タンホイザーの涙 教皇の宣告Ⅰ

講義で配布された過去問題と演習プリント、分厚い過去問題集、大量のメモ書きがされたレジュメ。それらに向き合いながら桜井はペンを走らせていた。年明けを挟んだ2月に臨床検査技師国家試験を控えていた。二週間前に模擬試験を受けたばかりであったが、その後も勉強に励んでいたのだ。時計を確認すると時刻は既に午前2時を回ろうとしていた。夜が明ければ午前10時に研究室のボスである戸川から模擬試験の結果を渡されることになっている。今回は自信がある。今だけでなく、模擬試験が始まる3ヶ月前から準備をしていた。大学入試以上に気合を入れていたと言っても過言では無い。彼女である光妃とは一週間に一度ほどしか会えてはいないが、会う度にしっかりとコミュニケーションをとっている。少し寂しい思いはさせているだろうが、それだけ試験にかける気持ちが強かったのだ。たとえ模擬試験であろうと妥協は許さない。全ては夢を叶えるために。研究者となるために。スマートフォンの電源は勉強中、なるべく落とすことにしていた。集中力を保つことが第一の目的ではあるが、夏あたりから試験が近づくにつれて母からのメールが増えていったことも否定できない。用件は桜井を応援するメッセージや試験に関するインターネット上のまことしやかな噂に心配するものばかりであった。大学入試で志望校を妥協せざるを得なかった桜井を母は今回の国家試験に挑む桜井と重ねているのだ。桜井としては迷惑な話である。母の気持ちは分からないでもないが、大量に心配するメッセージを送られるとこちらも不安になってしまう。何度かメッセージを送らないように母に頼んだが、効果は無かった。父にも母を諫めるように頼んだものの、全く意味が無かったようでその後も大量のメールが届いた。このことから桜井は大学と家への行き帰り以外はスマートフォンの電源を落としていた。
明日の朝、遅刻することは絶対に避けたい。桜井はデスクライトのスイッチを切り、布団に潜り込んだ。
目を覚まし、時間を確認すると8時53分になろうとしているところだった。就寝前、時計のアラームを設定し忘れていた桜井は胸を撫で下ろした。それでも余裕がある訳では無い。いつものように三回うがいをして着替えた後、玄関を出た。朝食を摂っている時間は無い。髪のセットはイマイチだが時間をかけている暇は無い。桜井は自転車を走らせた。大学の自転車置き場に到着し、腕時計を見た。9時37分。余裕たっぷりとは言えないものの、落ち着いて戸川の元へ向かえる時間だった。桜井は襟元を正して研究室へと向かった。

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