見出し画像

拳法無頼ジンノー「絶殺の拳士と不死の姫君 の7」

<< 目次

「ジンノー殿ですか? さて、少し休むと言って村のはずれのほうへ向かいましたが。それよりもシャオファさん、ノオラの子の様子は……なんと! ノオラが息を吹き返したと!? そ、それではノオラのところへ私も向かいます!」

 ジンノーを探しに出たシャオファは途中出会ったゴラルドに事の経緯を説明し、彼とは別れてジンノーを探す。
 命を失った人間がかなりの時間を経たのち再び息を吹き返すなどという珍事。ジンノーであれば何か理由を知っているかもしれない。ノオラが無事に甦ったことは何をおいても喜ぶべきことであるが、何か胸中にざわめくもの――それは自分の身に宿るおぞましき呪いにもよく似た――を感じ、ジンノーへと問いたださずにはいられなかった。

「ジンノー様!」

 はたして、ジンノーの姿はすぐ見つかった。村のはずれ、空き家も目立つさびれた一角にジンノーは立木に背を預けて座り込んでいた。どこからくすねてきたものかその手には酒瓶が握られており、常に凛とした姿勢を保っていた彼らしからぬだらけた動きで瓶を呷っていた。

「……シャオファか」

 座り込んだまま立ち上がろうともせず、片膝を立ててしどけない仕草でシャオファを仰ぎ見た。その目はいつもの覇気あふれる光は無かった。
 彼を見つければ、すぐさま事情を問おうと思っていたシャオファであるが、常らしからぬ彼の様子に戸惑いを覚える。

「……ジンノー様、具合でも悪いのですか?」

「どうということもない。少し疲れただけのことよ――それより、ノオラはどうなった?」

 赤子ではなく彼が殺めたはずのノオラの事を問い返したジンノーに、シャオファは彼がノオラの身に起こった変事について何かを知っていることを確信した。

「私とお婆さんが赤ん坊を取り上げた後に……その、命を取り戻しました」

 口にしてみればそれはますます奇妙な出来事だと思う。
 シャオファと老婆が作業を行おうとした時、ノオラはたしかに息絶えていた。心拍も無く、呼吸も無く、冷え切っていく身体が伝える死の気配から一刻も早く赤子を遠ざけようと苦心したことをよく覚えている。
 それがああも急激に、命を取り戻すことなどありえるのであろうか?
 シャオファの報告に、ジンノーは一言、

「……うむ。そうか」

 重く、そう頷いた後黙って酒瓶をまた一口呷った。何かを得心した様子であるが、なんの説明もされないままではシャオファもたまらない

「ジンノー様! 一体何がどうなっているのですか? ノオラさんはたしかに一度、ジンノー様の技で命を失ったはず。それがあんなにも急激に命を取り戻すだなんて、私にはとても信じられません!」

「そう、だな……。うむ。たしかにノオラは儂が殺した。ノオラを絶命せしめた技は完璧であり、何も過ちはない。ノオラは一度死んだ。それは間違いない」

「ではどうしてノオラさんは生き返ったのですか? あれではまるで……私の身にかけられた呪いのようではないですか!」

 混乱にたまらず叫ぶシャオファに、ジンノーは苦笑する。

「おまえの身にかけられたあの呪いなど、そうそう再現できるものではないよ。話はごくごく単純。――事の真相はこうだ『ノオラは死んだ。だが命を失ってはいなかった』」

 まるで言葉遊びだ。死してなお命を失わないとはどういうことだ?

「ノオラが死したことでその身の心拍は止まり、呼吸は絶え、体温を失い、そして反発により己が子を害する魔力もまた途絶える。これによりノオラの子は無事に生まれ出でることが出来た……ここまではおまえに説明した通りの流れであるな」

 では、と指を一つ立てる。

「こうも考えることができよう。ノオラの命があることで赤子の命が危ういのであれば、ノオラの命を奪った後に別の命をもってその身にノオラの魂を留めることができれば、赤子を産み落とした後に身体を再び動かすことができる、とな」

「そんな、ことが……」

 シャオファは絶句した。
 通常、人間にとって命と魂はけして不可分のものであり、片方を失えば片方は消え失せ人間は死に至る。
 シャオファの身に刻まれた呪いにしても、彼女の肉体が急激なダメージを受けて一時的に命を失っても、肉体が再生するまで魂を身体にとどめる強固な術式が何重にもかけられている。
 ノオラがジンノーの手によって生命活動を停止したとき、彼女の身からは赤子に有害な魔力も発生しなくなるが、同時に魂を身体につなぎとめる力をも失ってしまうはずだ。しかしジンノーは何らかの手段を用いて、ノオラを死なせたままその魂だけは身体につなぎとめていたという。
 そしてその技とは――

「『命脈結心』。術者の命を他者の肉体へとリンクさせ、術者の命を注ぎ込むことで他者の生命活動を活性化させる聖術である」

 座り込んだジンノーの手からはごくごく弱い光を放つ、糸のようなものが伸びている。それは村の中へと続いており、おそらくはノオラの身体に繋がっている。この術を用いてジンノーはノオラの命を奪いながらなお、彼女を完全なる死から守っていたのだ。
 それがどれほど困難な秘儀であるのかシャオファには量りかねた。しかしジンノーほどの卓越した聖術の使い手であるならば、そのような術も使いこなすことができるのかもしれない。
 だがそれにしても、とシャオファは憤る。

「そんな術が使えるというのなら、最初にそう言ってください!」

 人が悪い、などというには悪辣が過ぎる彼の隠し事に、さしものシャオファも怒りを覚えずにはいられない。
 母か子か、いずれかの命を奪うなどという恐ろしい選択をするさまを見せつけておいてその実両者を助ける術を隠していたなど、とてもではないが黙っていられることではない。

「なんですか、お酒なんか飲んで!」

 シャオファの悲嘆、そしてその後の驚愕を知りながら彼は村のはずれでのん気に酒を飲んでいたということになる。

(これではあまりにも人を馬鹿にしすぎている!)

 カっと頭に血が上る、その怒りに任せシャオファは座り込んでうつむいているジンノーの腕をつかみ上げた。だが、

「えっ……」

 シャオファは思わず声を上げ、つかんだはずの手をパっと放して後ずさる。
 つかみ上げたジンノーの腕。酒瓶を持ったその手からは……恐ろしいほどに活力が抜け落ちていた。鋭い鋼のごとき、剛拳を振るうはずの彼の筋肉は、弛緩しきったぐにゃりという気味の悪い感覚を彼女に伝えた。
 ジンノーはへらへらと脱力した笑みで自嘲ぎみに告げる。

「そう、がなるな……。儂とて何もおまえを笑い物にしてやろうと思って命脈結心のことを黙っておったのはではない。情けない話であるが、術を用いてノオラの命を救けられるかは、だいぶ分の悪い賭けであったのだ」

 片手の酒――それは過去に村の名産であったというリンゴを用いた果実酒である――をまた呷り、わずかでも活力を補充せんとしながらジンノーは言葉を続ける。

「死とは例えるならば底の無い井戸のようなもの。どれほどの水を注ぎこもうとけして満たされることはなく闇の中へと消えていく。儂がいかに気を練って命を失ったノオラの身に分け与えようとも、すぐさま霧散してしまうのだ。分け与える生命力をけして絶やすことはできず、しかして注ぎ込みすぎれば我が命とてたやすく尽きてしまう。ちょうどよい按排を保つのは、我ながらなかなか難儀であったぞ」

 これはシャオファは知りえぬことであるが、そもそも命脈結心とは本来まっとうに生きている人間の生命力をより強化するための術式である。あるいはせいぜい怪我や病気で生命力が落ちている人間を一時的に助ける程度のものであり、まちがっても死者の魂を留めるためのものなどではない。

 しかもそこからさらに蘇生にまで至るともなれば、これは絶技などというレベルを超越している。これを死を底無しの井戸にたとえたジンノーの言葉を借りるのであれば、細い細い蜘蛛の糸のようにして細心の注意で井戸の中に垂らし込んでいた水を、次の瞬間に大河の濁流のごとく爆発させごくごく瞬間的にであるが井戸を溢れさせたに等しい。そうすればノオラの身体には一時的にではあるが活力が満ちることとなり、あとはそれによって取り戻したノオラ自身の命によってふたたび生命の泉をあふれさせたのだ。

 無論、こんな綱渡りのような技はジンノーといえどたやすく行えることではない。ノオラへと注ぎ込む命を途切れさせてしまうか、あるいは先にジンノーの命が尽きてしまうかそのどちらかであった可能性のほうが非常に高い。

「上手くいく確率でいえば十に一つもあれば御の字というところか。確実に助かるなどとはとても言えんし、期待をさせておいて失敗したのであれば目もあてられん。もう一度やれと言われれば正直ごめんこうむるところであるが……まあ上手くいったのであればもっけの幸いよ」

 そう言って力なく笑うジンノー。その顔つきにはやはりまだ力は戻らない。それほどまでに命脈結心の秘儀はジンノーの身体に大きな負担をかけたのだ。
 文字通り、命を賭けるほどに……。

「どうしてジンノー様はそこまでできるのですか? ――いえ、ノオラさんとその子供をお救いいただいたこと本当に嬉しく思うのですが、そのためにジンノー様が命の危機になられては本末転倒ではないですか」

 当初にジンノーが語ったように、ただ単にノオラの命を奪って赤子を助けるという手段をとっていたとて、一体誰がジンノーを責めることができただろうか? 重く、辛い選択をする役目を背負い、さらにその上自分の命まで賭けるなど並大抵の人間にできることではない。
 いかにジンノーが高潔な人間なのであろうとも、これではあまりにも荷が重すぎるはずだ。どうしてジンノーが命を賭けるほどの決断を行えたのか、その理由をシャオファは知りたかった。
 真剣な面持ちでまっすぐジンノーを見つめ問うシャオファに、ジンノーはややバツの悪そうな顔をして頬をかいた。

「……まあ、のう。たしかにおまえの言う通り、我ながら親切が過ぎたことであろうよ。儂とて今の旅の目的、役目というものがある。本来であればこんなところで死ぬか生きるかの賭けなどしたくもないわ」

「でしたら何故!」

「それはな、おまえが」

 ふ、とジンノーは口元を緩めシャオファに微笑む。

「おまえがあまりにも拗ねたことを申しておったからよ。やれ死にたいだのやれ殺してくれだのと言うものであったからな、儂も『なにくそ小娘め! それほど死が見たいのであれば思うさま見せてやろうぞ』という気分になったのだ。ただそれだけのことよ」

「――」

 シャオファはまた絶句した。ジンノーが命を賭けてでも人を救ったのは、ノオラのためでもなく赤子のためでもなくシャオファのためであったのだ。

「そして、その様子であれば少しは堪えたようであるな。つまらん意地を張った甲斐があったというものよ」

「……全ては私のためだった、とそう仰るのですか?」

「左様。おまえは己自身の命をおぞましき魔術に呪われた、忌むべき命であると思っている。そう思ってしまうこと自体は仕方ないことであるが、しかしそれではあまりにもつまらん! 己の命を己で低く値踏みするのは勝手だが、他人もそうだなどと勝手に思わんことだ」

「私の命の価値は……私が決めることではないということですか?」

「おまえだけで決めることではないということだ。此度の件、ノオラの命とてそうよ。子を産み落とすためであれば捨てるもやむない命、それが本来のノオラの命の価値であり。誰もがそう判断していた。――しかしおまえはそれでもノオラの救命を儂に嘆願し、それが叶わぬと知ったとき嘆き悲しみ……そしてノオラの命が戻ったとき喜んだ。何故か? それはおまえがノオラの命にはそれだけの価値があると思ったからではないか!」

「……!」

 突きつけられたジンノーの言葉に、シャオファは息を呑む。
 実際はそれほど理屈だった話でもない。単に、子供が生まれることを楽しみにしている女性が悲しむ姿を見たくないと思っただけの話だ。しかしシャオファがそう思ったことが、ジンノーに命を賭けさせる決断を促したのであれば、ノオラの命の価値はシャオファが吊り上げたことに間違いはない。

 ……では自分の命はどうだ? 

 シャオファは自身の身体を抱くように押さえ、その身の中に流れるおぞましき魔術の流れを感じ取る。多くの人間を無惨に殺して編み出された、何があろうと死ぬに死ねない命にしがみつくだけの浅ましい外法。そんなものを身に宿した人間の命に果たして価値はあるのか?
 そんなものあるわけがない! と背負った罪に苦しむシャオファの理性は叫ぶ。だがそれと同時にほんの少し、ほんの少しだけ。

『私は生きていてもいいの?』

 そう心に問いかけてくる自分があることを感じるのだ。それはあまりにもちっぽけで、自分自身で肯定することなどとてもできやしない。
 しかしもしも誰かがそれを認めてくれたなら自分は――。

「私は――」

 心の底から沸き起こりかけた小さな呼び声に、シャオファは答えかけた……その時である!

「坊主のくだらん説教はそのぐらいにしておいてもらおうか」

 遮るのは低い男の声。この声には聞き覚えがある!

「ヌウッ!」

 短く唸り、ジンノーは跳ねるようにして起き上がる。即座の対応、瞬時の構え。たとえ体力を大きく消耗していようとも、達人の動きには淀みがない。
 だがそれでも――

「遅いぞ!」

「ぐぁッ!?」

 空間転移の魔術を操り、予想外の場所から突然の奇襲を行う戦技魔術師――昨日ジンノーと争った、シャオファに差し向けられた追っ手、その隊長――に対応するには、命脈結心の影響は大きすぎた。
 頭上より、短剣を持って繰り出された急降下斬撃はジンノーの胸を浅く切り裂いた。僧服が裂け、鮮血が滴る。
 闇の中に現れた男は、追撃を行うこともなく間合いを空けた。斬撃を受けたジンノーは耐えきれず片膝をつく。

「惜しいな。心臓を一突きするはずであったが、まさか避けられるとはな」

 おまけに、と手に持った短剣を振れば、

「傷を受けながらもこちらに一撃を返してくるとはな」

 パキン、と乾いた金属音を立てて短剣が上下二つに割れ砕ける。斬撃を受けた瞬間に先手を取られながらもジンノーは反撃を行ったのだ。

「……もう追っ手が来やがったか。ケッ、深夜労働たあ存外マメに仕事をする野郎じゃねえか」

 そう毒づきながらも傷口の鮮血に顔を歪めながら、ジンノーは拳の構えをとる。
 貧しくも穏やかな村での、ただ命を救うためだけの時間は終わりを迎えた。

 そしてまた再び、命を狙いあうだけの戦いの時間が始まる。

「まだそう遠くには行っていないだろう踏んで、近隣の村をしらみ潰しにしてみれば……思ったよりも近くに居てこちらも驚いたくらいだよ。姫と二人、のん気に田舎見物でもしていたか?」

「うるせい、こちとら暇じゃあねえだけだ」

 ジンノーと魔術師は間合いを空けてにらみ合う。
 短剣をジンノーのカウンターによって折られた魔術師は無手であり、手持ち無沙汰にぶらぶらと手を振った。
 それは隙だらけの動きであるが、ジンノーはじっと構えのまま不動である。

「どうした僧侶。攻めてこないのか?」

「ぬかせ。転移魔術の使い手にやすやす踏み込む阿呆がおるか」

 転移魔術。それがこの魔術師の得手であり、ジンノーはそれを警戒した。

「ククク。またずいぶんと慎重だな。無頼の拳士がガラでもなかろうに、そう警戒してくれるなよ――!」

 言葉とともに魔術師がパっと大きく手を振れば、その手の中に『長剣』が握られていた!
 隠し武器を抜いたか? いや違う! 手品師でもあるまいし、長身の魔術師の身の丈の半分ほどもあろう長さの剣など隠し持てるものではない。

「取り寄せ(アポート)か……!」

 転移魔術とは何も今手元にあるモノ(あるいは自分自身)を離れた場所へ送る魔術だけではない。遠方にある物体を自分の手元へと空間を跳躍して引き寄せる魔術もまた転移魔術の一部だ。
『取り寄せ」は通常の転移に比べても非常に高度な魔術であり、この魔術師が卓越した魔術の使い手であることを物語っている。
 もしもジンノーがうかつにこの魔術師の間合いに踏み込んでいれば、取り寄せた長剣によって迎撃されていたことは想像に難くない。敵の魔術師の腕前を即座に見抜いて、不用意な行動をさけたジンノーもまた一流の戦士である。

「今度の剣は折ってくれるなよ――」

 剣を構え、魔術師が踏み込みの姿勢を取り、そして――

「!」

 ジンノーが瞬きする間よりもなお早く、フッとその姿が掻き消えた!
 転移魔術。今度は取り寄せではなく自分自身を転移させたのだ。

「ジンノー様! 後ろです!」

 離れて見ていたシャオファは叫ぶ! ジンノーの後方、数歩離れた場所に魔術師の姿が現れる。すわ、背後からジンノーを奇襲するつもりか!

「……」

 しかしシャオファの声を聞いてなお、彼は動きを見せない。じっと前方を睨んだまま振り向きすらしない! このままでは背後から剣で斬り貫かれることは必至。何故ジンノーは動かないのか?
 魔術師はそのままジンノーに肉薄し、彼の背を斬りつけようとする!

「……!」

 剣の切っ先が触れるか触れないかというその瞬間、ジンノーはカっと目を見開き、

「ツァーッ!」

 鋭く吐いた息ととも拳を前へと突き出す!

「ヌゥッ!?」

 戸惑いの声を漏らしたのは魔術師のほうだった! 背に肉薄していたはずの男は……ジンノーの前方に居た!

「どうして前に!?」

 背後から襲い掛かっていたはずの魔術師が何故ジンノーの前に? シャオファの驚きと疑問に答えるものはいない。いまだ戦闘は続行中だ。
 チッ! とジンノーは舌打ちする。反撃の手応えが思ったよりも少ない。ジンノーの拳は魔術師の身体をかすめたのみ、浅い! 

 痛打を受けなかったことで魔術師の戸惑いは一瞬で消え去り、再び声すらあげず静かに転移の魔術を発動させる。次の転移先は……上! ジンノーの上方、空中だ! 先ほどジンノーに傷を負わせた急降下攻撃を再び行うつもりだ。
 死角からの攻撃を警戒しているはずのジンノーも当然、その気配を察知した。同じ手を何度も使わないだろうという予想を裏切る魔術師の攻撃だ、すぐさまその迎撃をすべき! しかしジンノーは――

「そこだッ!」

 自身の右手側、脇腹のあたりに身をかがめ、足を狙う斬撃を目論んでいた魔術師に振り下ろしの肘鉄を見舞う! 

「グゥッ!」

 今度の攻撃は浅くは無かった。生半可な金棒などよりよほど鋭く重いジンノーの一撃である、無理な姿勢であるため攻撃力は半減しても威力は十分。魔術師は頭部への打撃を避けるので精一杯、そらした頭が左肩への衝撃を許す! 骨を折るには至らぬが、しばらくは剣を握ることなど不可能。
 摩訶不思議なのは、またしても魔術師が転移した場所とは違うところへのジンノーの迎撃だ。ジンノーほどの強者であれば、転移先への対応はもちろん可能なはず。しかしジンノーが実際攻撃を行ったのは転移した魔術師の方ではなく、てんで別の方向。であるにもかかわらずジンノーの攻撃は魔術師を捉えていた。これは一体?

「まるでそこにいるかのような『気配』のみを分離転移させ、実体はそのまま移動して攻撃をしかける。――『独り歩く影』とか言うんだったか? おまえら転移魔術師の十八番だったな。古臭い手だぜ」

 にやりと笑って拳を握りなおすジンノーに、魔術師は剣を取り落とし肩を抑えて立ち上がる。

「……言うほど簡単に対処できるものではないのだがな」

 魔術師の言うとおりである。なるほど、言葉にしてみれば単純なトリックであり知ってさえいれば誰でも看破できそうではあるが、事はそう簡単ではない。
 濃厚な攻撃の気配を至近距離で受けて、あえてそれを無視するというのは非常に難しい行為であるからだ。ましてジンノーごとき達人であるならば、たとえ意識せずとも身体が勝手に反応してしまうことはままある。

 また、転移魔術師にしても自分たちの得意技が広く知られていることは承知しているはずであり。それを知られていることを前提とした戦術を組み立てている。最初に行った空中からの奇襲がその布石である。あの攻撃を印象づけることで、上空からの攻撃に対し過敏な反応を引き起こすはずであったのだが……。
 しかしジンノーはそれを完全に見切り、鋼のごとき胆力をもって迷うことなく自分の判断に準じきった。これには魔術師も舌を巻かざるをえない。

「兵士数人を瞬く間に倒したあの手並みといい、安い腕の拳僧士ではあるまいと思っていたが……これほどとはな」

「オイオイオイ、あんまり褒めてくれるなよ。恥ずかしくて殴り倒したくなるじゃねえか」

 そう言って再び拳に力を漲らせる。実際ジンノーもここでこの魔術師を完全に仕留める腹積もりである。転移魔術を自在に操る魔術師に目を付けられては、シャオファを連れて穏便にこの土地を出ることは難しくなる。なんとしてもここで決着をつけねばならない。

(クソッタレ、しんどいぜ。膝が笑いかけてやがるな……奴さん気づいてくれるなよ……)

 それに加えて命脈結心による体力の消耗の影響はやはり大きかった。初撃と、続く転移攻撃をしのぎきれたのはジンノーにしても僥倖であったと言わざるをえない。警戒心からか今のところ消耗には気づかれていないが、いつそれが露呈するとも限らない。すばやい決着をジンノーは望んでいた。

「こっちを仕留めに来た立場を逆転させちまうようで悪いがな、ここいらでケリをつけさせてもらうぜ。――今度は逃がさんぞ。次に長距離転移の兆候を見せたらその瞬間に身体に風穴が空いていると思え」

 握りこんだ拳を弓のようにギリギリと引き絞り、魔術の発動よりもなお速い一撃を叩き込むつもりだ。その一撃はジンノーの言葉通り、脅しでもなんでもなく魔術師の身体を打ち貫くだけの威力がある。
 しかしこれは駆け引きだ。魔術師がこのまま先ほどのような攻撃を続ければ、体力を消耗したジンノーの分が悪い。かといって相手を逃がすわけにも、自分が逃げるわけにもいかない。ならば狙うべきは一撃必殺――その迎撃。

 技と言葉をもって相手にプレッシャーを与え、あえて全てをかけた最高の一撃を誘い、これを凌ぐことで即座の決着をつけるつもりだ。
 だがこれは危険な賭けだ。いくら短期決戦が望ましいとはいえ、ジンノーの消耗は大きく相手の魔術師もまた達人だ。必殺を狙う一撃をはたして今のジンノーが迎撃できるものか……。

「……拳僧士、貴様の名はジンノーとかいったか?」

 ぽつりと呟くように魔術師は言った。名乗った覚えはないが、先ほどシャオファが警告の声を出したときに聞いていたのだろう。

「いったがどうした。儂は今からぶちのめす相手の名前なんざ興味ないぞ? 今さら名乗り合いでもなかろうよ」

「ジンノーか。おまえは『何』のジンノーだ?」

 軽口にはとりあわず、重く響くような声で魔術師は問い直す。

「何の……?」

 魔術師の問いの意味がわからず、シャオファはわずかに首をかしげる。だが実のところ、それはそうおかしな質問ではなかった。

「この大陸にはジンノーなどという名の男はどこにでもいる。市井にも居れば宮殿の中にでもいる、なんならば獄の中にもいるだろう。薄汚いドブネズミの名でもあれば、ただの凡夫の名でもあるし、栄えある英雄の名でもある。さて貴様は何のジンノーだ?」

 ジンノー。魔術師の言うとおり、その名を持つ男はこの大陸では数え切れないほど多く居る。そもそもジンノーとは『ジンノーヴェルガ』という伝説にある闘神の名を縮めたものだ。神々の軍勢にあってもっとも猛々しいと言われるその神の名にあやかってその名をつけられた者は少なくない。
 そして同じ名を持つ人間が多くいるのならば、その一人ひとりを呼び分けるためには『枕詞』というものが必要となってくる。独自の姓を持つ富豪や貴族でもないならばそれは単純に職業や地位、あるいは住んでいる場所などを簡潔につける場合がほとんどである。
 例えば『鍛冶屋のジンノー』や『村長のジンノー』、『ドコソコ村のジンノー』『ナントカ谷のジンノー』などといった具合にだ。

 だがそれとは別に、真っ当な生き方をしていない者(ジンノー)はそんな言葉を頭につけては名乗らない。日陰者、裏社会の人間、犯罪者あるいは漂白の拳士……彼らが名乗るのは己の立場などではなく己の生き様を表す言葉。
 すなわち『二つ名』である。
 魔術師が問うたのはそれだ。ジンノーが只者ではないと見抜く、その名を確かめてみることにしたのだ。

「名乗れ! そうすれば貴様の狙い通り、こちらも必殺に乗ってやるぞ!」

 魔術師の言葉に、ジンノーの眉間には深い皺が寄った。魔術師はジンノーの思惑を見抜いていたのだ。ジンノーの名乗る『二つ名』がはたして自分が必殺の一撃を賭けるに値する男かどうかを計るのだろう。
 ならばジンノーの答えは一つ。

「――よかろう」

 ザ! と足を踏み鳴らし、必殺の一撃を待ち受ける姿勢を取る。それは即ち己の名が確実な宣戦布告となることを知っての構えだ!

「儂の名はジンノー。――人呼んで『絶殺』のジンノーなり!」

 音声を張り上げ名乗るその気迫に、魔術師も「唸」と呻き一歩後ずさる。

「絶殺……。『絶殺』のジンノー、様……」

 彼の名乗りにシャオファもまた慄く。彼が恐ろしき技を持つ拳士であることはもちろんわかっていた。しかしそれと同時に、慈悲深くも優しい治癒の聖者であることも知っている。……だが彼が名乗った二つ名は『殺し』『絶つ』という禍々しい意の名前だった。

 それがシャオファには空恐ろしさを……そして胸に鋭く刺さる悲しみの思いを与えた。

「『絶殺』のジンノー、か……聞かぬ名だな」

「だろうよ。こちとら自己紹介は得意じゃないんだ……いつもは名乗る前にドタマをかち割るからな」

 戦慄の汗を拭う魔術師に、ジンノーはにやりと笑う。

「なるほど、大仰な二つ名だと思ったがあながち冗談でも無さそうだ。――いいだろう。ならば望みどおり必殺の勝負をしてやる!」

 魔術師は数歩を飛び退り、間合いを開く。拳士には遠い間合いであるが、転移魔術師には十分だ。自身を転移させるか、あるいは何かを引き寄せるか。いずれも自在であり、そのカードをちらつかせ惑わすこともまた戦術の一部だ。
 対するジンノーは不動。事にいたってはもとより自分からの攻撃は慮外。相手の必殺の攻撃をまず受け、しかる後ジンノーもまた必殺――否、『絶殺』の技を見舞うつもりだ!

「……!」

 シャオファは息を呑んだ。対峙する二者の中央に立つ形となったシャオファの身に、ビリビリと不可視の圧力がかかる。一方は高まる魔術師の魔力、一方は練り上げられるジンノーの気迫。いずれも形無きものであるにもかかわらず、まるで大きな壁が迫りくるかのような圧がある。
 一触即発。その気配を濃厚にし、両者は睨み合う。激突が起こるのは次の瞬間か。
 だが、次に起こった事態はシャオファにも、魔術師にも、そしてジンノーにも予想できぬことであった。

「ッ!」
「これはッ!」

 突然、睨み合う二人は弾かれたように高まり続けていた緊張を霧散させた。必殺の応酬すら放棄せざるを得ぬ異常事態の気配を感じたのだ。

 ぞぶり。

 二者の中央に、黒い染みのような直視しがたき空間の歪みが生じたのだ。
 ジンノーは厳しい目で空間の歪みを凝視する。これが魔術師の仕業でないことは敵の動揺からも明らか。ならばこれは――。

「……来やがったか」

 奇襲を仕掛けてきた魔術師と同様に、何者かがこの地に現れようとしている。それも通常の、人間の魔術師の扱う転移の魔術によってではない。
 ジンノーはこの異常を知っている。知りすぎている。十年の昔より、この力を使うものたちと戦い続けてきたのだから。
 そう、それはつまりジンノーが『大戦』にて戦ってきた敵が来るということだ。

 すなわち『魔族』の到来である。

(続く)

貴方!もし貴方がサポートをしてくれるなら。得られたサポートは無益にせず、さらなる飛躍のために使うことをここにお約束します!