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秋葉原の都市形成について

大学で秋葉原の歴史をまとめるレポートを書いてなんか勿体無いので! noteに! 

秋葉原の都市形成

⽬次

  1. はじめに

  2. 秋葉原とは

  3. どのようにして電気街は形成されたのか

  4.  萌えの街への変貌

  5.  秋葉原の都市形成

  6.  まとめ

  7.  参考⽂献

1 はじめに


 秋葉原に対するイメージは世代によって異なる。電気の街、パソコンの街、萌えの街。特異とも⾔える様々なイメージを持つ秋葉原がどのようにして形成されたのか、その歴史と成り⽴ちから敷衍して未来の都市のあり⽅について考える。

2 秋葉原とは


 そもそも秋葉原とはどこにあるのか。⼀般に秋葉原と呼ばれる地域はJR秋葉原駅⼀帯の東は昭 和通り、⻄は昌平橋通り、北は蔵前橋通り、南は神⽥川までとされる地域のことをいう。明治期には交通形態の⼀つであった「⽔運」の結節点として1890年(明治23年)に現在の秋葉原の 位置に貨物駅が建設され、物流の要として⼤正期には隅⽥川駅に次いで2位の貨物取引量を記録している。この明治期、⼤正の初めにはまだ電気や電⼦と⾔った⾔葉は秋葉原に存在しなかった。

3 どのようにして電気街は形成されたのか


① 戦前の秋葉原
 1925年のラジオ放送の始まりが⼤きな転機となった。ラジオは簡単な部品の組み合わせにより作れることから⼯学系の知識を持ち合わせた⼈々がこぞってラジオの制作に取り組み始めた のである。そのため部品の供給が⽋かせなくなり「電気材料卸売商」なる卸売業と⼩売を同時に⾏う業者が東京の各地に現れるようになる。この時点では電気店が秋葉原に集まっているわけではなかった。

② 戦後の電気店の乱⽴
 復興の中でラジオだけが重要な情報を流し、娯楽を提供していた。その需要からかつて店舗を 構えていた業者が再び業務を再開することとなる。秋葉原は⼭⼿線・総武線・地下鉄・都電が重なる場所であり、⼈々が集まる場所であった。そのためラジオ部品は⾶ぶように売れ秋葉原 に次々と電気店が開業するようになる。「秋葉原に来ればなんでもある」という評判が⽣まれ、その噂がさらに店舗の開業を促進し、そのことがさらに秋葉原に⼈を呼んだ。様々な企業が⽣まれ、店舗を持つ⽼舗の電気店といわゆる闇市の中で露天商として営業していたグループ に分かれる。しかし1949年にGHQは闇市⼀掃を⽬標に「露店営業整備計画」を⽴ち上げる。 この計画によって秋葉原の露店も⼀掃され電気商は総武線のガード下に集合店として移されることとなる。

③ 家電ブーム
 秋葉原の電気商は卸売業と⼩売を同時に⾏っていたため、電気部品が安く帰ることで有名であった。家電の販売が始まる1950年代でもその噂は絶えることはなく「秋葉原は安い」という評判が客を呼び、⽇本中から⼈々が秋葉原に集まった。その結果数⼗に及ぶ電気店が家電の⼤量仕⼊れ、⼤量販売を⾏うようになる。この時期の秋葉原は全国の家電売上のおよそ⼆割を扱っているほどでありその規模は巨⼤であった。

④ 「電気街秋葉原」の完成
 60年台に⼊ると秋葉原は様々な紙媒体で「電気街」の呼称をされるようになる。「電気新聞」 や「電波新聞」といった業界誌や「電波科学」や「トランジスタ技術」といった⽉刊誌などで 「電気街」の呼称が使われるようになる。60年代には電気店の数は500店を超えるほどであった。

4 萌えの街への変貌


① パソコンの街秋葉原
 70 年台後半に⼊り、家電の販売に陰りが⾒え出した秋葉原はパソコンの街へと変貌を遂げた。ラジオ会館(1962 年建設)の 7 階に NEC 秋葉原ビットインというパソコンの前⾝であるマイコンのサポートセンターのような店舗が開店したのがその始まりとされている。ラオックス を代表とした様々な電気街の店舗がパソコンショップを開店し、秋葉原はパソコンの街へと変 貌を遂げた。そこから変化が起きたのは 90 年台後半のことであった。

② 秋葉原的なアニメとは
 ⽇本のアニメの規模は⼆兆円規模の売り上げを記録する⽇本のクリエーティブの⼀⾓を担う重要なジャンルである。「ドラえもん」「鉄腕アトム」「AKIRA」、そして宮崎駿の「もののけ 姫」は世界的な評価を得た。しかし秋葉原でいうところのアニメはそうした正統派な世界では ない。美少⼥キャラクターが多く出てくるようなアニメである。その発端は 1995 年に庵野秀 明が監督を務めたアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」にあると⾔われている。主⼈公になったつもりで世界の破滅を⽬の前にした「君と僕世界」に⾃⼰投影をする。このような傾向が現れ始めたのは 1970 年台からであり、銀河鉄道 999 のヒロインである「メーテル」がオタク的美少⼥の元祖と⾔われている。こうした夢想のアイドルであった美少⼥は次第にアニメの主⼈公として鑑賞されるだけではなく、美少⼥ゲームの対象へと変化を遂げていくのである。

③ 美少⼥ゲーム
 美少⼥ゲームは恋愛シミュレーションゲームの⼀つである。⾃らが主⼈公となりストリーの中に登場する多様なキャラクターのなかで⾃分が気に⼊った相⼿との恋愛を楽しむ、というゲームのことを⾔う。別名ギャルゲー(エロゲー)とも呼ばれている。この美少⼥ゲームがパソコンをゲーム機として活⽤したことも秋葉原との繋がりの⼀環とされる。

④ 海洋堂の出店
 1997 年に秋葉原の萌え化が始まったとされる。それまで渋⾕を拠点としていたフィギュアショップの海洋堂が秋葉原のラジオ会館に出店したのである。パソコン発祥の地とされるラジオ会館にフィギュアショップが⼊ってきたことは萌えの街への変貌の象徴的な出来事とも⾔える。海洋堂は出店後エヴァンゲリオンのブームも伴い売り上げを急速に伸ばし、「ゲーマー ズ」や「アニメイト」などといったアニメや漫画を売りにする企業が⾬後の筍のように秋葉原 に出店するようになる。そして 2001 年に秋葉原の象徴とも⾔えるメイドカフェが秋葉原に開 店する。

5 秋葉原の都市形成


① それまでの都市形成
「萌えの街秋葉原」ができるまでの過程はそれまでの⽇本の都市形成とは別の道を通ったとされる。1960 年代は⾏政と建築家が⼀体となり、アメリカのルードビッヒ・ミース-ファン-デ ル-ローエのデザインを模倣したビル群が形成される、いわゆる「官」主導による都市の形成 が図られた時代であった。それが 80 年代になると巨⼤資本、⻄武や東急といった電鉄系企業によって「無印良品」に代表される⼥性を市場開拓するための巨⼤な舞台装置としての機能を、都市が帯びるようになったのである。

② 秋葉原の都市形成
 しかし 90 年代秋葉原の都市形成においてはそうした巨⼤資本による介⼊や⾏政の主導による都市の⽅向を決定づけるような動きはなかった。萌えの流⼊はそれまでの電気街の商店主も快く思っておらず、秋葉原の街がアニメや漫画で覆い尽くされた後に JR 東⽇本がそのフロアを 買収したように資本が街を作ったというわけではなかった。個⼈個⼈の趣味の⼒が街を変えたと⾔っても過⾔ではない。

③ 「趣都」秋葉原
 外国⼈観光客の秋葉原への来訪は年々増加しておりコロナ前の 2018 年では 500 万⼈を超えた とされている。地域によってその特徴が現れ例えば中国系観光客は「爆買い」と呼ばれる家電 製品の⼤量購⼊を⾏う⼀⽅でヨーロッパからの観光客は街そのものに関⼼を抱いて秋葉原に訪れるという。「otaku」は国際⽤語化し、「アキハバラ」という⾔葉を唱えることによって同じ 趣味趣向の⼈間と巡り会うことができるほど秋葉原の存在はもはや概念化している。

6 まとめ


秋葉原が電気街となったのは交通の結節点であったこと、戦後の電気商の乱⽴とその後の家電ブームによるものであった。その後の萌えの街化とも⾔える現象はアニメの美少⼥⽂化や美少⼥ゲームの隆盛が秋葉原に流れ込んできたことによって形成された。その都市形成はそれまでの⾏政の主導によるものではなく、また⺠間の⼤資本が形成したものでもない新たな都市形成 とも⾔える形を取るものであった。現代は多様性やマイノリティに対する関⼼や尊重が強く出る時代となった。そんな中で⾃らの趣味の解放、街の趣味化とも⾔える秋葉原の都市形成は新たな都市モデルとなるのではないかと考えられる。それまでの「官」や「⺠」の主導によって 都市が形成されるのではなく「個」によって都市が形成される時代に突⼊しているのかもしれない。


7 参考⽂献


秋葉原は今 著/三宅理⼀ 2010 年
趣都の誕⽣ 萌える都市アキハバラ 著/森川嘉⼀郎 2003 年
秋葉原電気街振興会 https://akiba.or.jp/
電波新聞「ミリ波」2019 年 12 ⽉ 27 ⽇
東京都産業労働局 平成 30 年 国・地域別外国⼈旅⾏者⾏動特性調査 結果概要 https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/toukei/tourism/30/
東京都産業労働局 平成30年東京都観光客数等実態調査 https://www.sangyo-rodo.metro.tokyo.lg.jp/toukei/tourism/h30-jittai/

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