「初めまして」と言おうかと思ったら、ほとんど国語の話になった話。

徒然なるままに、ひぐらし
キーボードに向かひて
心にうつりゆくよしなし事を
そこはかとなく書きつくれば
怪しうこそ物狂おしけれ


ついにnoteを書くことにしました。
文字を書くことは嫌いではなかったのですが、なかなか書こうと思わないと書けないもので令和を迎えてしまいました。

全然どうでもいいのですが
なぜ文字を書くことが嫌いでないかというと
いわゆる国語という科目が昔から得意だったからでございます。

国語とは何かと言いますれば
それすなわち、我われ日本国の母語でありまする。

なぜ国語が得意だったかというなれば
それは、センスだとしか言えないのであります。

幼き頃より本を読むこともほとんどなく、読書感想文もネットのコピペで
日々の習慣だけを見ますれば、国語が得意なわけがない子供だったのであります。
それでも、昔から国語のテストはできが良く
大学進学を控えたテストにおいても
国語だけは東大進学する子たちにも負けなかったのであります。
その頃は、国語の塾なるものに通う同窓生に、よく羨まれたものであります。
私は国語の塾なるものがある所以が分からず、非常に頭をかしげたわけでございまして、それがさらに嫉妬と怒りを買ったこともありました。

その後、AO入試特化の高校生向けの塾で教えることになったのですが
私が見ていた子たちは非常に優秀でした。
日本の有名大学に進学した子は軒並み"あいびーりーぐ"に留学するような子たち
その他にも、"はーばーど"大学や"ぶらうん"大学に進学した子たちもいました。
"とーいっく"や"とーふる"のスコアで言えば、みんなほとんど満点。
英検なんて寝てても1級取れるくらいで、特Aという初めて聞いた級の子もいました。

そんな優秀な子たちに何を教えていたかと言えば
それが国語なのであります。

優秀な教え子たちは、海外滞在期間が長く、日本語と英語では英語の方が得意な子たちばかりでした。
つまり、英語が超できる子たちに国語を教える。
そんなことをしていたわけであります。

しかし、そこで問題がありました。
前述の通り、私は努力したわけでもなく国語ができたわけで
それを人に教えるのは非常に困難なものなのであります。
名選手が名監督に慣れないというのと同じ"ろじっく"であります。

そこで、国語ができるとはどういうことか考えました。
そして辿り着いた答えは2つ。
それは、「構造化」と「共感」である、と。

構造化とはすなわち、
文章を構造に分けるということであります。
小説ならば難しいところもありますが、基本的な文章というものは物事を伝えるために書くものであり
私みたいに、そこはかとなく書きつくっているわけではない限り
そこには、文構造が存在するわけです。
英語の"りーでぃんぐ"で、構造を分けをしたことのある方もいるかと思いますが
英語というのは、非常に構造が分かりやすいものです。
最初に、結論、ぼでーがあって、また結論。
結論の"さんどういっち"でございます。

なぜ英語がこのような分かりやすい文構造があるかと言えば
それは、米国が多民族国家であり、背景を合わせる必要があるからだと。

しかし、日本語はどうかと言えば
比較的単一民族に近かった日本は、背景を説明する必要がなく
"はいこんてくすと"な"らんげーじ"なのです。

さすれども、そのような日本語だとしても
他人に何かを伝える文章は、比較的構造化されておるものであります。
なので、まずは構造を捉えること。
構造を捉えれば、どこが重要かが分かります。
構造化できるとどんな感覚かと言うと、文章を読んでいて、重要なところが浮き出てくるのであります。
それくらい構造を捉えれば、重要なところが手に取るように分かる。
読むべきポイントが分かるので、速読もできるし、要点も掴めるわけです。

頭の良い人が、だらだらした話を聞いて長いと怒ったり、聞き流しているのに要点をついたりするのは
この構造化の力なのであります。

そして、二つ目は共感です。
これは特に小説を読む上で必要な"てくにっく"かもしれません。
小説は時に明確な構造がない場合もあります。
しかし、小説にはたくさんの色鮮やかな人物が登場します。
その言動には、その人の人となりも多分に現れます。

ここで大事なのは、共感力、つまり憑依する力なのです。
どういうことかと言うと
それぞれの色鮮やかな人物に憑依しきれるかというところです。
共感・憑依ができれば、言葉に表れないその人物の心が読み解けるのです。

ということで、国語の話が多くなりましたが、
まあ、文章を書くのが嫌いではないということです。

先ほどの塾を大学時代に"ふらんちゃいず"ではじめて
社会人1年目は大手の会社で大企業や行政向けの営業
社会人2,3年目は大手の会社を辞め、事業立ち上げに挑戦し、モンゴルやスリランカも放浪した末、人材事業を立ち上げ
社会人4年目は人材の事業にチームで取り組みつつ、SaaSスタートアップへの参画

というのが簡単な経歴になります。
もっとこういうことをしていたらなど無くはないですが、そういうことを言うのは運命への冒涜であると考えます。

そろそろ社会人5年目になります。
日々研鑽を積み重ねつつ、少しずつでもここでアウトプットできればと思います。








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