タンホイザーの涙 ヴォルムラムの疑念Ⅱ

同期と真の意味で腹を割ってコミュニケーションを取ることができない古舘にとって、桜井は最も大切にすべき親友であった。桜井は人当たりが良いことから学科内に沢山の友達がいて、古舘も何人か紹介されたことがある。どうしたらそんなに友好の輪を広げられるのか、あるとき古舘は大学に続く商店街の焼き鳥屋で酒の勢いに任せて聞いたのだった。素面でそんなことを聞くことは古舘の孤独が許さなかったのだ。「征也はさ、打ち解ければ楽しい話できるだろうよ。そんなに肩肘張らないで声かけてみれば良いじゃないか。周囲はそんなに悪い奴ばっかじゃないって」桜井は酔っぱらいに対してはぐらかさずにアドバイスをくれたのだった。「それができたら苦労はねぇよ」そのとき頭に浮かんだ言葉なのか、口をついて出た言葉なのかは思い出せない。桜井の方も古舘のことを親友だと思ってくれていると古舘は信じている。高校三年間で築いた友情は今でも強固なものであるはずなのだ。だからこそ、学科が違っても桜井と古舘は腹を割って話し合える、そんな関係なのだ。その関係だからこそ古舘には現在の桜井の異変に気付いたのだ。どこがおかしいと言えば、二人で飲んでいる際にときどき遠くを見ていることがあるのだ。視線の先に決まった対象はなく、ただぼんやりとしているのだ。まるで恋にでも落ちたかのように。当たり前といえば当たり前なのだ。桜井には彼女がいる。しかし彼女ができた直後でさえ、こんなに惚ける様子を古舘には見せることがなかったのだ。桜井の身に何があったのだろう。毎度のように様子がおかしい訳ではなかったが、古舘が最初に異変を感じてから、会う度に異変を感じる頻度は高くなっていた。「なぁ、騎士郎。お前、最近おかしくないか?」そう切り出したのは昼過ぎの学生街にある陽の入らないひっそりとしたカレー屋で桜井とランチセットを待っているときだった。一瞬、桜井は考えるそぶりを見せたが「そうか?自分では分からないな」と軽い調子で言ってから左手で頭の後ろを掻いた。桜井のこの癖は"思い当たる節がある"という無意識のメッセージである。高校の頃からそうだ。「そうか、ならいいんだけどな」一旦は話題を変えることにした。深追いは良くない。その後すぐにランチセットが運ばれてきた。日替わりのランチカレーは揚げナスが入ったチーズキーマであった。付け合わせのサモサからの香ばしいスパイスが鼻腔を刺激した。この店はカレーを売りにしているがこのサモサに関しても最高の旨さであると古舘は勝手に思っている。ランチセットを早々と食べ終え、食後のアイスコーヒーを飲んでいるときだった。「さっきの話だけどさ、実はね。本当は、ちょっと、あるんだ」桜井は遠慮がちに話し始めた。親友の古舘にも言いづらいことなのだ。相当な悩みなのだろう。古舘は桜井に圧力を与えない程度に、真剣な眼差しになって耳を傾けた。

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