つぶやき 買われるニッポン

 コロナ禍が明けたゴールデンウイーク、街なかにはいわゆるインバウンドのお客さんが溢れている。インバウンドって言わなくても外国人観光客でいいじゃないか、と思うが、インバウンドと言うほうが新しい感じがするのだろう。

 メディア、ことにマスコミは、それらの人々をつかまえては「日本は何回目か」「どこに行ったか」「何を食べたか」「何が印象に残ったか」などなど質問しては、いちいち喜んだり驚いたりして見せる。

 「なぜ(旅行先に)日本を選んだか」と聞かれ、アニメ、特定の文化、特定の食べ物、ファッションなど、ふだんから関心を持っていたり、はっきりオタク的に好きだったりする人もけっこういる一方で、「いま円安だから」と答え、「食べ物も、買い物も、すごく安い」と喜ぶ人もいる。

 それを聞いて、あぁ日本はいま大安売り中なんだな、と思う。

 50代以上くらいの人なら記憶に鮮明だと思うが、バブルの少し前からバブル期、日本人は「強い円」を持って海外へ旅し、あるいは投資し、バンバンお金を使った。おおげさに言えば「なんでも安く思えたし、買えた」のだ。

 しかしバブルで大コケし、長い長い不況の果てに、戦後長い時間をかけて蓄えたものまでも手放し、手放し、いまやアジアの中でも貧しい国になりかけている。そうかもしれない、と日本人が気づき始めたころには、もう手遅れだった気がする。明治から戦前にかけて蓄積したもの――物心両面の――を浪費した成れの果てが、いまかもしれない、という気がいつもする。

 つまり、自業自得だ。

 このまま日本は買われつづけ、日本人はズルズルと貧しくなるのか。「日本中のご先祖様に申し訳ない」といつも思うが、一人でできることは限られる。それに、貧しさがデフォルトだがそれほど不便ではないと思える世代は、この状態が続いてもさほど困らないかもしれない。

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