見出し画像

日々のこと 0926 消えていくもの

毎日を過ごす中で湧き起こるいろんな感情のほとんどは、無かったことになっていく。
誰もが日々怒ったり、楽しかったり、ビックリしたりしているわけだけど、多くの「そのとき私はこんなふうに思ってたよ!」ということは、誰かにわざわざ伝えることなく、通り過ぎて消えていく。

そんな日々の泡のような、でもわりと重要な、「ほんとはこう思ってた」が無かったことになって終わっていくのは、なんか良くないような気がするなぁ…と思うようになった。
知人と向かい合ってごはんを食べながら「いま私は嬉しい時間だと思ってるとして、でもあなたは実はつまらない時間だと思ってるとして、お互いそのまま『じゃあまたね』とバイバイして、いろいろ伝えずに終わるよね」と言ってみた。「それと似たことが書いてある本を読んだよ。岸政彦の『断片的なものの社会学』、面白かったよ」と勧められた。
読んだらたいそう面白かった。岸政彦さん、他のも読んだけど面白かった。

誰の日常にもいろんな出来事や感情がギチギチに詰まってて、この世界は見えない欠片で満ちている。だけど、マンガの吹き出しみたいな雲の形がみんなの頭上に出ていたら、それはすごくイヤな光景に違いない。どんなSF小説でも、他人の心が読めるエスパーは必ず苦しんでいる。
ツイッターが流行るわけだよなあ。

誰かれ構わず他人の思っていることが知りたいわけじゃない。でも私の周囲にいる人や、大事な人や、これからも付き合っていくべき人たちの気持ちが、無かったことになって過ぎていくのはとても残念だと思う。
少し嬉しい気持ちとか、少し悲しい気持ちとか、大げさなものではない「さっき、実はどう思ってた?」が知りたい。知ったところでどうなるわけでもない、小さな揺れを知りたい。
そして多分、私も知ってほしい。伝えるということは、いつもとても迷うことだ。伝えなくていいことを伝えてしまうのは悲しくて怖い。だけど言わなくてもわかることなんて、現実にはとても少ない。行間を読むような心配りで、もっと生きていけたら、いいんだけど。

目の前にあるほどに見過ごしてしまう他人の小さな感覚を、もう少し大事に拾いあげながら暮らしていけたらなあ、と思う今日この頃でした。

記事を気に入ってくださったら。どうぞよろしくお願いします。次の記事作成に活用します。