都会の暮らしと田舎の暮らし
福井県の池田町で移住者に向けて、移住の心得のようなものが、広報で示された。
作ったのは区長会、池田暮しの7ヶ条というタイトルで、移住する際には「事前にこれらのことを心得よ」ということが書いてある。
例えば、草刈りや雪かき、祭りの準備などの共同作業があるのを断ってはいけないとか、プライバシーはないとか、近所づきあいをしろということなどである。
そして、SNSで物議をかもしたのは「都会風をふかせるな」と「(他所から来た人間が)品定めされるのは自然」という文言である。
僕がはじめてこの7ヶ条を見たときは、そういう文言を見逃していたせいもあって、こういうものはあったほうがいいのではないかと思った。
釜石市では地域おこし協力隊を受けて入れているが、東京などの都市部からやってくる協力隊メンバーは、やはり最初は雪かきなどをしなかったり、食べ物などをもらっても、何も返さなかったりする。
そのうちに雪かきなどの要領を覚えたり、遠方に行ったときにおみやげを買ってきたりするようになるのだが。
かくいう僕自身も、最初は雪かきなども意識がなかったし、町内の草取りの回覧が来ても他人事のように思っていて、気にもしていなかった。
釜石で出会った妻が結婚前に、復興支援員で仮設住宅に住んでいたため、結婚後、教えてもらったという次第だ。
人のことは言えないのである。
僕は幸運にもなのか、単に耳に入らなかっただけなのか、地元の人の逆鱗にふれるようなことはなかったが、移住者がルールや慣習を知らずに、地雷を踏んでしまうことは当然あるだろう。
郷に入りては郷に従えである。
一方、SNSでのコメントを見ると、「こんなコメントを見て移住する人がいるわけがない」とか、過激なものでは「変われない地域は自滅すればいい」というものもあった。
確かにもうちょっと文言に注意したほうがいいだろうと思うところはあるし、広報に載せるのはどうなのかという話もある。
作るのは作ったとしても、移住してくる人に個別に面談などする際に「スッ」と出すのが、適当なのではないかと思う。
運営しているコワーキングスペース、co-ba kamaishi marudaiでは、入会の際に、会員規約を説明するが、会員を誘致する際には、そんな話はしない。
契約の直前か、場合によっては後になったりすることもある。
そのタイミングなら、意思が固まっているので、ネガティブな要素も受け入れやすい(または受け入れざるを得ない?)。
コワーキングスペースと言えど、コミュニティなので、それぞれが好き勝手にするのは、お互いにとってよくない。
コミュニティには必ずルールがあるのだ。
それはともかくとして、SNSや動画などで都会に住む人のコメントを見ていて感じたのは、人から干渉されるのが嫌だとか、プライバシーがないのが嫌だとか、共同で行う作業に参加するのが嫌だから、田舎も都会のような社会構造に変えるべきだと、暗に言っている人が多いことだ。
僕が思うに田舎に移住したい人は、隣に住む人の顔も知らず、コミュニティが存在しない都会に住みづらさを感じていて、もっとおせっかいしたり、いろいろ心配したりしてくれる人、子育てをしていたら、子どもの面倒などを見てくれる人がいるような地域に住みたいのではないだろうか。
そうでない人は、確かに都会の暮らしのほうが合っているだろう。
すなわち、それは好みの問題ではないかと思う。
一方で、現代の社会は公共サービスが充実している代わりに、税金がどんどんふくれあがっている。
むしろ、田舎のように自治の一部を住民が行う方向に回帰したほうが、トータルコストが下がる可能性もあるのではないかと思うところはある。
働き方改革で時間が出来るようになったら、コミュニティの活動に参加するのはいいことかもしれない。
必ずしも都会の暮らしがいいものとは限らないし、持続可能ではない可能性もあるだろう。
いずれにしても、こういった都会と、田舎の二つの自治のあり方について、明確にどちらが正しく、どちらが間違っているとか、どちらにどういうメリットとデメリットがあるかということを想定するのは難しい。
ただ、1つ明確にわかることがある。
僕が住んでいる釜石市は、三陸のリアス海岸を含んでおり、小さな漁村集落が点在している。
三陸の典型的な地形は、手の形に似ていると説明されることがある。
川が流れ込むところが、指の股に当たる部分で、指が半島、指の間が湾だという。
指の股の部分が、平地であり、人口が集積している地域である。
津波が来ると、その人口集積地にあたる河口の平地を襲い、川を逆流する。
漁村はこの河口近くにもあるが、指に当たる半島のところどころにある入り江にもある。
これらは小さな集落で人口が数百人、百人に満たない集落もある。
釜石には、こういう集落が、僕の認識している限り8か所ある。
ちなみに半島は、箱崎半島、尾崎半島と、その他に、釜石湾と両石湾をわける半島(馬田岬)、唐丹湾と吉浜湾(大船渡市)を分ける物見山半島などがある。
東に伸びる尾崎半島には、北側の釜石湾に尾崎白浜、その裏側に当たる南側に佐須(さす)という集落がある。
僕の友人に佐須出身の人がいるが、ある時、彼が三重県四日市市でパネルディスカッションに登壇すると聞いた。
四日市市は僕の地元の鈴鹿市の隣だ。
日程が、たまたま僕が鈴鹿に滞在している時だったので、聞きに行くことにした。
そこで東日本大震災の経験を語ったのは、友人の他に宮城県石巻市で、当時、高校生だった人を含め、二人だった。
この二人の話が、同じ災害の被災体験なのに、全く違ったのだ。
石巻市とは宮城県では仙台に次いで人口が2番目に多く、約14万人と釜石の4倍ほどである。
三陸海岸の南端に位置し、中心市街地は三陸の典型的な海岸と比べると遠浅の海岸に接する。
地理学的にはわからないが、あくまで僕の印象としては、中心市街地のある北上川の河口より南は、もはや三陸海岸ではない。
平地が広く、端的に言うと釜石よりはかなり「都会」である。
その石巻市在住の人の話は、被災地に住んでいない人のイメージ通り悲惨だった。
特に問題だったのは「飢え」だ。
30人の教室で一つのカップヌードルを回して、一本ずつ食べたというような過酷な時期があったらしい。
一方、僕の友人は道路が壊れてしまって、孤立はしたものの、佐須と半島の反対側の尾崎白浜の住民が助け合って、それほど苦労はなかったという。
その辺りの漁師の家には「ストッカー」と呼ばれる、大きな冷凍庫があり、常時、海の幸が満載されているという。
その中にはウニやアワビ、イクラなどの高級食材もある。
文字通り、そのストックを住民同士で提供し合ったため、平常時よりむしろ高級な食事をとることが出来たという。
電気がとまったので、ストッカーの食材を早く食べなければいけなかったからだ。
都市部と漁村で、これほど大きな差が出るのだと驚いた。
漁村であれば、ストッカーの食材を食べつくしてしまっても、海から調達することは可能かもしれない。
海産物だけでなく、その辺りは、時期的に山菜もとれたはずだ。
人口も多くないため、孤立してインフラが壊れたままでも、かなりの期間、食いつなぐことは出来るはずだ。
燃料の木はふんだんにあるし、水は湧水がある。
これこそ、田舎の強さである。
一方の都市部は異常事態に対して、きわめて脆弱であることが見て取れる。
震災後1ヶ月経った頃に、釜石や石巻をおとずれたが、宮城県のガソリンスタンドは1km以上並んでおり、コンビニの食べ物はなにもなかった。
食べ物のみならず、ティッシュペーパーなどの消耗品、生活に必要な物資もなかった。
物流が止まってしまうと、たちまち普段の生活が立ち行かなくなることに、東日本大震災の直後に、初めて気が付いた。
14万人程度の都市でそうなるのだから、もし東京で直下型大地震などの災害が起こったらどうなるのか。
考えるに恐ろしい、地獄の様相を呈することは間違いない。
建物が倒壊し、電車、地下鉄がストップ。
道路は渋滞で少しも動かなくなり、被害に遭った人を救うことも出来ず、病院もパンク。
食べ物も物資も、供給がとても追いつかない。
大半の人間が歩いて逃げたとして、いったいどこに収容できるのか。
共助のシステムも出来ておらず、自然の中や、屋外で過ごした経験もない。
釜石あたりにいると、東京生まれ東京育ちの人が「虫が怖い」というのを聞くことがあるが、そんな人が屋外で生き延びることは出来るのだろうか。
池田町暮らしの7ヶ条の最後には、自然の脅威をうたった条文がある。
2004年に豪雨災害を受けて以来、地域防災力を高める取り組みを推進しているらしい。
都会の暮らしは平常時は便利で、ストレスがないかもしれないが、果たして災害時にどれほどの苦難があるか、想定している人がどれだけいるだろうかと思う。
東日本大震災では、東京は震源地でないのに帰宅難民が、駅で一晩過ごしていたという記憶もある。
果たして長い目で見ると、都会の便利な暮らしと、田舎の一見不便な暮らし、どちらが優れているのだろうか。