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横浜関内と関西・関東のこと

今日は仕事の用で横浜関内に行った。

駅で電車待ちをしながら気になったのでググってみると、関内はペリー来航後、安政6年(1859年)の日米修好通商条約で指定され関所で囲まれた開港場の区域を「関内」と呼んだのが由来らしい。

ところで関東•関西はどうなのだろうと調べてみればこちらは遥かに古い。

奈良時代672年に壬申の乱が起き、時の天武天皇は翌年に都の警護を強化すべく三つの関所を作った。これを三関と言った。東山道の不破関、岐阜県関ヶ原。東海道の鈴鹿関、今は世界の亀山の関町。北陸道の愛発関(あらちのせき)、近江国と越前国の国境。福井辺りだ。

その後時代の変遷で定義は移ろうが、この時これら三関より東側を「関東」、西側を「関西」と呼んだのが始まりらしい。

世界の亀山の関町なら我が故郷から車で30分強。今年も行ったばかりだ(写真)。あれが関西と関東の境のオリジナルであったかと今知るとまた行ってみたくなった。

話は変わるが我が母校関西学院大学はカンセイガクインと読む。グリークラブの校歌合唱ではクワァンセイと発音している。実際アルファベット表記はKWANSEIだ。

これは明治初期迄は東京の読みがトウキョウとトウケイのふた通りが混在して使われていて、それに倣い関西にあって新進気鋭の精神を表わす意図で学校名を敢えてカンセイガクインとしたのが由来なのだ。

#関内 #関東 #関西 #関西学院大学

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