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アメリカは良心を取り戻そうとしている ―アメリカ全土を席巻するガザ反戦のうねり

 ガザと連帯するアメリカの学生運動の高揚は、ベトナム戦争を終わらせるのにアメリカの学生たちが果たした役割を思い起こさせるという声が上がるほどになっている。コロンビア大学当局は安全を理由に学生を処分するようになったが、学生は圧力に従わないと抗議活動を継続する徹底抗戦の構えだ。アメリカ全土に広がるパレスチナとの連帯のキャンプを設営する運動は、第二次世界大戦後最大のジェノサイドをガザで行うイスラエルをバイデン政権が支援する中で重要な意味をもつと言える。バイデン政権の武器・弾薬支援がなければ、イスラエルは今のように、ガザ攻撃を継続できなかっただろう。

学生は停学など処分も恐れない 4月29日、コロンビア大学で https://www.axios.com/2024/04/29/columbia-university-student-protesters-suspension?fbclid=IwZXh0bgNhZW0CMTAAAR2RSrjgRwYorWMuo42ck5dHSMiAzjJpzq0Eh8gr-ohM97FW8Eio_ZdoQ5A_aem_AciqMaf549Km8NAkSBBZrw79U9PkYhSKuWPG1YHcrAZ5WkiN2Ni-ERu3NYTGE9gEXTUWJdygdl5yYeZnCzGMMJba 

 アメリカのイスラエル支援がイスラエルの数々の国際法違反の行為を許してきた。イスラエルのネタニヤフ首相が血相を変えてアメリカの学生運動を非難し、止めさせるように要求するのは、それがアメリカの親イスラエル政策を変化させる可能性があり、イスラエルの極右が思い描くような政策の遂行が困難になるからだ。イスラエルは、数々のイスラエル非難決議を成立させてきた国連総会を信頼せず、国連安保理でイスラエル有利な拒否権を行使するアメリカだけがパレスチナ和平の調停役となってきた。

 ポール・サイモン作詞作曲の「アメリカ」が流行った1970年前後、「アメリカを探すためにやってきた」というフレーズがベトナム戦争や公民権運動揺れていたアメリカ社会を表しているように思われた。ポール・サイモンは、アメリカのソフトパワーを信じ、アメリカ憲法と独立宣言の精神を信じていた。これらはアメリカ国民だけでなく、世界の他国の人々にも最善の理念と彼には思われた。アメリカはこれらの価値観を世界に強制するのではなくて模範や手本を見せることによって普及することを彼は願った。

サイモンとガーファンクル 「アメリカ」

(アメリカ)
"Kathy, I'm lost,"             
I said, though I knew she was sleeping     
I'm empty and aching and I don't know why   
Counting the cars on the New Jersey Turnpike 
They've all come to look for America      
All come to look for America        
All come to look for America      

〔和訳〕
"ねえ キャシー 僕は迷っちゃったよ…"
彼女が眠っているのがわかってて僕はつぶやく
心に穴が空いて痛いんだ
どうしたらいいんだろう?
ニュージャージーの高速道路で
走る車を数えていたんだ
みんなが"アメリカ"を探しにやってきたんだ

 1972年には民主党大統領候補ジョージ・マクガヴァン支援コンサートにサイモン&ガーファンクルは揃って登場した。当時のマクガヴァンの選挙公約は、ベトナムからの米軍の即時撤退とそれを引き換えとする捕虜の返還、および脱走兵に対する恩赦、3年間に37%の軍事支出の削減、全国民に対する1000ドルの給付、憲法への「平等条項(Equal Rights Amendment)」の挿入など。本選挙の結果は、現職のニクソンに得票率で60-38%(獲得大統領選挙人数で520-17)の惨敗ではあったが(ウィキペディアの記事)、アメリカの社会的弱者に配慮し、平和主義を唱える主張がアメリカの若い層の心をしっかりととらえているように思われた。

選挙演説をするジョージ・マグガヴァン候補 1972年ニューヨーク・シティ https://www.newyorker.com/magazine/1972/01/01/mcgovern-2

 アメリカの対中東イスラム政策は不合理なところが多々あるものの、アメリカにも平和主義の潮流は脈々と生き続けている。人間の本性には変わりなく、現在のガザ停戦を求める学生たちの運動のように、アメリカ人の中にも情に厚く、いわば義侠的な考えや正義感から自国の中東政策が矛盾に満ちたものと思っている人は少なからずいる。実際、アメリカで暮らしていた時、私の周辺には政府の中東政策に批判的な学生や教員が多かった、というかほとんどが批判的だった。

「抑圧が法になるならば、抵抗は義務になる」 サンフランシスコ州立大学 https://www.gettyimages.co.uk/detail/news-photo/hundreds-of-students-are-gathered-at-san-francisco-state-news-photo/2150250993

 日本政府も唯々諾々とアメリカの中東イスラム世界政策に従うだけでは、アメリカの政策の改善をもたらすことはできない。日本政府は大学側の圧力にも屈しないアメリカの学生たちの姿勢を見習い、協力できるところは協力し、協力できないところについては議論を尽くして、アメリカの政策の方向性を変えるよう努力すべきではないか。それがアメリカの利益にもなるし、日本のためにもなると思う。

表紙の画像は https://tw.daigobang.com/zh-tw/item/aID-c1098653005.html?aID=c1098653005  より


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