甲野善紀先生の足から
甲野善紀先生の道場(松聲館)にお邪魔してきました。
システマの北川 貴英さん、こいそ接骨院の小磯直樹さんとご一緒させていただいて。
甲野先生からいただいたお言葉:
「巫女顔ですね」
「ぶっとんでますね」←
嬉しいお言葉の数々。
6時間以上もの間、ひたすら身体談義。
はじめは甲野先生の話についていくのがやっとでした。先生のお考え、言葉とその本質、積み重ねてこられたものの奥をつかもうとしました。
先入観を持ちやすい私なので、過去の思考を挟まないまっさらな頭でいることを心掛けました。
同じ言葉でもそこに込める意味、そこに宿すイメージは生きてきた道のりや見てきた景色で変わってきます。
しかし現象として現れる技と結果としてそこに立ち昇る身体は事実で一つ。
私は私の言葉で語りましたが、先生はすぐにご理解下さいました。
私の着眼点は足でした。
分析結果をお伝えすると、先生ともなる方(達人)はやはりそもそも身体が違うのであまり意識されない部分のようでした。(そこもなるほど、という感じ)
私の観点と分析と根拠、、光栄なことに興味を持っていただきました。
先生は先生の感覚で話される。私にはそれの方が嬉しく、達人が観る世界を想像でき、二重にも三重にも得るものが大きかったです。
念願だった先生の足も触らせていただきました。
(今回のこの機会は私が北川さんに「甲野先生の足を握ってみたいです」とお願いしたところ実現してくださったのでした)
達人の足、、
めちゃくちゃ感動しました。
先生の足は過去見てきた誰の足とも違いました。
「これが達人の足なのか」と思いました。
(「超柔らか〜い!!!!」と感動している魔女)
高度な技が繰り広げられる足。
リアルな現役の足。
【本物】を知っているか否か、実体験があるかは身体分析の方向性に大きく関与します。
素晴らしい体験でした。
…………………
身体に触れ、技に触れ、動きを分析。
そこから見えてくるものがありました。
技も直接体験。
甲野先生「技の受け方に品がありますね」
技をかけていただいての私なりの感想は
「風」と「水袋」。
(甲野先生と小磯さん)
北川さんも小磯さんも技術の染みついた"確かな身体"をお持ちです。
しかし甲野先生と並んでしまうと、お二人は軽さが浮いているように見えました。
私は甲野先生から"生きた人間"(地に足がついた存在)による、その在り方の圧倒的さを感じずにはおれませんでした。
私はこれまで「(舞踊家として)どう在りたいか」という問いに対して、軽くて透明感のある人間を理想と掲げていました。
しかし今回、甲野先生の在り方を感じ、抱いていた固定観念は崩され(更新され)、「こっちなんだ」とさらにその先のステージを知ることになりました。
圧倒的にそこに根をはる生きた人間。
しかしいざ動き出せば「技」は風のように駆け抜ける。
全てが包み込まれた、自然そのものに触れた時のような余韻がありました。
それは先生の足の柔らかさから想像するに、先生は『地球とは離れてはいけない』ことを体現されているように思いました。
人間は、個体にも、液体にも、そして気体にもなれるものですが
いまだかつてないほど濃密な液体と希薄な気体
になれる身体を見ました。
あらゆる条件がそろってこその達人なのは分かっていましたが、その項目が見えてきたという感じです。
しかしそれに囚われず、まだまだ身体の神秘に触れていきたいなと、まだまだ深淵があるぞという気持ちになりました。
現代社会について思うことは常々あるため、つい身の程を弁えずに自分の考えを話してしまいましたが、甲野先生もそこに更に乗ってくださって。
「体」を前提にする人間はどこへ派生しようとも帰結する場所は近くなるのかと思った次第です。
とにかく素晴らしい体験となりました。
ご縁をくださった北川さんに心から感謝致します。
今後も様々な方々と触れ合うことがあるかもしれないので、また感じることなどがあれば「足」を軸に、ここに記していこうと思います。
西園美彌
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