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「安保闘争 燃え盛った政治の季節」とクレージーキャッツの「赤とんぼ」

 3日放送のNHK「映像の世紀バタフライエフェクト 安保闘争 燃え盛った政治の季節」を観た。冒頭坂本九の「上を向いて歩こう」の作詞の経緯について永六輔が語っている。「この詞は励ましの詞じゃないんです。前年の60年安保で僕が感じた挫折を歌ったものですから。どちらかというと泣き虫の歌であって。その歌を歌って励まされた気分になるのはなにかの間違いじゃないかと思って・・・。」

映像の世紀バタフライエフェクト @nhk_butterfly 「現代の英雄」の登場と、闘争のさなかに命を落とした学生たち。 ​ その代償として得たものは何だったのでしょうか。​ ​https://x.com/nhk_butterfly/status/1797625435783893464

 最近NHKではBSで映画「いちご白書」や「アナザーストーリーズ 東大安田講堂事件 あのとき学生は何と戦ったのか」などをオンエアするのは、アメリカの大学生たちのガザ攻撃に反対する運動に触発されたものではないかと思ってしまう。アメリカの大学生たちの運動も60年安保の日本の学生たちのように、暴力的性格をもつものではなく、その主張はガザの惨状に関する報道に日々接すれば、社会から遊離することなく、広い層の理解や支持を得られているように思う。実際、アメリカの学生たちの運動はフランス、イギリス、スペイン、デンマークなどヨーロッパ諸国に広範に及ぶようになっている。

 60年安保闘争を担ったのは戦争を知る世代の学生たちで、日本が再び戦禍を被ることがないようにという思いは国民たちの支持を広く得ることになった。

「私は安保改定が実現されれば、たとえ殺されてもかまわないと腹を決めていた。」(岸信介)

 岸には1951年に締結された日米安保条約は日本が米軍に基地を提供するにもかかわらず、米軍は日本の防衛に責任をもたない不平等条約に見えた。

 砂川闘争では立川の米軍基地拡張に伴い農民の土地が接収されることに抗議の声や運動が起こった。「煙幕攻撃(警官たちを煙で覆う)」「黄金戦術(田畑の肥やしを警官隊に撒く)」などの様子が紹介されていたが、この砂川闘争は60年安保闘争につながっていく。

基地拡張に反対する女性たちの上空を飛ぶ米軍機 https://smtrc.jp/town-archives/city/tachikawa/p07.html

 東条内閣の閣僚だった岸の政権には戦時中の力による政治が復活するのではないかという不信感が国民の間に根強くあった。

岸信介と東条英機。岸は東条内閣で商工行政、軍需行政を担った https://digital.asahi.com/articles/ASN5M6D4QN4TULZU00C.html

 安保改定に反対する闘争の中心を担ったのは27万人の学生が参加する全学連だった。「われわれはもう二度とアジアの青年と戦わない」(全学連のスローガン)。この全学連を指導したのは北大2年生の唐牛健太郎だった。「飾らない性格と人懐っこさでだれからも好かれる男だった」(番組のナレーション)「平均年齢20.5歳の全学連が天真爛漫にストライキをもって戦っていくという方向をとっていきたいと思います」と唐牛は呼びかけた。

 1960年1月、岸首相の渡米に対して全学連は羽田空港に駆けつけてこれを阻止しようとした。「エネルギーを蓄えて明朝まで座り込む体制を断固とって頂きたい」と唐牛は学生たちに檄を飛ばす。「ある女子学生は空港食堂に立てこもってから引き抜かれて検挙されるまで唐牛委員長の指揮ぶりは本当に見事だったと熱を込めて語っていた。」と雑誌記者は回想する。

 60年4月26日、「神聖であるところの国会、神聖であるかのように見えるこの装甲車、それを乗り越えようではないか!」という唐牛の呼びかけに応じて学生たちは丸腰、素手で国会への突入を試みる。こうした動きがあったにもかかわらず、岸政権は60年5月19日に新安保条約を強行採決した。衆議院を通過した新安保条約は参議院で議決を経なくても30日たてば自然承認されてしまう。国会に警察を導入したことに対する国民の怒りは沸騰し、民主主義の破壊だと訴えた。これを阻止するには国会を解散させるか、安保条約の承認を審議無用に終わらせることだった。

亡くなる数時間前デモ行進をする樺美智子さん https://i-peace-ishikawa.com/2020/02/25/%E6%A8%BA%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%80%80%E5%AE%89%E5%80%8D%E9%A6%96%E7%9B%B8%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%AA%E3%81%84%E6%9D%A1/

 安保反対闘争には国民の広範な参加があり、「患者さんに送られて先生も看護婦さんもデモに往診。岸内閣はますます病状悪化のようです」などのニュースナレーションも番組では紹介されていた。岸退陣を求めて全国で560万人がストライキを決行したが、結局60年6月19日、新安保条約は自然承認され、岸首相はその4日後に辞任した。

 番組から離れるが、冒頭の永六輔と親しかったバンドのクレージーキャッツは、安保改定に反対して国会に駆け付けていた。安保が自然承認された後の深夜、クレージーキャッツが口ずさんだ「赤トンボ」がやがて大合唱となり、敗北感に打ちのめされた学生たちに感動を呼んだと言われている。リーダーのハナ肇は、「岸さん私たちの意見も聞いて! スターに聞く 三木鮎郎の街頭録音」『週刊平凡』1960年6月8日号「週刊平凡」)の中で三木鮎郎氏のインタビューに答えて「安保改定を自民党が強行したことにはすごく反対だ。新安保の内容は国民一人一人に不明確にしか理解されていないのに、これじゃコソドロのやり方だ!』」と語った。

クレージーキャッツ https://www.universal-music.co.jp/crazy-cats/products/toct-26009/

 いまでは反撃能力にしろ、防衛費倍増にしろ、閣議決定というコソドロ的手法が横行するようになっている。

平和安保法制 特別委の採決前、委員長席で押し合う与野党議員(2015年9月17日) https://www.bbc.com/japanese/34281057

表紙の画像は唐牛健太郎全学連委員長
https://bangumi.org/tv_events/seasons?season_id=716229&ggm_group_id=98


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