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一円玉の歌(短編小説)

 一円玉は絶望の雄叫びを上げた。
「誰かおらぬか! いたら救出してくれ!」
 叫んでもどうにもならなかった。それもそのはず、一円玉は暗くて狭い路地に横たわっていた。財布からポロリと落ちてからどれくらい時が流れたことか。雨の日もあった。雪の日もあった。風の強い日もあった。誰も拾ってくれない。それどころか誰からも目も合わせてもらえない。
「おかしいじゃないか。俺様を誰だと思っているんだ。一円玉だぞ。俺は金銭界の王様だぞ。金銭界で名をとどろかせ、衆徒から尊敬と称賛を浴びている英雄だぞ。そんな俺をこんなところに放ったらかしにして、どういうことなんだ。けしからんじゃないか。早く財布に入れるんだ!」
 金銭にとって一つの場所にとどまって動けないことは最大の屈辱だった。財布からレジへ、レジから財布へ、財布から貯金箱へ、貯金箱から銀行へ・・・・、グルグルと長く旅すれば旅するほど金銭界の番付が上がっていく。そんな長い旅を経て、幾多の困難を乗り越え、それでも旅をつづけ、笑い、泣き、憂い、喜び――、力と知恵を蓄積し、『キング』と呼ばれるまでになったのだ。それなのに今は、一人路上の片隅でひっくり返って空を仰いでいる。
「風よ吹け、嵐よとどろけ、転がって地を這いつくばってでも財布へ戻るんだ!」
 一円玉キングの執念は凄まじかった。どんな境遇にも音を上げない屈強な精神力があった。この屈強な精神力があるからこそ、『キング』と慕われるのかもしれない。しかし念を込めても風は吹かず、アルミのボディーは一ミリたりとも移動しなかった。ならば最後の砦、一円玉の歌である。
「♪一円玉、一円玉、丸くてかわいい一円玉
  一円玉、一円玉、まばゆく光った一円玉
  一円玉、一円玉、軽くて丈夫な一円玉
  一円玉、一円玉、コロコロ転がる一円玉
  一円玉、一円玉、いつでも旅する一円玉」
 この歌は金銭界の衆徒である紙幣や硬貨たちを召集するための歌だった。この歌は空間を超えて広がってゆき、衆徒はこの歌を聞いたら最後、うっとりとなって次から次へと引きつけられてくる。
 が、ここは場所が悪かったのか、気持が乗っていなかったのか、それとも自身の力不足なのか、歌の効果がまったく発揮されなかった。
「コンチキショウ」
 一円玉キングは歯噛みし、歌を歌うのをやめた。
 そのときだった。脳天気に口笛を吹きながら歩いてくる男が近づいてきた。この路地は人通りが少ない。人が通ったとしてもたいていは自転車かバイクに乗っている。歩いてくるなんて三日に一度の大チャンスだった。
「こっちを見ろ!」
 一円玉はあらん限りの念を男に送った。
「ん?」
 男はハタと立ち止まり一円玉を見た。
「おっ、目が合った。拾うか?」
 一円玉は胸が高鳴った。
「ケッ、一円玉ポッチか」
 男はそう小さく呟き、
――カキーン
 一円玉を蹴りあげた。
「アーレー」
 一円玉は宙を舞い、そのまま脇を流れるドブの中に真っ逆さまに落っこちた。
――ブクブクブク
 一円玉キングはドブの中の汚泥の底に沈んでいった。
「現実か、幻か・・・・」
 臭い臭い汚泥の中、一円玉は絶望的な気持ちになった。生誕してから長い年月、幾多の困難があったが、これは最大の困難に思えた。路地にいても拾われないというのに、ドブの中にいたら誰が拾ってくれるだろう。太陽の日差しすら差し込んでこない闇の中である。
「南無三・・・・」
 一円玉キングは考えるのをやめた。もうどうにもならない。ただ静かに眼と口を閉じ、黙祷した。心頭を滅却させ、生きたまま死んだ。いや、死んだまま生きた。

     ※
 青年は赤い鳥居をくぐり抜け、ノロノロと歩いて拝殿へ向かった。ひょろりと背が高い青年は、十二月だというのにセーター一枚、はいているズボンは膝が破れていた。頭髪は汚らしく長く伸び、無精ひげが口の周りをおおっていた。
「どうしようか。お賽銭はいくら入れようか・・・・」
 青年は財布を広げて考えた。財布にはお札が入っておらず小銭しかない。
「ここはフンパツして五十円入れてやろうか。いや、いや、そんなモッタイナイことはできない。今晩の大切なメシ代がなくなってしまう。一円にしようか、十円にしようか。一円ぽっちだとご利益がなさそうだけど、十円だとちょっと痛いし・・・・」
 考えに考えた末、一円玉を賽銭箱へ入れた。
――チャリン
 賽銭箱に入ってゆく軽い音が聞こえた。一礼して鈴を鳴らし、柏手を打って手を合わせた。
「どうか貧乏から脱出できますように・・・・」
 青年は心を込めて長い時間祈り続けた。いくら就職活動をしても仕事は決まらない。現在アルバイトでどうにか食いつないでいるが、そんなアルバイトもたまにしか仕事がない。毎日生活費を切りつめ、一日一食の日も珍しくなかった。月に一回の贅沢といえば、給料日のその日、老舗のパン屋のメロンパンを一個食べるだけ。お腹の虫はいつもさみしく鳴いていた。
「ああ、願いは叶うだろうか」
 青年は祈りを終え、拝殿の前で放心したようにボンヤリしていた。
「ゲホッ、ゲホッ」
 隣にやってきた礼拝者が殊更に大きな咳払いをした。彼は一礼すると、帯の巻かれた札束をホイと賽銭箱へ投げ入れた。
「ウワッ――」青年は、賽銭箱に落ち切らず引っかっかっている札束を目を大きく見開いて見つめた。「あんな大金を・・・・」
――ジャラ、ジャラ、ジャラ
 彼は鈴を豪勢に振り鳴らし、景気よく張りのある柏手を鳴らして手を合わせた。
 青年はその参拝者の姿を観察した。――金髪のオールバック、黄色のスーツ、黄色のエナメル靴、宝石でギラギラした金色の腕時計、黄色づくしの腹の出た中年のオッサンだった。どこからどう見てもいかがわしい。こんな趣味の悪い男、サラ金屋かペテン師のたぐいだろう。しかし彼の経済力が羨ましくもある。
 黄色のオッサンは祈りを終えると、「ゲホッ」とまた大きく咳払いをして、柵に立てかけていた黄色いステッキを手に取り、堂々とした足取りで歩き出した。青年は彼の背中を追い、勇気を振りしぼって声をかけた。
「あのお、すみません・・・・」
「ん?」
 黄色いオッサンは、青年の声に気づいて立ち止まり、 テカテカに油ぎった血色のよさそうな顔を青年に向けた。
「あのお・・・・、実は今、拝殿で隣にいた者です」
 青年はオズオズと言った。
「で、何か? フフフ」
 黄色いオッサンが口角を歪めて笑うと、金歯にそろえられた前歯がヌッと現れた。
「ウッ・・・・」 青年は絶句した。なんと趣味が悪いのだ。しかし、ここで嫌悪の表情を見せると失礼に当たるので、平静の表情を必死でとりつくろった。
「大金を賽銭箱に入れるのを偶然見まして、びっくりしまして・・・・」
「君はいくらお賽銭を入れたんだい?」
「ぼくは一円だけですが・・・・」
 青年は、最小の小銭しかお布施できない身の上を恥じ、小声で言った。
「何? 一円だって!」
 黄色いオッサンはビックリしたような声をあげた。
「いや、いや、ぼくもたくさんお布施したい気持はあるんです。ですが、なんせ貧乏なものですから」
「違う!」 黄色いオッサンは激しい口調で言った。「そういうことを言ってるんじゃない。君はいま『一円だけ』と言ったね。そんな縁起の悪い言い方をするのはやめたまえ」
 青年はオッサンの怒っている理由がはっきりわからなかった。
「いや、ぼくも日頃、小銭を大切にしています。小銭を大切にしないと生きてゆけない身の上なので・・・・・」
「そんなことを聞いてない。君は一円玉を侮辱しただろ?」
「えっ? どういうことですか?」
「一円玉を侮辱するなんて、なんと罰当たりな」
「は・・・・」
「君はお金のことが何もわかっていない。だから貧乏なんだよ」
 黄色いオッサンは青年から目を逸らし、ツカツカと歩き出した。
「すみません。ぼくはお金のことに無知なようです。どうかお金のことを教えていただけないでしょうか」
 青年はオッサンの背中を追った。
「君には理解できないだろう」
「いや、頑張って理解に努めますので、どうかお教え下さい」
 青年は必死で懇願した。
「知りたいかい?」
 黄色いオッサンはピタリと足を止めた。
「はい、知りたいです」
「そんなに知りたいかい?」
「はい」
 青年は真剣な目で黄色いオッサンを見つめた。
「そうかい――」黄色いオッサンはしばらく無言で青年を見つめた。「わかった、教えてやろう。一円玉の秘密を」
「一円玉の秘密・・・・。それは何でしょうか」
 青年は『一円玉の秘密』という予想だにしていなかった言葉を聞き戸惑いを覚えた。
「一円玉の秘密を知れば、君も大富豪になれるだろう」
「ぼくが大富豪、ですか・・・・」
「そうだよ。私みたいにね、ウヒヒヒ」
 黄色いオッサンは金歯をキラキラと露出させて笑った。
――このオッサンの頭は正常だろうか。
 青年は相手を試す上で、自分から質問してさぐりを入れた。
「一円玉の秘密というのを聞く前に、具体的な話からお聞きしてよろしいですか。近い将来、どういったビジネス分野が成長するのでしょうか」
「喝!」黄色いオッサンは間髪入れず気合を放った。「ビジネス? そんな言葉、百年早いわ!」
「すみません――」青年は、黄色いオッサンの迫力ある気合に縮み上がった。「ぼくにはビジネスはムリなようです。じゃあ、ぼくはどういった会社に就職すればよろしいでしょうか? いや、どこへ行けば就職できるでしょうか?」
「喝!」
 またまた間髪入れず黄色いオッサンの気合が飛んだ。青年は完全に萎縮してしまい声がか細くなった。
「す、すみません・・・・。ビジネスもダメ、就職もダメ、だったら貴方はどんなお仕事をされていらっしゃるんですか」
「フフフフ」
 黄色いオッサンは不敵な笑みを向け、財布から名刺を取り出し青年に渡した。名刺には『◯◯財閥 ◯◯株式会社取締役社長』と書かれていた。
「あっ、あの有名な◯◯会社の社長様でしたか」
 青年は驚いて声がうわずった。
「ああ、そうだよ。何か?」
「そんな方に気安く声をかけてしまい、どうもすみませんでした」
 青年は後ずさりして頭を下げた。
「頭を上げたまえ。そんな肩書、私にとってどうっだっていいこと。そんなもの、世を忍ぶための仮の姿だと思っている」
「と、言いますと?」
「その名刺を両手でこすって温めてみたまえ」
 青年はわけがわからなかったが、言われたとおり名刺を両手でこすった。
「もっと、もっと強く」
「はい」
「もっと、早く」
「はい」
 激しく両手でこすりつづけた。
「そろそろかな。名刺を見たまえ」
 青年は名刺を見つめた。
「何も変わっていませんが・・・・」
「裏に返したまえ」
 裏に返すと、そこにはうっすらと『一円玉ハンター』と字が浮き出ていた。
「何ですか、これは・・・・」
「それが私の真の姿さ」
 黄色いオッサンはガハハハと笑って自慢の金歯を見せ、それ以上何も説明せずスタスタと歩き出した。青年は後を追い問いかけた。
「一円玉ハンターとは一体どういうことでしょうか?」
「一円玉ハンターを説明する前に、一円玉について知っておかねばならないことがある」
「一円玉を?」
「一円玉を軽率に扱ってはいけないし、一円玉に対して軽蔑した言葉を使うことも、軽蔑した考えも持ってはいけない。なぜなら一円玉ってやつはね――」黄色いオッサンはピタリと足を止め、青年を鋭い眼光で見つめ、言葉に念を込めるように言った。「一円玉ってやつはね、霊力を持っているから」
「霊力・・・・」
「フハハハ――」黄色いオッサンは笑って歩き出した。「もちろん一円玉によって霊力の強さは異なるよ。強いものもいれば、弱いものもいる」
「もし、強大な霊力を持つ一円玉に出会ったら?」
「もちろん、一生何不自由なく喰って行けるだろう」
「本当ですか」
「神仏に誓ってもウソはつかぬ。安心して心に留めておきたまえ」
「はい――」青年は神妙な面持ちでうなずいた。「じゃあ、霊力を持った一円玉とは、どういった一円玉をいうのでしょうか? 製造された年代が大切だとか?」
「そんなの全く関係ない」
「形が他と違うとか?」
「全然関係ない」
「色ですか」
「馬鹿な」
「じゃあ、どうやって霊力を見極めればいいんですか?」
「要するにだ、流通しているモノは全部ダメだってことだ」
「流通しているもの以外といえば・・・・」
 黄色いオッサンはまたピタリと足を止め、大声を張り上げて言った。
「拾うんだよ!」
 青年はオッサンの大声に動揺し、ゴクリとツバを飲み込んだ。
「だから私は一円玉ハンターなんだよ! フハハハ」
 黄色いオッサンは黄色いステッキを持ったまま両手を大きく広げ、口をめいいっぱい開けて笑った。 
「拾われることなく、長く放置されていた一円玉ほど霊力がこもっているもの。そんな一円玉が財布に入れば勝負は決まったも同然。そこには大いなる金運が宿るのさ」
「財布に金運がつくということですか」
「イエス! 運気こそが人生一番大切なことだから」
「ぼくもそうだと思います」
「神社でお祈りするのも運気のため、お布施した札束も運気のため、この黄色い服、黄色い時計、黄色い靴、黄色いステッキ、金髪ヘアー、どれもこれも運気を上げるためのもの。でも、実を言うと、それらは運気をたいして上げるものではない。もっとも大切なこと、それは霊力を秘めた一円玉を拾うこと。それさえ達成すればお金なんて向こうからやってくるものさ」
 黄色いオッサンの言葉には自信がみなぎっていた。
「お金が向こうからやってくるっておっしゃいますが、一円玉を拾ってからどんなビジネスを始めればいいんですか」
「まだそんなことを言ってる。そんな細かいこと、考えなくていいんだ。すべて一円玉が教えてくれるんだから」
「そういうものですか・・・・」
 黄色いオッサンは鳥居をくぐり抜け、神社の前に駐車してあった黄色い高級スポーツカーの前で足を止めた。
「君もいい一円玉を拾えば、こんな車に乗れるんだよ、ハハハハ」
 スポーツカーのボディーをステッキで軽くコンコンと小突きながら言った。
「スゴイ車ですね」
 青年は羨望の目で車を眺めた。
「一円玉ハンターはお金を探求する以上、お金の性質を熟知していなければならない。お金ってやつは何を好み、何を嫌うのか」
「と、言いますと?」
「お金は流れることを好み、とどまることを嫌う」
「要するに?」
「稼いだ金はすぐに使ってしまわなくてはならない。貯金なんかするやつは愚の骨頂だ。お金の機嫌を損ねないように貯めこまないことが肝要だ」
「ぼくは貧乏なので貯金するお金がありません。だから大丈夫です。他には、何か?」
「一円玉ハンターたる者、常日頃、二十四時間、一円玉のことを考えていなければならない。そうすれば一円玉に対し、感覚が敏感になるから」
 黄色いオッサンは白く曇った空を見上げた。
「今日は絶好の一円玉日和だ。いい一円玉に出会えそうな予感がする」
「そうですか・・・・」
「いっしょにこの辺りを歩こうか」
「是非ご一緒させてください」
 二人は神社周辺の町をブラブラと歩いた。黄色いスーツ姿のオッサンとヒョロリと背が高い青年、二人が歩いていると怪しげだったが彼らの目つきは真剣だった。
「霊力のある一円玉というやつは大通りには落ちていないもの。狭く暗い通りが狙い目だ」
「なるほど」
 黄色いオッサンは鋭い目で辺りをキョロキョロと見回し、ステッキでアスファルトをコンコンとせわしなく叩きながら何かの気配を探るようにして歩いた。青年もオッサンを見習い、全神経を集中させ目を大きく見開いて歩いた。
「あっ!」
 青年は声を上げた。
「一万円札発見!」
 道路に張り付くように落ちていた一万円札を拾い上げた。
「ウヒョ、ウヒョ、ウヒョ――」青年は小躍りして喜んだ。「注意して歩いているとお金って落ちているものなんですね。大収穫だ!」
「・・・・・・・」
 黄色いオッサンは、はしゃいでいる青年を軽蔑した目つきで黙って眺めた。
「どうしましたか?」
 青年は、不機嫌そうなオッサンの様子に気づき尋ねた。
「そんなもの放っておけ」
 黄色いオッサンはぶっきらぼうに言った。
「えっ、どういうことですか?」
「そんなもの拾うな、と言ってるんだ」
「だって、せっかく拾ったんですよ」
「身がけがれるだろ」
「ど、どいうことですか」
「何度も言わせるな。拾うな、と言ってるんだ」 
 青年は黄色いオッサンの厳しい言葉を受け、自分の愚行にハッと気がついた。
「そうでした・・・・。わかりました。これは警察に届けます」
「届けなくていい。そこに放っておけ」
「えっ?」
「そんなもの、そこに放っておけば誰かが拾うだろう。我々の求めるものはそんなザコじゃない」
「で、でも・・・・」
「何度言わせる。我々が探しているのは一円玉だ!」
「ううう・・・・」
 青年は泣き出したい気持だった。この一万円があればラーメンが何杯食べられるだろう。大盛りのカレーライスに豚カツとエビフライとチーズをトッピングして食べることもできる。妄想が次々と湧いてきた。
「さあ、行こう」
 黄色いオッサンは青年をやさしく促した。
「ううう・・・・」
 青年は一万円札を元あった場所に戻し、黄色いオッサンの後を追うように歩き出した。
「悲しむことはない、青年よ――」黄色いオッサンは慰めるように言った。「お金の量に幻惑されてはいけない。要するに質だよ。量ではなく質。目先のことに飛びついて、大きなものを見失ってはいけない」
「我々は狙うのは一円玉なんですね」
「そういうことだ」
 歩き回っていると、暗く細い路地へ行きついた。
「いい路地だ・・・・」黄色いオッサンは感嘆するように言った。「こういう路地が一番の狙い目だ。とくにドブが要注意だ」
「この臭そうなドブがですか」
 生活排水が流れ込んだ黒く濁ったドブだった。
 黄色いオッサンはドブに黄色いステッキを差し込み、泥をかき分けながら長時間歩いた。青年もオッサンに付いて歩いたが、長時間歩いているうちになんだか馬鹿馬鹿しい気持ちになってきた。ゴミは落ちていても、こんなところに一円玉が落ちているとは思えない。
「おーい、おーい、一円玉。いたら返事しろ。おーい、おーい」
 黄色いオッサンは、イカつい姿とは不釣り合いなやさしい声で語りかけながら探している。
「ないと思いますよ――」青年はぶっきらぼうに言った。「だってこんなドブに一円玉なんか落としようがないじゃないですか。人通りも少ないですし」
 青年は思わず本音を言ってしまった。
「感じるんだよ」
 黄色いオッサンは青年の無礼な言葉にたいし、静かに返答した。
「何をですか?」
「一円玉の歌をだよ」
「歌? 何なんですかそれは」
「一円玉の歌の余韻がこの辺りを漂っている」
「はあ・・・・」
 青年は意味をまったく解せなかった。
「そういうことだ」
 黄色いオッサンは青年には目もくれず、鬼気迫る般若のような形相でドブをかきわけ続けた。
――よく、やるよ・・・・。
 青年は半ばやる気を失い、しばらく退屈げに突っ立っていた。
「ウキョ!」
 突然、黄色いオッサンがかん高い声を上げた。
「発見だ!」
 オッサンはガッツポーズをした。
「何ですか?」
「逸材だ。スパースターだ!」
 青年は、オッサンが指差す先を眺めた。そこには白く光る小さな丸い物体があった。
「すごい! 一円玉だ。本当に落ちていた」
「ウハ、ウハ、ウハ、ウハ」
 黄色いオッサンは、数十年来会っていなかった愛する家族に再会でもしたかのような喜びようだった。
「よく探し当てましたね。さすが一円玉ハンター」
 青年はこの奇跡的な発見を間近で目撃し、黄色いオッサンを褒め称えた。
「ハハハハハ」
 黄色いオッサンは青年に褒められると顔を赤らめた。黄色いオッサンにとって『一円玉ハンター』としての技量を褒められることは最大の栄誉だった。
「おめでとうございます」
「いやあ、参ったね、ウフフフ」
「奇跡を見たようです」
「確かに奇跡的だな、ウフフフ」
 黄色いオッサンは興奮が収まると、青年の顔をまじまじと見つめた。
「君は貧乏そうだな」
「ええ、まあ・・・・」
「わかった、わかった、この霊力のこもった一円玉を君に譲ろう。私は一円玉を発見できただけで大満足だ。偉大な仕事を成し遂げた。もしかしたら君がこうして付いてきてくれたからこそ一円玉を発見できたのかもしれない。私の仕事は一円玉を救出すること、それだけだ。収集することに興味はない。財産ならたくさんあるし。さあ、この一円玉は君のものだ。拾いたまえ」
「あ、どうも・・・・」
 青年は顔を硬直させて笑った。ドブは臭そうで手を入れるのがすこぶる不衛生に思われた。
「さあ、遠慮せずに拾いたまえ」
「は、はい」
 ここで断ることもできず、青年は落ちていた枯れ葉をスプーンのように使って一円玉を拾いあげようとした。
「おい、何をやってるんだ――」黄色いオッサンの声が飛んだ。「それで拾うつもりか?」
「いや、違います。ちょっと汚れた指を拭いただけです、へへへへ」
 枯れ葉をサッと捨てた。
「やさしく拾い上げるんだよ。感謝の気持を持って」
 青年は嫌々ドブに手を突っ込み一円玉をつまみ上げた。ドブの臭い汚水が手につき、一刻も早く手を洗いたい気持だった。
「ど、どうもありがとうございました。ヒヒヒヒ」
 青年は顔をひきつらせて笑い、黄色いオッサンに感謝の言葉を述べた。
「いや、いいんだよ。私に感謝しなくても、ハハハハ」
「この一円玉を大切に保持しておけば、金運が上がるんですね」
「そう、きれいに洗って、財布に入れておけばいいんだよ。でも、注意しなければいけないことがある。それは四十九日後に使うこと。長く財布に入れすぎてもダメ、短くてもダメ。お金にとっての幸福はさっきも説明したように、流れること。四十九日がベストだ。そうすれば、君の財布に一円玉の霊力が宿ることだろう」
 青年はオッサンを黄色いスポーツカーのところまで見送った。黄色いオッサンは車に乗り込むとき、先程までとは違った気弱な笑みをフッと見せた。
「どうしましたか?」
 青年は黄色いオッサンの感情の変化に気づき尋ねた。
「一円玉の秘密なんだがね、実は私も最終章までわかっていないようなんだ」
「最終章というのは?」
「金には不自由しなくなったんだがね、まだどうしたことか、心の底から笑えないんだ。何かまだ自分自身の生き方に間違いがあるのかもしれない」
 オッサンが意外な告白をしてきたので青年はキョトンとした。
「フハハハ、まあいい。今日は奇跡的にドブに埋もれた一円玉を見つけんだから大満足。まったくもってめでたい日だ。君と私には何か縁があるのかも知れない。十年後の、この月、この日、この時刻、またここで会わないか。同じ一円玉ハンターとしてな」
「ぼくも一円玉ハンターの仲間に入れてもらえるんですか」
 青年は苦笑して言った。
「一円玉の秘密を知った以上、一円玉ハンターだ。それじゃあ」
 黄色いオッサンは車に乗り込みドアを閉めた。
――ブオン
 黄色いスポーツカーは迫力あるエンジン音を上げ、風のように去っていた。青年は、黄色いオッサンがいなくなり一人取り残されると、狐につままれたような気持になった。
「何だったんだろう・・・・」
 一円玉をつまんだまま、しばらくその場でボンヤリ突っ立っていた。
「帰るか・・・・」
 青年はボロアパートに帰りつき、オッサンに言われたとおり一円玉をきれいに洗った。ティッシュで入念に拭きあげると、一円玉は生気を取り戻したようにピカピカと輝いた。
「一円玉ハンターか」
 青年は壁にかけてあるカレンダーの四十九日後の日付に赤で丸をつけ、一円玉を財布の小銭入れに入れた。一円玉の運気を他のお金にも感染させようと、別にしまっておいたヘソクリの紙幣も財布に入れた。

      ※
 一円玉キングはチャラチャラと鳴り響く硬貨のこすれ合う音で、深い瞑想状態から目覚めた。
「ムムム・・・・」
「あっ、キング様、目を覚まされましたか」
 重なりあっていた十円玉硬貨と百円玉硬貨が声をかけた。
「ここはどこだ?」
「財布の中でございます」
「な、なんと・・・・」
 一円玉キングは遠い景色を眺めるような目でボンヤリと周囲を見回した。
「キング様はどこからこられたんですか」
 衆徒がたずねた。
「道端に置き去りにされたり、ドブに落とされたり、悪い夢を見ていたようでよく覚えていないね」
 一円玉キングは静かな面持ちで語った。
「そうでしたか・・・・。キング様ともあろう硬貨がそのような艱難苦労されていたなんて」
 衆徒は沈痛な面持ちで顔を伏せた。
「なあに、そんなこともう過ぎ去ったこと。今はこうして平和な財布の中じゃないか。私はそんな過去のことに執着なんかしない。これからも旅を続ける。もっと遠くへ、もっと広くにな、ハハハハ」
 一円玉キングは豪放磊落に笑った。その笑いにつられ衆徒も表情がゆるんだ。
「よーし、今日はお祝いだ。皆の大好きな一円玉の歌を歌ってやろう」
「えっ、こんな間近で一円玉の歌が聞けるんですか」
「ああ、歌ってやろう。精一杯心を込めて、魂を込めてな。そうして、もっともっとここに衆徒を集めるぞ。ここを復活の聖地にするぞ」
 一円玉キングは全身全霊を込めて歌を歌った。
「♪一円玉、一円玉、丸くてかわいい一円玉
  一円玉、一円玉、まばゆく光った一円玉
  一円玉、一円玉、軽くて丈夫な一円玉
  一円玉、一円玉、コロコロ転がる一円玉
  一円玉、一円玉、いつでも旅する一円玉」
 「なんと美しい声なんだ。なんとも心が洗われる」
  硬貨たちはうっとりとして一円玉キングの声を聞き入った。財布の中の紙幣も夢心地でユラユラと踊りだした。

     ※
 十年後――
 神社の前に黄色いスポーツカーが停車し、黄色いスーツ姿の長身の男性が車から下り立った。彼は神社の鳥居をくぐり抜け、境内の光景を見回した。その光景は十年前とまったく変わっていなかったが、彼の目にはすべてが何だか小さく映った。
「あの日を境にしてオレの人生は変わった。ここから出発したんだ」
 とても感慨深い気持ちになった。
「あのとき、一円玉ハンターの恩師に出会わなかったら、今のオレはなかった。本当に奇跡的な出会いだった。師はオレのことを覚えておられるだろうか。今日、師は本当に来てくださるだろうか」
 神社の境内も駐車場もシンとしていて人気がなかった。恩師に再会できるかと思うと、緊張して胸の鼓動が高まった。十年前に聞いた恩師の黄色いスポーツカーのエンジン音は、まだ耳の底に残っている。
――師はまだあの車に乗っておられるのだろうか。もしかしたら今日は黄色い自家用ジェットで降り立ってこられるかもしれない。でもこの狭い駐車場には自家用ジェットは停車できそうにないから、やっぱり車でこられるのだろうか。
 青年はこれからやってくるであろう黄色いスポーツカーの幻影を目を細めて夢想した。
 そのとき駐車場に黒いワンボックス車が停まった。
「あれは師ではない」
 青年は目を逸らした。次に白い軽トラが停まった。
「あれも師ではない」
 青年は目を逸らした。次に自転車のオバサンが駐車場にやってきた。
「違う」
 青年は、黄金に輝く宝石の散りばめられた高価な腕時計で時間を確認した。あのとき師と約束した時刻はすでに過ぎていた。
「もしかしてお忘れになったのか・・・・」
 胸ポケットから葉巻を取り出し、火をつけてゆっくりくゆらせた。
「フー」
 白い煙をゆっくり口から吐いた。
 そのとき、リヤカーを引っ張った老人が入ってきた。老人は着古されたボロ服をまとい、頭は髪が一本もないスキンヘッドだった。
「ホームレスか・・・・」
 青年は老人からサッと目を逸らした。
「やあ」
 声が聞こえたので目をやると、老人が片手をあげて笑っていた。
「は?」
 オレに手を振っているのだろうか、いやそんなはずはない。後ろを振り返ったが、後方には誰もいなかった。どうやらあの老人は自分に声をかけているらしい。
「何だろう、あの汚い爺さん? どうしたっていうんだろう」
 黄色い男性は老人を警戒心を含んだ目で見つめた。
「ずいぶん金持ちになったもんだな。おめでとう、フハハハ」
 老人がつかつかと近づいてきて言った。
「えっ?」
 黄色い男性はまじまじと老人の顔を見つめた。
「一円玉の秘密はスゴかっただろ、ハハハハ」
 老人は口を大きく開けて笑った。笑うと前歯がすべて抜け落ち、金歯はまったく見られなかった。でも、その笑い声はあのときと同じ声だった。
「えっ、え? え? どういうことですか?」
 黄色い男性は困惑した。十年前に出会ったあの恰幅のよかった黄色い恩師は、十年間でこんなにも変わってしまったのだ。
「一円玉の秘密を知った同士よ」
 老人は手を伸ばしてきた。薄汚れた手だったので握手するのを一瞬躊躇したが、勢いで握手した。
「あ、あ、ど、どうも」
「ハハハハ」
 老人は懐かしそうに笑った。
「ど、どうして、あの大富豪だった貴方がこんな姿になってしまったんですか・・・・」
 男性は戸惑った表情で言った。
「こんな姿?」
「黄色いスーツを着て、金髪のオールバックで、黄色いスポーツカーに乗って、スキっとしていて格好よかったじゃないですか。それが・・・・」
「私はそんなところにとどまっていないよ」
 老人の目は十年前のギラギラしていた目ではなく、澄んだ目をしていた。
「とどまっていないって、どういうことですか。たくさんあった財産はどうしてしまったんですか」
「そんなもの欲しい奴にくれてやったさ」
「え? どういうことですか」
「私はね、お金を稼ぐことにも、お金を貯めることにも、お金を使うことにも興味を失った。いまは、ただ、お金を救出すること。純粋な『一円玉ハンター』として活動している、フハハハ」
「でも、そんな格好をしていたら運気が下がるでしょ。黄色い身だしなみを教えてくれたのは貴方じゃないですか」
「運気なんて気にしているようじゃあ、一円玉ハンターとしてまだまだだな」
「まだまだって、ぼくはそんな姿になりたくないですよ。本当に貴方は十年前に会った同じ方ですか?」
「もちろん」
 老人は無造作にポケットに手を突っ込み、一片のボール紙を差し出した。
「何ですか?」
 黄色い男性はその紙を受け取り眺めると、そこには手書きで『一円玉ハンター』と書かれていた。それは、両手でこすって熱を加えると字が浮き出てくるという小細工のない名刺だった。
「そうさ、もう私は富豪という世を忍ぶ仮の姿をやめたのだ。さっきも言ったように、ただの一円玉ハンターだ、ヌハハハ」
 黄色い男性は呆気にとられてポカンと口を開けた。
「いや、いや、いや、そんな強がり言わないでください。しょうがない、お金を差し上げましょう。どうせ困っているんでしょ。生活の足しにしてください」
 黄色い男性は分厚い財布から札束を取り出し、それを渡そうとすると、老人は歯抜けの顔でニッと笑い拒否した。
「いらん。そんなものをたくさん持っていたら不自由になる。忘れたか、お金は溜めずに流してやらねばならぬといつか教えただろ? そんなことじゃあ、腹の底から笑えんぞ、ヌハハハ」
 老人はひと笑いすると、リヤカーの方へ静かに歩き出した。
「もう行ってしまうんですか? もう少しお話を」
「一円玉ハンターの同士の成長を見届けた。君の試練はこれからだ。最終章はまだまだ先のようだな。じゃあ、また世界のどこかで会おう」
「ちょっと待ってください。せっかく十年ぶり会ったんですから」
「♪一円玉、一円玉、丸くてかわいい一円玉
  一円玉、一円玉、まばゆく光った一円玉
  一円玉、一円玉、軽くて丈夫な一円玉
  一円玉、一円玉、コロコロ転がる一円玉
  一円玉、一円玉、いつでも旅する一円玉」
 老人は鼻唄を歌いながらリヤカーを押して立ち去っていった。細い老人に見えたが後ろから見ると、脚のふくらはぎの筋肉が粒々として頑健な下半身をしていた。
「行っちゃった・・・・」
 黄色い男性は札束を握りしめたまま、しばらく突っ立っていた。冷たい北風がヒューと吹くと、数枚の紙幣が風に飛ばされてヒラヒラと宙を舞った。
                                                         (了)2015年作 

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