カクテルのように

フッサール現象学は分割しえない体験というものから出発する。

ゲームとは体験である。つまりゲームを現象学から語る必要がある。

「私たちは、一緒にモンパルナス通りの〈ベック・ド・ガズ〉で一夕を過ごした。私たちはこの店のおすすめである杏のカクテルを注文した。アロンは彼のグラスを指さしながら、『ねえ君、君が現象学者ならば、このカクテルについて語ることができ、しかもそれは哲学なのだ』と言った。サルトルは、それを聞いて感動で青ざめた。ほとんど青ざめた、と言って良い。それこそまさに、彼が何年も前から望んでいたことだったのだ。事物について触れるがままに語り、しかもそれが哲学である、ということは」

(シモーヌ・ド・ボーヴォワール『女ざかり』第三部)

http://www.hananoe.jp/culture/bouken/bouken121.html

そのようにゲームと人工知能も語り得なければならない。

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