棋士と眼鏡 おわり

この名前を出さねばならぬ。

三浦弘行。

三浦については、私はニュートラルな立場で語れぬことをご承知頂きたい。今回は眼鏡の方向から三浦について書くが、私は八百万の方向から三浦について書く用意がある。三浦のことを贔屓しているからだ。
三浦に私が思うことをその出会いから書き始めると長くなるので、話を進める。
知っておいて頂きたいのは、私がショートケーキの苺を取られたとしても微笑んでいられるくらい、三浦を可愛いと思っているということ。

三浦はノー眼鏡である。しかし最近対局中に眼鏡をかけはじめた。乱視のため目が疲れるので、対局中はかけるようにしているとのこと。
さて、「棋士と眼鏡」という題名でありながら、ここから先もう眼鏡は出てきません。すみませんね。

三浦は非常に目が乾く。
三浦の目の乾きは尋常ではない。イベント等で席上対局をすることがある。非公式ですがプロの対局姿を見せますよ、というファンサービスである。
もちろん棋士は対局に手を抜いたりすることなく本気で指す。しかし時間は短い。一時間程度の場合が多い。その一時間の間に、三浦は目薬を点す。

誰なのか知り得ぬ貴方に、問いたい。貴方が乾きがちな目を持つと想定して、観客の前で一時間何かを見せようという際に途中で目薬を点しますか点しませんか。

私は三浦が目薬を点す姿を見る度に、このことを検証せねばならぬ、私がやらねば誰がやる、意気込みの問題ではなく本当に誰もやらない、そう思って生きてきた。
そしてとうとう、この検証に必要な、三浦愛用の目薬情報を入手した。三浦が出演するイベント参加費用6500円と、目薬の種類を問うことへの不自然さをなくすために目に良いといわれるブルーベリーが入った菓子を用意して。私は用意周到な人間だ。

昨日のイベントで三浦の目薬情報を入手した私は帰宅してすぐ、その目薬の説明書をダウンロードし用法用量の項目を読んだ。

「一日5~6回点眼してください。」

登壇を控えた楽屋で対局前に、疲れた目を癒そうと対局後に点しては、点しすぎなのである。これをどう解釈するか。

三浦は用法用量を守らない男なのだ、それが事実なのかもしれない。しかし、私は私が思いたいように思う。三浦のことを用法用量を守る男だと思いたいので、そう思うことにする。
私が思う三浦は目が乾いたときに躊躇なく目薬を点せるよう、多くの観客の前にその姿をあらわす場であろうとも、対局前に目薬を点さないのだ。

対局中は用法用量のことなどわからなくなってしまうに違いない、対局中に目の乾きを耐えて指し手に集中できなくなる可能性は排除すべきである、そのために、席上対局前にあえて目薬を点さない。
全ては将棋のため。将棋のためなら客前で目薬をさす不自然さなど考慮すべき事象ではない。

先ほど私が貴方に投げかけた質問、

「貴方が乾きがちな目を持つと想定して、観客の前で一時間何かを見せようという際に途中で目薬を点しますか点しませんか。」

それに三浦はこう答える。

「それが対局なら、点したければ点します。」

これが私の思う三浦である。耳で聞いたとき、将棋のことなのか目薬のことなのかわかりづらいところまで含めて。

私はこれからも、私の中の三浦を追いかけて行く。

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