#033_自分が作った曲に対して誰にでも作れる内容だと感じたことはありますか?
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#033_自分が作った曲に対して誰にでも作れる内容だと感じたことはありますか?

宮内 優里 / MIYAUCHI YURI

いつも宮内さんの楽曲を気持ち良く聴かせて頂いてます。

相談したい内容は、
・自分が作った曲に対して「こんなの少し理論が分かる人間なら誰にでも作れる様な内容じゃないか」と思えてしまうが宮内さんも作曲したての頃その様なことを感じられた事があるかです。

私自身について、3年前から曲作りを始めて十数曲配信もしています。
自分の曲のジャンルが分からないのですが、インストでイージーリスニング寄りだと思います。

構成としてはギター、ベース、ピアノ、エレピ、ビートが主楽器で実際に弾けるのはギターとベースのみです。1人で全パートを作っている事である種自分の想像の範囲内で曲が完結してしまう事が良くないのかなとも思いますが、世の中には1人で素晴らしい曲を作ってる方が何人もいるしなぁとも思います。

また、学生時代にジャズフュージョンにしていて難しいソロや曲構成にプレイヤーの唯一無二性を感じていた事が原因の一つかも知れません。
でも作りたいのは今の雰囲気なんです…

乱文で申し訳ありませんが、ご回答頂けると嬉しいです。
宜しくお願い致します。

一旦飽きるまでやってみる、でいいのでは。

どうも、おじさんです。音楽聴いてくれてありがとう〜。悩んでいるねえ。結論から言ってしまうと、そういう悩みはずっとあるかな。僕も別に未だ解決してないし。10年くらいうだうだ悩んだあと、そのまま横に置いたまま数年経ったところで。

相談者さんが思う「理論が出来る方なら作れちゃうのでは」という悩みは、とりあえずそう思っててもいいのでは、と思っちゃった。ちょっと冷たい言い方だけれど。僕も悩みとしてあったけど、今となっては安心してないから成長できたとも思えるし。悪くなかったなと思っている。

僕の話をすると、20代の頃はそんなことを考えながらも、実際にはあんまり腰を据えてしっかりと考える時間はなかったかな。アルバイトしながら、空いた(空けた)時間で音楽を作ったりライブをしたりという感じだったから。楽しかったけど、余裕はなかった。

レーベルがバンバンお尻を叩いてくれたのも、良かったのかもしれない。足を止めて考えるなんていう時間は数年前までなかったけれど、それはよかったのかなあ。実際振り返ってみると、きちんと向き合っていたらもっといいものが作れていたのかなと思うと、それは案外わからないんだよなあ。

でもコロナで一人の時間が増えたり、情報とかも膨大に入ってきて、今は自分と向き合っちゃったり、客観視しちゃうよね。良くも悪くも。

一緒に送ってくれた音楽(ここでは載せないでほしいということだったので感想だけ。)も聴かせてもらいました。言ってることはなんとなくわかったかも。笑

楽器の演奏やプログラミングもいい感じだし、ミックスも構成も上手だなあと思った。3年ですごいよね。全体のクオリティは高くて特に言うことはないけど、個人的な好みで言うとその「上手さ」みたいなのが面白みにかける感じが少しあるかな。良くも悪くも器用というか。デザイン的というか。

そういうところが気になるところなのかな?自分が気に入っているなら全然アリだと思うけど。

とにかく、悪い進み方はしてないと思ったので、とりあえず行けるところまでそのまま突き進んだら良いと思う。一生懸命やってたら、たぶん飽きて絶望するから。笑 僕はそうだった。2014〜16年頃かなあ。音楽制作もライブ活動もこれ以上成長の伸びしろ(本質的にもビジネス的にも)がないような行き詰まりを感じて絶望したのを覚えている。

そのへんから居心地の良さを求めて、それまでの活動と並行してBGMだのYACHIMATA(今のLOGというシリーズ)だの好き勝手やりはじめるんだけど、それが今のやりたいことにしっかりとつながってきて。そのときに狙ってたわけでもなかったんだけど。だから絶望して本当によかったなあと思っているよ。

今、まだ絶望せずに迷いがあるくらいならそれはまだ成長する余白があるということだと思うから、そのまま全力で進んで、絶望する前にできることをたくさん増やしておくと良いかも。それがバランス感覚みたいなものになって、可能性が広がったときにある程度自由になれたと僕自身思うよ。

その広がりと同時に「良いか悪いかよくわかんないけど、好きだからまあいいか」みたいな要素が不思議と混じってきて、前よりも音楽を作るのが面白くなってきたかな。

だんだんと理由や根拠がわからないのにいいなと思えるものが一番信用できるようになってきた。今、本当にやりたいことは常に自分の意識の外にあると思っている。

自分の頭(僕の頭の話ね)でひねり出せる音楽なんて全く信用しなくなっちゃった。完成までイメージしてプラン通りに作るのは、向いてないかなあ。そのへんは努力もしてきてないから、当たり前なんだけど。そういう努力はどうも真剣になれないんだよなあ。

正直に言うと「どうやったらまぐれって出るのかな」っていう甘い考えで20年くらいずっとやっているんだと思う。効率は非常によくないんだけど、しつこくやってるとラッキーが出てくる、の繰り返し。それが努力といえばそうかもしれないけど、嫌なことから逃げてるだけだからあんまり僕はそう思ってない。だから自信がつかない。笑 

ただ事実として、結局それが自分にとっては驚けたり、テンション上がるし、やっていて楽しいんだよなあ。だから続いている。

自分の子どもとか見ていると、努力とかと程遠い感覚で日常で頻繁にそういった「まぐれ的な良さ」を出してくるんだよね。描く絵もそうだし。なんか鼻歌のメロディや歌い方がすごい良かったりとか。知らない角度から胸を掴まれる感じ。そういうのは理論とかけ離れてて。そういうものにとてもあこがれている。お笑いが大好きなのもそうだなあ。

そういうまぐれが自分から生まれるときが、僕は本当にうれしくてたのしくて。そういう瞬間がたまにあると、他人が出来るか出来ないかとかはあんまり考えなくなるかも。どうせ自分だってまぐれなんだから、他人が出来ても案外よかったねえなんて思えたりもするし。「唯一無二」みたいなこともそういう中で一緒に横に置いておけるかも。

まぐれはなかなか出ないけど、どうやって出るかなんて毎日考えつつも半分はわからなくていい気がしていて。よくわからないから楽しいんだなあとも思うし。今は割と楽しいからいいかな、という感じをできるだけキープしながら、僕はしばらくは行ってみようと思っているよ。

※おじさんに相談してみようかなと思った方はこちらから。
https://www.miyauchiyuri.com/ojisan

いえ〜い!
宮内 優里 / MIYAUCHI YURI
作曲や演奏を仕事にしています。 ここではJust a Good OJISAN!と題して「ちょうどいいおじさん」を目標に、音楽を中心にいろいろと相談に答えています。 相談の投稿はこちらから。 https://www.miyauchiyuri.com/ojisan