例えばこのようなお手紙を貴方に

先日、将棋ファンの方たちと呑んだ。5人で夢のような時間を過ごし、そのうち2人が負傷した。
酔った私は「twitterで、お手紙を書きたいから受け取ってくれる方を募集したのに何の反応もなかった」と愚痴を吐いた。しかし酔いが醒めた昼に思えば、どんな手紙を書くのやらわからぬ馬の骨から手書きの文章など受け取りたくはない、それは真っ当な考えだ。私は水道水をごくごく飲みながら、私のアカウントをフォローしてくださっている方々が真っ当であることを喜んだ。

私は用意周到な人間だ。またお手紙を書きたくなる時が来るかもしれない。その時に、受け取っても構わないという方がいれば安心だ。私は轟く名声より唸る財産より、心の安らぎに価値を見出している。安心が好き。安心最高。
こういうお手紙が届きますよという例文を提示しておけば、受け取っても構わないと思う方が現れるかもしれない。
出来る備えはするべきである。


【例文】

拝啓 三浦先生の端正な横顔が、ほんのりと水中メガネの跡を一筋輝かせては色づく季節となりました。
いかがお過ごしですか?私は元気にお酒を、大量に呑んでいます。

さて、私が何故将棋ファンになったかについてお話したことがあったかどうかを呑みすぎて忘れてしまったので、もし過去にお話したことがあったならば聞いていないふりを、初めての夜のような演技を貴方に要求しながらこのお手紙を綴ります。

あれは2007年のこと、観るともなしに観ていたテレビの画面に、口から内臓が出そうな咳をする和服の男が映っていました。
この男、何度も女子トイレに入るのです。入ってから驚いて出てきます。
入って驚いて出て、入って驚いて出て。
スターどっきり丸秘報告のドッキリドキドキドッキリドキドキみたいになっていました。

将棋のルールもわからぬ私にとって、ゲームに、見た目だけでいえば小さな木切れに、女子トイレに三度入るまで集中し我を失う姿の衝撃。
私の大好きな、天才の変態がそこにいました。私は彼のことがいっぺんに好きになりました。
ありがとう「情熱大陸」ありがとう佐藤康光先生。

翌日、古本屋で将棋の本を探しました。
といってもルールすらわからないので、エッセイが良いなと手にしたそれは『ちょっと早いけど、僕の自叙伝です。』
ええ、谷川先生のこともいっぺんに好きになりました。

彼らは私に『将棋世界』を買わせました。この先6年以上買い続けることになる未来を、この日の私はまだ知りません。
そして康光先生がいろいろな意味で変態であると知るのは、まだ先のお話。

私は物を持ちたくないのです。出来るだけ簡素に生きたい、ダンボール箱2つに収まる荷物で生活したいと思っています。
ですから本も捨てます。そんな私の家には3冊だけ写真集があります。
『FABULOUS BODY―叶恭子+美香写真集』『棋士 羽生善治』『棋士 羽生善治』の3冊です。
2009年の私は羽生先生のことを、写真集を2冊買うほどに好きだったのです。貴方が2009年の私よりも羽生先生のことが好きになった時に、一冊差し上げます。

将棋教室に通いました。
初めて将棋の駒に触れた日、10枚落ちで教えて下さったのが当時奨励会員だった天野三段です。将棋を知らぬ私に、なかなか強くなれるのではないかと勘違いさせる指導者でした。
彼はそれまでも、それからもたくさんの経験を重ね、その日々を一冊の本にし、今日も戦っています。この本も、もし持っていなければ差し上げます。

私は将棋を愛してはいないのです。
でも、女子トイレに入る男の職業が将棋棋士であると知ってから今日まで、まだ飽きていないのは、棋士を愛しているからかもしれません。

貴方がいつも幸せであること、そしていつか私にビールを奢ってくれることを祈ります。かしこ

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これはあくまでも例文であり、貴方が手を挙げてくれたならば貴方だけのことを思い、もし貴方が三浦ファンならば三浦先生の格別に素敵な姿を盛り込んだり、もし貴方が弘行ファンならば感動的な弘行先生の将棋を語ったり、もし貴方が高崎在住の棋士のファンならば高崎駅前のちょっとお得な情報に触れたり、そういうことだって架空の人物ではない貴方に向けてたくさんするから。
いつかまた私がお手紙を書きたくなった時に「受け取っても構わないよ」というリプライを。その目的が達成されることを願う。

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