みんなガラスの海のなか
『ガラスの海を渡る舟』(寺地はるなさん)読了しました。
ガラス細工って、人間だなって思いました。
出会う人、選ぶもの、行くところ、環境、時代。さまざまな要因ですがたを変え、かたちが変わり、とどまることなくひとつたりとも同じものがない。
ガラスの海のなかで、戸惑って迷子になったり、誤って傷つけてしまったり。そのたびに、変化する人間はガラス細工みたいに繊細で、脆い。うつくしい。
登場人物もまた、ガラスのよう。羽衣子の葛藤、道の戸惑いが、山添さんや西尾さんの孤独が、時には読んでいてぐっと胸の奥を握りつぶされるように迫ってくる。
『誰も誰かにはなれない』
道のことばに胸をうたれた。いびつさも、うつくしさも、それを持つ人ただひとりのもので。わたしがだれかになれないように、わたしであれるのもわたしだけ。どれだけ迷っても、だれを傷つけても、肩代わりしてはもらえない。でも、わたしのよろこびやしあわせもだれにも支配されない、わたしだけのもので。
あたりまえなのに、どうしていつも心に留めておけないのだろう。(そういうとこ含め、わたしなのだけど)
だけども、平等なものがある。死は、ある。だれにでも。平等に与えられたのが人生を手放さるを得ないときがくること、だなんて。
だから、羽衣子と道がつくっているものが骨壷でよかった。
だれもが行き着いたさきで、その人にしかなれないから、たとえふたりがつくった骨壷に入れなくとも唯一のものだ。
わたしの、みんなの、生も死も。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?