一枚の色紙 その3

三度目の色紙画像。

バランスがおかしいでしょう?ねえ、どうしてこうなるの?

羽生の色紙に見られる、配置の妙。その字は色紙の中央にない。左下に寄っている。寄りすぎている。
左下には何がある?将棋盤に照らし合わせたそこにあるのは、居飛車の囲いである。玉である。玉が囲われた、四角の左下に重さがある形を美しいと羽生は認識しているのだ。羽生の将棋脳。

そのような美意識をもってしても、実際に書き上げた色紙を目にしたら、バランスがおかしいなって、真ん中に書こうって思うよね、普通。しかし、羽生の色紙は年々左下が重くなっている。

私は勝手に答える。
羽生の脳内将棋盤は歪んでいるのだ。
脳内将棋盤とは、実在の盤に近いものが脳内に再現され自由に駒を動かせる、とても便利なものだと一般的に考えられている。
しかし、思考に沈む羽生の脳内にはただ文字や数字や記号が飛び交っており、そこに正確な寸法の盤は要らない。羽生の脳内にあるのは、その時々で一部を縮小拡大された、歪んだ盤なのである。羽生の脳内将棋盤は変幻自在に歪んでおり、盤上の5五の位置も歪みにあわせ動いている。その盤の真ん中に決まりはないのだ。同様に色紙の真ん中にも決まりはないし、駒だって斜めに座り、升目からはみ出て自由に遊ぶ。羽生の大盤解説の謎も解けてしまった。


見えているものが羽生の脳内に映し出されると途端、それは踊りはじめる。形を変える。見えている形が違うから、見えにくいものが見える。羽生マジックの謎まで解けてしまった。

羽生は己の美意識にのっとり、色紙の書くべき位置にちゃんと書いているが、踊らぬ脳内将棋盤を持つ者にはそう映らないだけなのである。羽生の最善の見切りから生まれたフォントを羽生の将棋脳に従って配置したのが、あの一枚の色紙。

これらのことに気がついた私は、色紙の「一歩千金」が「つ歩チ金」に似れば似るほど羽生の才を感じ、その字が左下に寄れば寄るほど堅く玉が囲われた美しい一枚だと知るのだ。

もう一度見てみよう(四度目)。


この独特な文字の独特な配置の下に、最強の男による美しい矢倉囲いが浮かんでくるならば、あなたは私と同じくらいにどうにかしている。


おわり


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