳です。(2019年4月)
中学までは市立の中学校に通い、地元に通いたい高校がなくて
夜間とか行こうかなーとボンヤリ考えていた矢先
大学留学していた姉から上海に高校できたってよ、と知らさせる。
親も「これからは中国の時代だし。」とそのまま話が
トントン拍子で進んでうっかり(?)留学。
いや、元々語学は好きで英語の勉強がしたかったんですけどね。
スイスにある公文の高校も見つけてこっち〜って思ったけど
「ちょっと遠いし」って理由で上海の高校へ。
楽しかったし、中華美味しいし、華麗に太った。

在学中、写真を仕事にしたいと思って日本に帰国し
大阪にある専門学校へ通う。

地元でもそうだったけど、浮くし馴染めないし、とりあえずボッチ。

喧嘩もした。
学校内で学年末の作品展をするんだけど
優秀な作品には奨励賞が与えられる。

あいつらにだけは奨励賞は渡さねぇ。

と、闘志燃やしまくって無事に勝ち取った。
この時に私は気付いてしまう。

私の実力というより、ぶっちゃけ被写体勝ち。

色々ややこしいので割愛するが、私には3人祖母がいる。
そのうちの一人が被写体だったんだけど
超フォトジェニックな人だった。
でもこの人のおかげで私は奨励賞を取れた。
少しの自信にもなったし、なんとなく、辞めたらダメだと思った。
奇遇にもその人の旦那さん(戦死)も自前の引伸し機を持つくらい
写真が好きだったそう。

そのまま就職するわけでも、アシスタントになるわけでもなく
卒業後はロンドンへ留学。(親には頭が上がらない)
本当は9ヶ月で帰る予定だったけど気付いたら5年居た。
滞在中は語学学校生だったりフリーランスで仕事を細々頂いたり、
ロンドン初のメイドカフェイベントをやったり、
地下鉄で三味線バスカーやったり、
とりあえずやりたいと思った事には足突っ込んだ。


2012年2月。
これ以上ビザを延長する術がなくなり、泣く泣く帰国。
今でも大好きな場所なので2年に1回くらいは渡英。
その後、大阪に5年。
元々留学時代の友達が関東に多かったので
ずっと行きたかった東京へ2017年に引越し。

ロンドンほど愛せるか解らないけど、
嫌いじゃないよトーキョー。

2年が経って少し落ち着いたけどまだまだ。
もっともっと色んな人と仕事したい。


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