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この1年で分かったこと。

映画「椿の庭」
先日、映画「椿の庭」を観た。写真家の上田義彦氏がフィルムで撮ったというので、映像美を観ようと思い、久しぶりの映画館だった。でも、海と山の違いはあるものの、映画で描かれていた風景、水、花、鳥の声、古い家の調度などは田舎そのものだった。

昨年の秋に母が亡くなり、以来田舎には行って(帰って)いない。もちろんコロナのこともあるけど、兄、父、そして母まで亡くなると田舎とのつながりは急速に希薄になってしまったような気がしていた。でも、この映画を観て、もう一度田舎とのつながりを始めたいと強く思った。人間は生まれ育ったところの環境が心のなかでずっと生きている、生かされているということを、この映画を観て強く思い、60余年生きてきて分かったことのひとつだった。

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野菜づくり
世田谷に20年以上暮らしているが、もう10年以上野菜づくりをしている。そのきっかけは、広い畑のある風景に身を置きたいという感覚だった。毎朝早くに畑に出かけて、野菜の様子を見て、収穫できるものは自分たちで食べる。食べきれないほどの野菜が採れるので、友人にあげる。ただそれだけだった。

でも、実際に10年も畑の土と野菜に触れていると、太陽と雨のことがこれほど気になり、毎年こんなに気候が変わるのかということも実感してきた。大雨、しかもゲリラ豪雨のような雨が降ると、路地野菜はだめになる。病気も出るし、虫も発生する。よく「無農薬?」とか「新鮮で美味しい」とか言われるけど、無農薬で野菜を作ることの難しさもずっと実感してきた。きれいな大根が1本150円で売られているのを見ると、どうやってもこれでは農家さんは報われないということも痛いほど分かった。

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コロナの時間
そして、ちょうど去年の今頃は初めての緊急事態宣言下で、緊張感のある毎日を自宅で過ごしていた。仕事もなくなり、長年続けてきた仕事の日々が突然失われた。代わりに自由な時間ができ、若い頃にできなかったことをもう一度しようと思いつき、ギターとサーフィンを始めた。ギターは憧れだったがまったく手にすることはなく、二人の子どもたちが軽音部のバンド活動を楽しんでいるのを横目に羨んでいるだけだった。サーフィンは学生の頃、雑誌「ポパイ」の影響でテニス、スキー、フリスビー、スケボーと同じように遊び程度だったが、湘南へ通った。でも、やりきった感がなかったのと、同世代のオヤジサーファーが回りに何人かいたこともあり、夏の終りから始めてみた。その時はまさか真冬には海に入ることはないだろうと思っていたけど。

真冬の海
8月の終わりに始めたサーフィン。最初は骨折したかと思うくらい両胸の肋骨が痛くて、パドルをまともにできるようになるまで2ヶ月を要した。12月の年末にはどうにか波に乗れるようになり、1月も2月もずっと毎週欠かさず真冬の海に入り続けた。

一番驚いたのは、真冬なのにこんなに海水温が温かいのかということだった。これはまったく想像もしていなかった。ウェットスーツを来ているとは言え、真冬の海に入ったことで、また違った風景が見えた。沖の波間から見る海岸線の風景だ。大型の台風によって破壊された海岸線。砂浜が後退する現象も目の当たりにした。これは日本各地、世界各地で見られる現象で、近い将来、砂浜が無くなることもありうると言われている。

そしてこれほどゴミが海に溢れているのかという驚きもあった。One Hand Beach Clean Upというキャンペーンがあり、サーファーは海に入ったら帰る時は片手でゴミを拾って帰ろうという運動だけど、到底そんなレベルではない大量のゴミが海にはあった。そして、マイクロプラスチックゴミも本当に砂浜に溢れていることに驚いた。

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田舎の風景
思えば、田舎の風景が大きく変わったのが今から30年くらい前だろうか。新潟県の柏崎刈羽の原子力発電所から東京まで電気を運ぶ50万ボルトの送電線が山々の風景を切り開いた。山に棲む獣たちは終われ、里に出てきて、猿や熊、鹿、狸などの野生動物が私の実家の庭先までやってくるようになった。電牧と呼ばれる電気柵で民家や村を囲むようになったのがこの頃だ。「猿じゃなくて人間が檻に入った」と父に皮肉を言ったら、「お前たち東京の人のための電気だろ」と言われ、返す言葉が見つからなかった。人為的に切り開かれた風景、自然の猛威で変わってしまった風景。一見違う要因のように思うかもしれないけど、どちらも我々人間の行いの結果がこの風景を生み出している。

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出会い
世田谷で野菜づくりを続けてきたこともあり、それがきっかけで保坂展人世田谷区長に出会うことになった。ロックが好きで、私より1歳年上で同じ時代を生きてきたこともあり、区長の考えや政策には共感することが多かった。以来、区長の政治家としての活動も少しサポートしているうちに「主権者として自分に何ができるのか?」という考えをするようになった。

世田谷区は都内でも大田区に次いで広い面積を誇り、人口も92万人という大都市だ。「世田谷みどり33」という市民運動も長年続いていて、たまたま大学時代の後輩がこの運動に携わっていたこともあり、世田谷区内の緑率33%を取り戻そうという献身的な姿にも強く共感した。では、自分に何ができるのか、コロナ感染症が拡大するようになってから考えが少しづつ集約されていくようになった。

ちょうどこの頃、ある女性が地球環境のことを真面目に語り、私をZ世代と呼ばれる若い世代の環境活動家に紹介してくれた。スウェーデンのグレタさんと同じメッセージを自ら発信する活動を続けている。それも無償で日本各地をあちこち歩きながら。こんな若者たちがいるとは知らずに、今の日本にしてしまった戦犯世代の一人として、反省しきりだった。そこで思い至ったのが、彼らの行動力の方が強いので、彼らの活動を応援しようという結論だった。

大河ドラマ「青天を衝け」で主人公が言った。「こんな間違った日本を見て見ぬ振りはできない」。彼ら若手アクティビストの姿とダブって見える。「ウチらの行動で未来は変わる」。彼らは純粋にそう思い、行動を起こしている。それを疑った目で見る我々オトナ世代は、こんな日本にしてしまったけど、この語に及んで見て見ぬ振りをしてい生き続けることはできない。恥ずかしくて。

私自身、長年企業の広告や販促の仕事に携わってきたし、今でもそうしている。しかし、20世紀資本主義型の企業の成長はもうない。齋藤幸平さんの言う「脱成長の経済」しかない。ではその具体策は何か。それは、まだ間に合う今こそ、環境を取り戻すための行動を本気で起こす他にはないという結論だった。

すべてが繋がっている
自分にとっては、田舎の風景、自然の風景、ゴミや野生動物、そしてコロナという名の感染症、それらすべてがつながっていることがあまりにも明確だ。特にこの30年間見てきた風景が、この1年間に改めて災害というカタチで目の前に再現されたのは、実は自然が警鐘を鳴らしているのではないかとさえ思える。しかし、これが最後のチャンスなのかもしれない。自分自身で活動するよりも区長と共に若手の活動をサポートしたらどうだろうか、そんなことを今日のイベントサポートをしながら思った。

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(写真説明)今週開催されたClimate Live Japanのプロデューサー大久保さん(左)と保坂展人世田谷区長(右)。今日は区長就任10年記念オンライン講演会でした。

これからもSurf & Farmな日々を過ごしながら、気候危機のことを一人でも多くの人に伝えて行こうと思う。これは誰にでも平等に関わってくることなので、本当に誰もができることを一つづつ進めていくしかない。私一人よりも、100人で一つづつやれば、流れは加速するから。


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