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【連載企画2009】旭化成構造転換の波動「野人伝」

このコンテンツ「評伝 野人伝」は、2008年11月11日から2009年10月18日まで宮崎日日新聞で「連載企画 旭化成構造転換の波動」の一部として掲載されたものです。

 旭化成の遺伝子に決定的な影響を及ぼした創業者・野口したがう。既存の価値観にとらわれない野人の一生は、行く先を決めない旅のようなものだった。世界的な不況に世の中が萎縮いしゅくしている今だからこそ、延岡新興の母がたどったワイルドな知的冒険の旅に出る。(文中敬称略)

1 ”序章” 今こそ学ぶ開拓精神

 延岡が発祥の地である旭化成の社名は、繊維メーカーであり化学メーカーでもある、多面的な会社の生い立ちを象徴する。その経緯は、事業欲のかたまりのような男であった創業者・野口したがう(1873~1944年)の存在を抜きに語ることはできない。

 出発点は、1922(大正11)年に延岡で建設を開始したカザレ式アンモニア合成工場と、社名の由来であり同じ年に滋賀県に設立した再生繊維レーヨン製造会社・旭絹織の二つが位置付けられる。

愛宕山からみた旭化成の愛宕地区工場群(旧薬品工
場)=手前。野口がアンモニア合成を開始した記念
碑的な工場でもある              

 いずれも当時の国内最先端事業で、野口がその前年に渡欧した際、アンモニア合成はイタリアから、レーヨンはドイツから、ほぼ独断で技術移入を即決したものであった。

 ちなみに「旭」は、琵琶湖湖畔に建てたレーヨン工場の敷地内にあった寺に由来する。祭られている源平合戦の英雄・木曽義仲、別名・旭将軍から名付けたものである。「化成」は、ワンマンであった野口が死去し太平洋戦争が終戦した直後に付けられたのだが、こちらの経緯は社内でも明確には分かっていない。

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