前回更新してから1年経ってしまいました。その間に次男を出産し、子2人とのペースにも慣れてきたので、また再開させて頂こうと思います。 ライターもゆるやかに復帰し、今後は禅を中心とした記事の執筆に集中していきます。専門は哲学、いずれ書きたい哲学論文の主軸が禅となるため、哲学の目線から禅と向き合っていきます。 禅で1番好きなところは、「不立文字」、体感を軸にしているところ。 私自身、「感じる」と「考える」は同意なところがある。頭だけで考えると間違っていることが多い、というかほ
「自由=何でもできる、選べる」ではなく、「自由=自分らしく生きること」。 自分らしく生きるとは、コレだと1つに決めること。 決めてしまえば不安にも、依存にも、嫉妬にもとらわれない。 トラブルが起きても、いつでも責任は自分でとればいいから、意志はブレない。 心が自由なんです。
心配、寂しい、悲しい、不安、みじめ、恥ずかしい、損した、悔しい… この感情が発端となって変わるのが、「怒り」という感情。 怒りの感情が出たら、即考えよう。 「原因となる1番最初の感情は何?」 それを探りあて、受け止めれば、もう怒りは消えている。 怒りに惑わされるな。
自分がされて嫌なことは、人にしない。 自分がされて嬉しかったことを、人にする。 たったこれだけやってみる。 人間関係を、複雑に考えることがなくなります。 自分も相手も、気持ちいいですよ。 (金剛峰寺)
世の中は不平等だ。 自分にできないことだらけで、 自分はダメなところだらけだ。 これって、「結果」じゃなくて「生きる上での前提条件」だと思うのです。 だから自分は、何を、どうやっていくか? ここがスタートです。
自然に触れてください。圧倒的な力を感じるために。 何でも自分の思い通りにはならない 頑張ってもできないことがある 世の中は自分中心に回っていない 仕方ないことも多い 人間は弱い生き物だ と、痛感するために。 そうしてやっと、「自分の」やるべきことが見えてきます。 (金剛峰寺)
「正論を言えば正解」じゃない。 正論には副作用がある。 相手を責め立て、傷付け、罪悪感や自己否定でいっぱいにする。 本当のゴールは、相手の心に届けること。 そのためには、耳を傾けてもらうこと。心を開いてもらうこと。 まずは相手の気持ちをじっくり聞いて、受け入れよう。 (萬福寺)
お盆は高野山と、京都は萬福寺に行ってきました。 高野山は8/13に「ろうそく祭り」。たくさんのお墓に、ロウソクを手向けます。 萬福寺は、黄檗宗総本山。京都で一風変わったお寺が見たかったら、お勧め!やっぱり禅寺のデザインは、オシャレ過ぎます。 いつか禅寺デザインの家を建ててみたいわー! 観光客の方が少なめで驚いたのですが、京都駅から電車で1本だし、駅から徒歩5分だし、2時間は楽しめるし、雨の日でもまわれるお寺。予約制の普茶料理も楽しめば、半日は過ごせます。同じ路線内に東
イライラは、頭までのぼらせないこと。 頭まで達すると、 余計に悔しくなったり、起きていること以上のことを妄想したり、言わなくてもいいことを言ってしまったりします。 イライラは腹に収めて、そこでストップ。 そうすれば怒りの感情も、後悔も減ります。
1日1回、自分のココロを平常に戻す時間を持とう。 ココロが上がっても下がっても、 右に行っても左に行っても、見誤る。 正しくモノを観るために、まずは平常心が大切。 オススメは丹田呼吸。 お風呂の中でも、寝る前でも、いつでもできる。 呼吸を正せば、ココロも元に戻ります。
顔を洗う、歯を磨く、服を着替える、お風呂に入る、仕事をする… 毎日やっている、当たり前のこと。頭で考えなくても、自然と身に付いた動作。時にめんどくさく、時に嫌になり、トキメクことはほぼ稀。 そんな地味なルーティーンも、ドン底に落ちた時には、私を救ってくれる。 最初は動くのさえ億劫でも、徐々に、ゆっくりと、カラダとココロのリズムを整えてくれる。目に見えない力で、落ちてしまったココロを平常心に戻してくれる。 そんなルーティーンを、愛しくさえ感じた夏真っ盛り。 いつかまた
頭はウソをつくけれど、 心と体はウソをつかない。 どんなに頭で自分を騙そうとしても、 いずれ必ず、 頭に気付かせようと、心と体がサインを出してきます。 ゆっくりと、しかし着実に。 どうせなら1秒でも早く、心のままに生きてみよう。
タイミングは外からやってくるわけではない。 もともと、自分の中にあるもの。 何かと出会い、時間を重ねることで ある瞬間突然、タイミングが訪れる。 私たちにできるのは、 タイミングが訪れるように いつタイミングがきてものれるように 日々自分自身を生きることだ。 『投機』