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リリック with エッセイ

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オリジナルのリリックにエッセイを添えて・・・。
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#ビジネスエッセイ

分かち合うための強さ

大人の世界、大人の事情がある一方で、子供の世界、子供の事情も存在します。家庭内のさまざまな悲しい事情は、双方に大きな影を落とすでしょう。何らかの問題に対して、大人なりに子供の事を考えて結論を出しても、子供はそれを受け入れるため、多くの時間を要するかもしれません。ただ、気持ちの整理がつかない、落ち着かない状況でも、自分のすべきことや、心が求める正義に対して、正直になれる「強さ」を持つ。たとえ子供であっても、そんな強さを持てるのではないでしょうか。そのためには、友が、師がその想い

春待ち小唄

日本には、四季を感じることば、文化、風習がある。都会にいても、それは多少なりとも感じ取ることができる。ただ・・・ビジネスや日々の暮らしにおいては、すべてが高速化、効率化、簡便化されて季節感をゆっくり味わうことが少なくなったように感じるのは、私だけではないと思っている。録画されたテレビ番組を1.5倍速で見る若年層も多いと聞くが、スローな文化も一方で認める寛大さに期待したい。 「春待小唄」 立冬 過ぎし 霜月は 感謝と祈り 幼子の 七五三から 実りの 初穂 八百万の国 惟神(

本当のさよなら

別れの涙。それは、ある程度の時間を経て、訪れることもある。別れた人の姿、生き方、愛情が実感できたとき、それは自然に流れ落ちるのかもしれない。そのとき、人は、本当のさよならをすることができるように思う、過去を思い出として、引き出しに納めることができるのではないか。 「冬の山ひとり」 吐く息白く 冬の山 歩く 峠の道 ひとり むかし二人が 教えてくれた 見晴台へ 石畳  遠くに 白き アルプスが オレンジ色に 染まる 夕暮れ 思い出す旅 冬の山 歩く 峠の道 ひとり 父と母

フェードアウトという終わり方

ビジネスにも、恋愛にも、人間関係という面でみると、終焉は大なり小なり必ず存在する。ある関係性の終わり方には、ケンガ別れ、円満な別れ、音信不通などの自然消滅等々あり、パターンを数えればきりがない。つまり、人の顔や指紋がひとりひとり違うように、十人十色。ただ、終焉に向けた何らかのアクションについては、それを出す側、出される側と、多くの場合ほぼ間違いなく両者が存在すると思っている。もし、終わりを告げられたら、どんな姿勢で臨みますか?言いかえれば、終わりのマネジメント。まあ、これも、

価値感の変化

時代とともに、ビジネスツールは進化してゆく。とともに、その段取りや展開方法も変わる。だが、どうだろう。それを操るビジネスマインドは?いまが変化の過渡期にあるように感じるのは、私だけではないだろう。それに人はついてゆけているのだろうか。過去と同じように、集団のなかで流されるままに、変化を変化と認識しないままに、自分を見失っていないだろうか? これまで崇め祭ったものが、実は大して価値を感じなくなったりする。そんな価値観の変化を感じるのが、今なのかもしれない。 だから、自分がし

原風景のありがたさ

ふるさと。たとえ都会生まれ都会育ちでも、生まれ育った場所は、ふるさとで間違いない。成長するにつれ、様々なものを身につける。知識、経験、処世術。それが、ビジネスや仕事には欠かせないものになる。でも、その一方で、それが重荷になることはないだろうか?そんなとき、ふるさとに想いを馳せてみたい。自分の欠損を埋めたくて、ひたすら背負い続けたものを一瞬でも、下ろすことができるかもしれない。 四国愛媛八幡浜市の風景に、その想いをのせて。 「原風景へ」 こころ裏腹 現世(うつしよ)に 帰

すべて、夕陽に溶かして。

四国愛媛の西にある港町、八幡浜。大都会のキャリアウーマンから、Uターンして主婦へ転身。忙しい日常を、笑顔で乗り切る女性は何をモチベーションにして頑張るのか?ダンナ、子供のため?それも当然だろう。しかし、一番大切なものは、ありのままの素直な自分をキープすることかもしれない。嬉しいことも、辛いことも受け入れて。 「すべて、夕陽に溶かして」 パートの帰り 夕陽に染まる 街を抜け 埠頭のマルシェへ ハンドルを切る 献立 掃除 エトセトラ 日々のルーティン 心にアクセル 上げ膳据え

トンネルの向こう側

いま辛い、いま苦しい。ビジネスの中で苦難と向き合っている時間がある。結末は見えない。ただ、その瞬間に味わうことは必然かもしれない。人生の設計図通りに、コトは運ばれているのかも。しかし、プレーヤーにはそのカラクリは分からない。つまり、ただ苦しむ戦士たちなのである。 「To the future」 本当の自分に戻る その日まで 心から笑える その日まで 悔しさを押しこめた笑顔なんて 見たくない 満たされてない 作り笑顔・・・見たくない 街のショーウインドウが 映し出す 張

未完成が完全という考え方

大きくマイナスに振れた針は、やがて同じレベルでプラスへと振れてゆくでしょう。振れ幅が極端になればなるほど、訪れるプラスも大きくなる。そう信じたいのです。人生には、仕事に、恋に、家族にと、さまざまな試練があります。何も信じられない時期もある。この世に救いの神はいるのだろうかと思いたくなる感覚。それでも生きてゆき、どん底から一歩ずつ這い上がることが、「ほんとうの自分」に帰る一歩になるでしょう。「差取り」で「悟り」に向かいはじめる一歩になるのではないでしょうか。未完成である自分だか

ほんとうの愛とは。

ほんとうの愛ってなんだろう?偽善ではない、心の奥から湧き出る愛。それは幼い頃に感じたものかもしれない。記憶にも残らないほどの幼子の記憶のなかで。人は大人になるにつれて、愛に条件をつけたがる。地球という牢獄のなかの掟であるかのように。ピュアな人ほど生きづらいのが、この地球なのかもしれない。それでも、ほんのわずかな一瞬の愛の記憶。そこに光を当てて生きる、自分を照らす光にして生きる。一歩ずつ。そんな考え方もあるかもしれない。 「地球の片隅で」 絶望の暗闇 窓から見える景色さえ

うつし世で、できること。

現世(うつしよ)に生きる私たちは、意図せず、または知らない間に誰かを傷つけたり、逆に傷ついたりすることがあるのではないでしょうか。悪意を持つ場合を除いて。結果、やさしさや、慈悲の愛を持つことに、無意味さを感じることになるのでしょう。目には目を・・・的に生きることが自分を守ることになると。確かに自己防衛は重要で欠かせないことです。ただ、それが度を過ぎないようにしないと、冒頭に書いた、不可抗力で自分が加害者になったことへの反省の念は、生まれてこないでしょう。ただでさえ、日々生ある

壮大な舞台の上で

我々が住む地球は、時速約1,700kmで自転しているそうです。かなりのスピードですね。そして、公転は秒速30kmで太陽のまわりをまわっています。さらには、太陽系を有する天の川銀河は、秒速600kmで宇宙空間を疾走しているらしいのです。我々の肌感覚とは、かけ離れた宇宙の偉大さを感じます。でも、その地球では、何が繰り広げられているのでしょうか?神の作りたもうた地球という環境、土台のうえで、我々は何をしているのでしょうか?時には、この壮大な仕組みのなかで生かされていることを感じてみ

人生コレクション

生き急ぐという言葉があります。時折、自分が何を求めてこのビジネス、この仕事をしているのか?ただ日々を同じように過ごすだけ。そんな感情も人間なら当然です。「これでいいのか?」という否定的な疑問でなく、人生のコレクションをゆっくり・着実に増やしているだけ。そう考えていいのかもしれません。 「人生コレクション」 冬の朝 白い息 吐きながら 自分の 歩く道 見つめる どこに つながって どこへ向かって いるのか  分からない もしかしたら 分かろうと しないだけ いつもの時間 い

輪廻の果てに

刹那に生きることも、一つの経験。ビジネス現場でそんな生き方をする若者もいるでしょう。あえて良心を押しこめて、何に向かっているのかもわからないままで。「今だけ、金だけ、自分だけ」の生き方をしながらも、時には立ち止まって「これでいいのか?」くらいは感じるのも事実でしょう。戦う相手は、案外自分自身なのかもしれません。「国破れて山河あり」には、人が地球にとって刹那の存在ということを、示唆してくれているように思います。「海は死にますか、山は死にますか」万葉のむかしも、そんな問いかけをす