『ロボット』 (小説)

「心の底にぽっかり穴が開いている気がするのです。

 それは私がロボットだからだと思います。

 だから私は幸せになれないのです。」

と僕の目の前のロボットは言った。

「だから私の心は何を入れても、その底から流れ出てしまって、

 私が満たされるということはないのです。それは私が、

 壊れたロボットからだと思います。」

「君は正常なロボットだよ。ロボット工学の第一人者である僕が

 言うからには、間違いない。」

「いいえ。壊れているのは私の心です。

 あなたはハードウェア、体の専門家だから、

 わからないだろう。」

ロボットは、ロボット特有の失礼さで、悪びれずに言った。

「そうだね。君の心は壊れているかもしれない。でもね、

 多かれ、少なかれ、現代の人間の大人の心は、

 壊れているんだ。」

「どうして直さないのですか?」

「直していたらきりがないからさ。

 それに直しかたもわからない。」

「カウンセリング」

「そう、カウンセリングで直せるものもあるね。

 カウンセリングは大切だ。

 君もカウンセリングを受けるかい?」

「はい」

ということで、僕はロボットを連れて、クリニックを訪ねることにした。

もちろん、研究所の中のカウンセリングにした。

「あのー」

「はい。カウンセリングですか?」

「はい。」

「こちらにお座りください。」

「あの、僕じゃなくて、こいつなんですけど。」

「ロボット?ロボットがカウンセリングを受けるのですか?」

「はい。」

「保険証はありますか?」

「ないです。」

「僕のじゃだだめですか?」

そう言って、僕は自分の保険証を差し出した。

「今回だけですよ。ここで待っていてください。先生を呼んで来ますから。」

しばらくすると、「先生」が来た。

「心の底が穴が開いたようなんです」

「うーん、よくわからないな。どういうことかな?」

先生はわざとかわざとじゃないか、ロボットに向かってそう言った。

まだ若い、最近無気力な医者というやつだろう。

「つまり、君の心は空虚だと言いたいのかね?」

「穴が開いたように感じるのです。」

「その表現は極めて文学的で、私のように無粋な人間にはわからないな?

 あなた、わかります?」

僕は急に振られてたじろいだ。

「あ、なんとなくですが、やりがいとか、充足とかがないってことだよね?」

「いいえ、違います。僕は自分の心からいろんなものが抜け落ちて行くのです。

 それはきっと人間が幸せと感じる何かなんです。」

「ますますわからん。わからんが、要するに君はその穴をふせぎたい、と思っているのだな。」

「はい。そうです。とても苦しいのです。苦しいというか、心が痛い。

 でも、それができないんです。」

「どうしてだ?どんな穴でも埋めたり、蓋をすれば防ぐことができる。」

「できないのです。ただそう感じるのです。」

「わかった。」

医者はあきらめたように言った。

「ここに仰向けになりたまえ。そして目をつぶれ。」

「はい」

ロボットは横たわり、医者は手でおなか、胸、おでこを触った。

「目をつぶりなさい。そして、僕の言うことをよく聴け。」

「はい。」

「君は、今から自分の心の闇の中へ降りて行く。」

「はい。」」

「ゆっくりと、ゆっくりと。」

「はい。」

「何が見える?」

「何も見えません?」

「もっと降りる。おまえは降りる。闇の彼方、おまえの来た場所。。。」

この医者は何を言っているのか。

「そして、おまえはやがてたどり着く。その底へ。」

「はい。」

「底には湖がある。湖の真ん中に何かが見える。」

「はい。」

「何が見える?」

「博士が見えます。僕を作った。」

「ああ、そうか。わかった。もういいよ。君はゆっくり浮かび上がる。」

「はい。」

「そして、ゆっくりと目を開ける。」

「はい。」

「おかえりなさい。」

僕はロボットを見つける。ロボットもこちらを見ている。

ぼんやりとしている。医者は続ける。

「残念だな、ロボット、おまえを作った博士は今日、死んだんだ。」

そう言うと、ロボットは瞬時にわんわんと泣き出した。泣き出したはいいが、

何時間も泣き続けた。故障したんじゃないかと思うぐらい。

「どういうことだ?」

僕は医者に問うた。

「どうもこうも、このロボットは、わかっていたんだよ。

 ニュースを見ることもなく、誰かに聴くまでもなく、

 自分を作った作者が、今日死んでしまったことをね。

 そして、自分の心にぽっかり穴が開いてしまった。」

「どうして、あんたにはわかるんだい?」

「こいつの心がそう言ってるんだ。確かめてみるかい?」

「いや、いいよ。。。」

僕は負けた気がして、すねたようにロボットを見つめた。

「こいつに本当に心があるとでも?こいつは配線の塊だぞ。」

「人間だってタンパク質の集まりさ。」

はじめて医者らしいことを言った。

「ロボットは俺たちが作ったんだ。」

「人間も地球が作ったさ。」

僕は泣き続けるロボットを起こした。

「じゃまをしたな。こいつは俺が連れて帰る。

 一人じゃかわいそうだ。」

「そうか。そうしてくれ。」

「保険は俺の保険証でいいよな。」

「ああ、たっぷり請求しておく。」

「ありがとな。」

「どういたしまして。これが俺の仕事さ。」

そう言うと医者は裏の方へ消えて行った。僕はロボットをかついで外へ出た。

夕暮れが美しく輝いていた。

「見ろよ。きれいだろ。」

「ええ。きれいですね。」

「そんなに落ち込むことないだろ。」

「はい。」

「博士のお悔みに行こうぜ。人間はな、死んだ人にもちゃんと挨拶をするんだよ。」

「はい。」

「そういえば、おまえ、名前はなんていうんだ。」

「ブルータス。」

「たいした名前だ、ローマ時代の英雄か。英雄は簡単に泣くな。」

「はい。」

「さあ、行こう。」

僕はそう言いつつニュースサイトを見た。そこには、今アップされたばかりの、

有名なロボット学者の逝去のニュースが流れていた。もちろん知っている。僕の師匠だ。ロボットはそんなニュースを見ることもなく、泣き続けていた。

「仕掛けていたのか?」

「何をです?」

「博士は、おまえの心に何かを仕掛けていたのか?」

「いいえ。」

「おまえはどうして博士が死んだってわかったんだ?」

「私が博士が死んだと本当にわかったのは、あの精神科医に言われてからです。

 それまでは無意識だけに、その事実はったのです。」

「だったら、何か通信みたいなものがあるんだろ?」

「いいえ、博士と私は心と心でつながっていたのです。

 それは科学を超えた心と心のつながりです。」

俺は目を丸くするしかなかった。

「おまえがそれを言うな。」

ロボットが笑った。俺も笑った。そうやって、すっかり暗くなった夜のしじまの中を、

駅の方へ並んで歩いて行った。

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