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憧れにはまだ程遠いけれど (はじめてのnote)

昔から、話すことより書くことの方が好きだった。

中3の時に書いた作文は「私は、話すことが苦手です。」で始まる。臆病で、気にしいで、何かを口に出して後悔することが怖かったあの頃。年を重ねて、世間話は上手になった。話し下手であるならば、聞き上手になればいいのだと学んだ。

しかし、やはり聞いているばかりではいられず、自分の中にあるものを口に出さなければならない時もある。そんな時はやっぱり一苦労だ。そしてごくたまに、心の奥底の方に眠る、いつもは人に見せないものを言葉にしようとする時、いくつになっても言葉はよく涙に変わってしまう。

口に出せなかった言葉をよく文字にして紙の上に並べてきた。母や、かつて新聞記者だったという母方の祖父母がとにかくよく読み、よく書く人たちで、ことあるごとにFAXや手紙を受け取っていたから、その影響を受けたのかもしれない。

私も、文字を書けるようになった時から、友人や家族の誕生日には欠かさず手紙やカードを書いた。両親と仲違いして、口では思いを伝えられなかった時には、置き手紙を書いた。文字には日ごろ口には出せなかったものが、たくさんつまっていた。

日記もよく書いてきた。日記、というほどきちんと日々続くものではないが、嬉しい時、悲しい時、自分と向き合いたい時、ノートに向かい、外に出すことのなかった気持ちを何ページも綴った。

しかしながら、話すことより書くことが好きだからといって、作文やエッセイのようなものが得意かといえば、全くそうではない。

多くの人の目に触れるかもしれない、と思うと途端に気にしいで見栄っ張りな自分が顔を出す。うまく書かなきゃ、面白いと思ってもらわなきゃ…いつの間にかそんなことを考え始め、すると、いつものようにさらさらと言葉が流れてきてはくれなくなる。

noteは私の憧れだった。素敵な文章を書く人がたくさんいる。私もあんな文を書いてみたい、そう思ってアカウントを作ったのは1年前だっただろうか。アカウントを作ってみたものの「いや、私はそんな文書けないよ…やめとこう?」「もうちょっと文章が上手になってからでいいんじゃない?」そうささやく自分もいた。葛藤しているうちにあっという間に1年が過ぎてしまった。

でも、もうちょっと上手になったら、って、その「もうちょっと」はいつ達成できるのだろう?突然自信なんて湧くだろうか。このまま葛藤を続けていたら、きっとただただ時間が経ってしまう。

それならば、下手でも、拙くても、ありのままの自分で始めてみたらいいんじゃないか。みんな最初は初心者のはずなんだ。(あと私が気にしてるほど人の目に触れるものでもないのかもしれない。) 

そんなことを考えて、えいや、とnoteを始めてみます。いや我ながらなんとぐだぐだな文。

まだまだ私が憧れるような、いろいろな方の素敵な文章にはあまりにも程遠い。でも、見栄を張らずに、初心者な自分を見せることを恥ずかしがらずに、少しずつよいものが書けるように挑戦してみます。千里の道もなんとやら。

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