「卒業出来ない夢」

卒業出来ない夢を見る。未だにそんな夢を見る。

大学4年の2月だった。
友人ふたりと2週間のアメリカ横断旅行を終えて帰国した。

震災10年近く前の阪急西宮北口駅。

駅前にはまだ小汚い立ち喰い蕎麦屋と学生相手の安い居酒屋と小さなケーキ屋が立ち並ぶばかりだった。

大学の学生寮に向かおうとその駅前で乗り合いバスに乗り込むと寮の後輩がふたりいる。

アメリカの土産話をしてやろうと語りかけるが何故だかふたりとも反応が鈍い。ウジウジしている。

寮のロビーに着くと同級生がツカツカと近づいて来て耳打ちした。
「オマエ、留年してるで。」

必修科目をひとコマ落としていた。

田舎の親に電話した。
「仕方がないね。」と受話器の向こうで母がポツリと言った。

学部の事務所に連絡する。
「救済方法はありません。」と能面のような声が答えた。

一年待ってくれるのではと甘い期待を抱きながら就職の決まっていた企業に断りを入れる。

「はい、では内定通知書を送り返してくださいね。」と今度は蓑虫のような乾いた声が言った。

その後1年遅れながら無事卒業することは出来た。

それでも卒業出来ない夢を見る。

物入れからガサゴソと卒業証書を取り出してまじまじと眺めて見たりした。

勉強し足らなかったのかと社会人大学院で学位も取り直した。

それでも卒業出来ない夢を見る。

ようやくこんな風に気づき始めた。
卒業したいけど出来ない夢は自分の心の奥底に流れるマグマのような生きる力なのかも知れない。

思えば自分の人生は留年を契機に大きく視界が開け始めたことも今さらながらに気づかされる。

卒業出来ない夢を見る。未だにそんな夢を見る。ただし近頃はそんな夢を見ることが楽しみになっている。

#卒業したい





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