サウナマッチョ






最近、
いわゆるホームサウナが出来た。



昔行ったことがあるんだけど、
数年たって久しぶりに行ったら
アップデートされまくっていて、
非常に良いサウナになっていた。




立地も自宅からアクセスがよくて、
サウナ、水風呂の温度、外気、全体の清潔感、雰囲気、ほぼ全てが自分好み。


ピカチュウを相棒に決めた時のサトシ
のような気持ちで、心の中で叫んだ。



「君(サウナ)に決めた!」





整い散らかして、



3回目の外気浴が終わった後、
お風呂に入りじんわりと、




「あぁ、
これからのサウナライフ、ひいては
マイライフそのものが勝ち確定やんけ。
よきよき」


と悦に浸りながら銭湯全体を見渡していたら、



あることに気付いてしまった。



気付いたというより、
深層心理ではなんとなく
気付いていたことが
サウナ後の整った脳で見ることによって、
顕在化されてしまい、
見て見ぬふりができなくなった。








「ここ、マッチョがやたら多い。」





だからなんやねん別ええやんか
というよりだらしない身体より見た目もいいし
逆によくない?


とお思いであろうあなたへ、

僕の個人的な意見かもしれないが

大切なメッセージを伝えたい。




「サウナにマッチョはたくさん要りません」




ここから、
サウナとマッチョについて考えていく。


前提として、
僕はマッチョを否定したいわけじゃない。

サウナは人種も年齢も職業も差別しない。
マナーさえ守れれば、
誰にでも整いの世界へ誘ってくれる。



マッチョを敵に回したくないので念のため。
それでは。



まずはサウナ室におけるマッチョの
存在について考えていこう。



サウナ室は施設によって多種多様だが、
大きいスパを除けば、
基本的に他人との距離が近く、
こじんまりとしている。



それがまた独特の趣きを演出し、
隠れ家的な心地よさがサウナーの心を癒す。



茶道の茶室もこじんまりとしている。
そこに趣きがあるのと同じだろう。
そういえば、サウナーがサウナ室をサ室と
略すのは単なる偶然なのか。



サウナはフィンランド発祥のものだが、

日本の侘び寂びの精神がある。




マッチョは、その狭いサウナ室で
「物質的圧迫感」と「精神的圧迫感」
を周囲にもたらす。

物質的なのは当然、身体がデカいからである。
信じられない重量で筋繊維を破壊し、
過剰なタンパク質とカーボで再生され
パンプした筋肉が、空間を圧迫する。


それならばデブも同じではないかと思うかもしれないが、精神的圧迫感が違う。


茶室をイメージしていただきたい。


太った戦国大名が微笑む姿は馴染むが、
筋骨隆々のマッチョは似合わない。


1番似合うのは千利休っぽい
細微笑みおじいちゃんである。


オタサーの姫ならぬサウナーの姫は
細微笑みおじいちゃんである。


戦後の経済復興を支え、すいも甘いも経験し、
乗り越え、微笑む細おじいちゃんこそが
サウナ室に1番似合うのである。


次に水風呂。
水風呂はサウナで快楽の時間である。
なので、水風呂の時間はみんな
快楽に包まれた顔をしている。
マッチョも同じである。


しかし、個人的な身勝手な意見だが、


マッチョは苦しんでいて欲しい。


マッチョは日常生活にどう考えても
必要の無い重い物を持ち上げ、
苦悶の表情を浮かべて欲しい。
もう食べたくも無いササミとブロッコリーを無表情で咀嚼していて欲しい。


至福の表情は、
ボディビル大会終わりの飯の時だけにしてほしい。


外気浴でマッチョが目を瞑り、整っている姿をみているとその鍛え上げられた肉体が気になってしまい、自分の整いの気が散ってしまう。


混んできてサウナが満席になり、扉の外でマッチョたちが並んでいる。
マッチョはなぜか並ばないで欲しい。







ここまで書いていて、本当は別にサウナにマッチョがたくさんいてもいいんじゃないだろうかという気がしてきた。



なぜ僕はこんな気持ちになり、
こんな文章を書いているのだろう。

心を深く見つめると、
そこには嫉妬や憧れの感情がそこにあった。


裸の世界において、どんな言葉を並べようが、
マッチョはカッコいい。


そうだ、僕ももう一度、マッチョになろう。


自分もマッチョになって、気持ちよく整おう。


そんな気持ちにさせてくれた。
もしかして、こんな気持ちにさせてくれた
あのマッチョも、かつてサウナでそう思ったのかもしれない。






こうしてサウナマッチョは増殖していく。
増殖したサウナマッチョが
千利休タイプのおじいちゃんの老後のパラダイスを占領していく。



悔しくなったおじいちゃんは、家に帰って、
孫に戦争や、戦後の話をするだろう。


その生きた経験談が次の世代への平和への思いを育み、世界平和の架け橋となっていくだろう。





ありがとうマッチョ。



最後まで読んでくれてありがとうございます。

なんだこれ、無駄な時間を費やしたというあなたは、イライラしているのでサウナに行った方がいい。

楽しんでくれたあなたは精神に何やら異常をきたしている。
書いている僕はさらに問題なので、一緒にサウナに行きましょう。



それでは。

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