知人が「ここ一皿の量が多いから」と言う居酒屋で出てきた料理は、なるほどお値段以上の量だったので、私は「確かに」と告げた。知人は「だから一人で一皿を食べるのは大変なんだ」と続けた。私は「確かに」と同意した。大変ではないのに。この一皿を平らげたところで、私の胃は水を張った洗面器に一さじのミキプルーンをたらした程度の影響しか受けないのに。何気ない会話の中にも嘘は潜んでいる。

この時の私の状態にある森内は「あ、そうですか」と言う。相手の気持ちを汲みつつ、嘘をつかず、優しい言葉を選ぶ。佐藤(康)は「そうですかー」と言う。森内の言葉と似ているが、佐藤の一言は森内のそれに「あまり興味がないです」という主張を加えた結果である。加藤は「そうですか!わたくしの場合は食べてみて美味しいと感じた料理をニ皿なり三皿なり注文することがよくあるのですがね、あれは十段戦で米長さんと(略)」

棋士は誠実である。些細な質問への答えにも嘘が混じらぬよう、最善をつくそうとする。

宮田はインタビューに応じるため入った喫茶店で、投げられたひとつの質問に答えようと長考に入った。彼が注文したホットミルクは、捨て猫に与えんと一度温めて冷ましたミルクになった。彼は慈愛のミルクを前に、平凡な答えを返した。将棋界は、そんな誠実な彼らで出来ている。

さて、羽生である。羽生もまた誠実である。しかし、羽生は質問に即答する。羽生はその思考を言語化する能力の高さに加え、これまで86万の質問(1タイトルあたり1万と推定)に回答を提示してきた経験があり、それらについて改めて何かを考える必要がなく答えられる。では初めてされる質問に対してはどうだろう。

将棋ファンには周知の事実だが、羽生はSuicaをシャツの胸ポケットに入れる。夏の将棋まつりでサインをする羽生の、半袖ワイシャツの胸ポケットからは緑が透けている。我々はその都会の緑に涼を覚え、お盆の暑さに優しくなれる。

ファンは羽生に問うた。

「どうして羽生先生は、スイカを定期入れじゃなく胸ポケットに入れるのですか?」

羽生は答えた。即答した。初めて出会ったであろう質問に対し「好きな駒は何ですか?」という、過去4万回は捌いてきた質問に答えるのと同じ早さで。

「定期じゃないからです。」

愛してる。


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