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否定形疑問文などは自分が優位に立つ話術の一つと言える

「そんなやり方じゃ駄目なんだよ!違うかあ!?」「そうじゃねーかあ!?」などと、自分の考えをひとしきり言った後に「違うかあ!?」などの否定形疑問文を使ってくる奴が、僕はすごく苦手だ。
そういう言い方をされたことなんて、いちいち記憶に残ってないし、気にも留めてないという人も多いだろう。
でも、僕が最初にいた会社では、その言い方が結構よく使われていて、僕は次第に嫌な思いをしていった。

最初の頃は、その言い方をされて感じた事は「この人はこうやって、違うかあ!?とか確認の言葉を取って相手に肯定してもらって、自分の意見が正しいとお墨付きをイチイチもらわなければ不安な人なんだな。面倒くさいな。」位のものだった。しかし何度も言われていくにつれて、別のことを感じるようになった。
この言葉を言う人は、「違うかあ!?」「そうじゃねーかあ!?」という否定形疑問文で問われたときに、単に「はい」「いいえ」では肯定なのか否定なのか意味が分かりにくいことを、計算に入れているのではないかということだ。

「違うか?」と言う言い回しは漫画などでもされる事はあるし、それ自体に問題は無い。しかしそういう漫画などでは、「違うか?」の発言をした人物は相手に回答を求めも待ちもせず、そのまま自分の話を続けていくものだ。

だが問題は、僕が接してきたような連中は、その「違うかあ!?」かという言葉に対して沈黙・無回答を許さず、回答を強いてくるということだ。そしてその回答は、単に「はい」「いいえ」だけでは肯定か否定か分かりにくいし、もちろん否定を許さないことは前提なので、「いいえ。違いません」という、卑屈とも言える回答を求められていると思うのだ。

それは考えすぎだと思うかもしれないが、僕の勤めていた会社の連中は、実際に日常的な会話が、そうやって発言には常に無回答を許さず回答を強いてきていた。
発言の最後に「分かった?」と確認を求めてくることも多かったが、それに対して分からないことがあったので「えーと、この部分が、」などと言おうものならその時点で「分かったの分からないの!?」などとキレてくる始末だった。
つまりこれは「はい分かりました」「いいえ分かりません」の、ロボットかというような2択の回答しか許していないということだ。

また「誰がそんなやり方でやれと言ったかあ!?」などという言い方を多用する奴もいた。これに「すみません間違えました」などと言おうものなら「だ・れ・が、と聞いたんだ!」と詰められ「いいえ。誰からも言われていません」といった卑屈ロボット回答を強いられる。

そのくらい、「聞かれたことには聞かれた通りにしか返すんじゃねえよカス」というのを徹底している連中だった。
そうやって、自分達式の答え方ルールに染めていくことで、どんどん自分達に従順にさせようと思っていたのだと、今でも思っている。

だから「違うかあ!?」「そうじゃねーかあ!?」という否定形疑問文を多用し、且つその回答まで相手に強要する人達は、「いいえ。違いません」という屈服ともいえる回答を相手から引き出し、確実に優位に立とうとしているのだろうと思うのだ。
一種の話術とでも言って良いだろう。もっとも、頭の良い方法だとは思わないし、体育会系で気性が荒くて口の悪いことがまかり通り、上の者は下の者を傷付けることが当たり前という環境でしか通じないと思うが。
僕のように、その話術の思惑を感じ取ったら、嫌な思いをして離れようとしか思わなくなる者もいるだろうし。

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