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言葉だけで人は変わらない

建築家の安藤忠雄氏は、あるインタビューで「人生を変えた一言はありますか?」と聞かれ、こう答えた。

一言で人間は変わらない」と。

少し前に「○○の言葉」という本が、続けて何冊も出版されたことがあったと記憶している。

○○にはニーチェ、ブッダ、キリストなど偉人の名前が入る。

本の見開きの片側に、短い言葉が書いてあって、もう片側に説明が書いてあるような構成の本だ。

世の中にはたくさんの格言があって、どんな人にでも行動に影響を与えているものが、一つか二つはあるだろう。

例えば孔子の「自分がされて嫌なことを人にするなかれ」とか、キリストの「汝の隣人を愛せ」とか、もっと俗っぽいもので「渡る世間に鬼はなし」とか。

つまり、こういうものを一挙に集めれば、自己啓発本として、また教養本としても、効率がいいだろうと考えて作った本である(おそらく)。

しかも字が少ないので、すぐに読めて、忙しい現代人にもぴったりだ。

そう思って、僕も「超訳 ニーチェの言葉」という本を買って読んでみた。

結果として、今思い出せる「言葉」は一つもない。

教訓などに多い、何かの例えを含んだ言葉には抽象性と冗長性がある。

取り方によっては、いいものにも悪いものにもなる可能性がある。

また、格言などの言葉には奥行や重みがある。

司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」は文庫本で8冊にもなる長編だが、最後は主人公の1人である秋山真之の書いた「言葉」で締めくくられる。

日露戦争に勝利した連合艦隊に対して、秋山真之が示した一言だ。

勝って兜の緒を締めよ

この言葉は、昔からよく聞く言葉であったが、長編小説の最後に出てきたことで、僕の中で重みが変わった。

さらに、その後の太平洋戦争を考えれば、なおのことである。

さて、ここで「言葉だけでは人は変わらない」というタイトルの説明をしてしまうと、言葉を見たり聞いたりしただけでは人は変わらず、実践や経験が必要だというようなことではない。

それも真理ではあるのだけど、ここで言いたいことは「○○の言葉」本が示しているようなアプローチでは人は変わらない、つまり、短い言葉(格言)と短い注釈だけでは、記憶にも残らなければ、人に影響も与えられないということだ。

例えば「渡る世間に鬼はなし」と突然言われても、全然ピンと来ないが、新卒で就職したり、知らない土地に引っ越したりするときには、不安を取り除く言葉として大いに力になるかもしれない。

自分でそれを経験するのも一つではあるが、例えば物語が付随しているだけでも理解度が違う。

つまり、その言葉が腑に落ちるには、もっと多くの情報が必要なのだ。

キリスト教にせよ、仏教にせよ、宗教ではない哲学、思想にせよ、有名な短い教訓の言葉はあるが、それだけで人を律することは出来ない。

それに付随する、事例や根拠、たくさんの情報が必要なのだ。

また言葉と言葉が相互に作用している場合もある。

前提がいくつも積み重なっている場合もある。

言い換えれば、体系的な知識が必要なのだ。

ニーチェの言葉を理解するためには、ニーチェの哲学を理解する必要があるのかもしれない。

キリスト教であれば聖書を何度も読んで、全て理解するということである。

例えば唐突に「右の頬を打たれたら、左の頬を差しだせ」と言われても、全く理解できず、反発しか感じないだろう。

理解するには、思想体系や、その言葉が発せられた時の状況を知る必要がある。

仏教は正直、キリスト教よりよく知らないが「色即是空 空即是色」とか「一切皆苦」などといった言葉だけを知っていても、たぶんダメなのである。

これは数学や物理の公式にも似たようなところがあって、1つの公式は短いが、小学校の算数から始まって、1次関数や三角関数、対数、微分積分などの知識の裏付けがなければ、理解して使いこなすことは出来ない。

”E=mc2” という公式は見たことがあっても、ほとんどの人は相対性理論がわかってはいない。

それと同じように、人生の教訓を学ぶにも近道はなくて、本を繰り返し読んで、理解して、記憶するというようなプロセスが必要なのだ。

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