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トーマス・ジェスキー:Team USAでのカルチャーシフト、朝のシャワーそして究極のふくらはぎ対決


Thomas Jaeschke : Cultute shift with Team USA, morning showers and the ultimate calf competition


 エイヴリルがYouTubeチャンネルでいろんな人物との対談をアップしてくれるようになり、2022年10月19日にはジェスキーが登場。USAでのチームメイトだからこそ聴けるような、とても興味深い話をたくさんしてくれているので、文字にして残しておきたいと思う。

※ 取り上げているのは動画の内容すべてではありません。特に、エイヴリルも自身についていろいろと語ってくれていますが、今回はジェスキーを中心にまとめているため、かなりの部分を割愛しています。訳も忠実なものではなく、意訳が多くなっています。また、誤訳のある可能性があることもご了承ください。
※ 補足及び筆者の感想等を( )内に書いています。


1. スタート

 エイヴリルもジェスキーも、この夏は別々に休みを取ったので会うことができず、これが久しぶりの再会となった模様。

エイヴリル:
 この2年間、断続的に足の痛みに悩まされていて、昨季のクラブシーズン終了時点ではものすごく悪かったわけではないのだけれど、2024年のパリ五輪が最大の目標なので、そのために休みを取った。
ジェスキー:
 これまでずーっといい時がなかった。常に次の練習、次の試合と前の前にやらなければいけないことがあって、メンタルヘルスの面でもフィジカルの面でもオフがなかった。去年の東京五輪後に1ヵ月の休みを取ったら、リセットできて次に向かう準備ができ、昨季は(Milanoで)これまででベストなプロシーズンを送ることができた。それで今夏も休みを取ることにしたんだ。その決定には、みんなからどう思われるだろうという不安や、自分が後退するかもしれないという恐れも伴うけれど。それでも、時にはチームよりも自分のために決断を下すことが必要なときがある。


2. わがままになれる力…(The power of being selfish…)

エイヴリル:
 NTにノーということは難しい。8ヵ月間のプロシーズン中に、今日は膝の状態が悪いので練習したくない、試合に出たくない、と思う日があるけれど、それを選手から言い出すことは難しい。だからコーチか誰かが選手にノーと言わないといけない。そうじゃなければ、自分が自分自身のお父さん(ダディ)にならなければ。
 メンタルヘルス的に、親しい人たちとの時間を持つことも大事。休みが長いほど、バレーボールが恋しくなって渇望するようになる。
ジェスキー:
 本当にそう。数ヵ月間の休みの後にジムに行った時のエネルギーは、2日間のオフの後とは全然違う。
 東京五輪が1年後ろ倒しになったことでスケジュールがよりハードになったし、五輪後にNTでは選手の入れ替えがあって時間が必要だったけれど、すぐに世界選手権があって、またすぐに次の五輪がやってくる。こういうことについて去年(Milanoでチームメイトだった)マッテオ・ピアノと話したんだけど。ピアノは君のダディだよね。
エイヴリル:
 そう。自分にはダディがたくさんいるんだ(笑)。
ジェスキー:
 ピアノは「誰も本当に君のことをケアしてはくれない。ただ自分のためにやるんだ。自分のことは誰よりも自分が一番わかっているんだし、自分が大事だと思うことをするのが何より大事だよ」と言っていた。確かにそうで、自分はこの夏に休みを取って、財政学の学位を取得し、大学を卒業したんだ。ちょうど卒業したその日にチームは世界選手権に向けて出発し、自分は1ヵ月半プレーできないことに。怪我の影響を100%受けた。

↑ ピアノとの対談も最近アップされた。


3. トムはなぜ大学を早くに離れ、プロに転向したか(Why Tom left school early to play pro)

ジェスキー:
 Verona時代にもMilano時代にも、USAで活動中も、オンラインで大学の授業を受けて残っていた単位をこつこつと取得していた。そうしてこの夏ようやく卒業できた。
(とジェスキーが詳しく説明していたんだけど、エイヴリルとなかなか話が噛み合わず。エイヴリル、ジェスキーが1年早く大学を離れてプロになったことをすっかり忘れていたからだった(笑))
 1年早く大学を離れたことについては、今振り返ってみると、あのまま大学に残っていても当時の5人目のOHロットマンを押しのけてリオ五輪のメンバーに入れただろうけれど、あのときはNCAAで2連覇を果たしたところで、もう大学で勝ち取るものは何もないと思っていた。それよりも、五輪のチームに入ってそこでベストなポジションを得たいと思ったので、話し合いをして、3年生終了後にUSAでプレーし、シニアチームと一緒に遠征に出た。それは自分のキャリアを思うといい決断だったと思う。大学からは4年生として残ってほしいと5万ドルの支払いを提示された。でも、自分が大学を離れるべき理由をいろいろと考えた。

    当時Modenaからもオファーがあったけれど、Modenaはスターターが約束されるチームではなかったので断った。しかもあの頃の自分はModenaについて何も知らなくて、世界でトップのクラブだということもわかっていなかった。
 Resoviaからもオファーをもらい、そこではロットマンがプレーしていて、自分も契約に至ったけれど、いろんなことがわかるようになった今となっては、プロ1年目でResoviaというクラブに行けた自分はとてもラッキーだった。しかもその頃の自分は、リーグやクラブやそこにいるファンのことを何も知らなかったので、かえってプレッシャーがなくてよかったと思う。

エイヴリル:
 自分もいい個人成績で大学リーグを終え、Padovaへ行ったけれど、当時の自分はイタリアリーグの誰のことも知らず、チームメイトも対戦相手も全然知らなくて、だから尊敬する選手との対戦で緊張する等もなく、それは大きなアドバンテージだった。
ジェスキー:
 今は年をとってお互いダディになったよね(笑)。

ジェスキー:
 USAに入った頃は、今の自分とは全然違って静かだった。今はよく声を出し、競争的になっていると思うし、強い感情を露わにすることも恐れないけれど、当時はとても静かで、頭を下げ、自分のことやチームを助けることに専念していた。
 USAジムに初めて足を踏み入れたとき、アンダーソンやリー、ホルト、スミス、マーフィー(・トロイ)らがみんな自己紹介してくれた。自分が自己紹介をしようとしなかったから。
 その時からリオ五輪まで14ヵ月、本当にチームとして成長したと思うし、とてもいいグループだったとも思う。当時のチームの好きだったところは、みんなが自分の仕事にめちゃくちゃ一生懸命に取り組んでいて、自身の役割をよく理解していたところ。自分の役割は、ベンチから出てきてチームにエネルギーを注ぎ、パスをして得点を取るようにすることだった。世界のトップにいる選手たちのそうした姿勢を見て、多くのことを学んだ。
 そして、ロン(アーロン・ラッセル)と仲よくなって、今も続く親友になった。彼のような親友を持てたことは自分の人生の転換点となり、それ以降、これまでよりもずっと快適に過ごせるようになった。


4. Team USAのカルチャーシフト(Culture shift with team USA)

エイヴリル:
 自分がUSAに入った頃、チームにはマイルドなカルチャーシフトが起こっているような感じだった。もしトムもそういうことを経験していたら、興味があるんだけど、お互いに対してより厳しく接するようになって、物事をソフトにするようなよりいい言葉が欠如していっていたと。それは健康的なものになることもあれば、話し合おうぜ、が必要になることもあるよね。
ジェスキー:
 みんなが言っているように、北京五輪チームのときはジムに敵対的な空気が流れていて、口論や喧嘩が絶えなかった。よく知らないけれど、それがロンドン五輪チームになると、健康的なものではなくなったのかもしれない。ロンドン五輪後にジョン(・スパロー)が監督になったけれど、彼はUSAのカルチャー全体を変えたかった。


5. コート上での批判(Shit talking on the court)

ジェスキー:
 自分は健康的な競争的口論の大支持者。(バスケットボール選手の)ドレイモンド・グリーンが練習中にプールの顔を殴ったけれど、あれはよくない、あれはやりすぎ。
 練習に行って、個人スキルの練習の後で6対6をするとき、相手チームのメンバーはもう自分のチームメイトじゃないし、もう友好さもない、自分たちが勝ちたい、相手チームのメンバーのことはどうでもいい、そうやってプレーするべきだ、というのを自分もスパローもいいと思わないし、スパローはそれを健康的なやり方だとは思わない。ただ無理強いするばかりで、怒鳴られる。それはいいと思わない。
エイヴリル:
 健康的なバランスの問題。シットトーキング(言い争い)は、ある意味では最も健康的な敬意の表現法。相手のことが本当に嫌だったら話さない。プロで、かなり高いレベルでプレーする選手たちは、お互いを高めるために言い争いをする。初めてUSAジムで練習したとき、セットもミスり、ショートサーブのレセプションもしくじり、何もかもうまくいかなかったが、そしたらギャレット(・ムアグトゥティア)に「くそが」「くそまぬけなMBが」等と文句を言われた。最初の頃、自分はそれをいつも個人的に受け取っていて、嫌だと思っていた。その後、自分たちの関係性が大きく変わっていくと、そういったことは健康的な訴えだと捉えるようになっていった。ハイレベルになるほど小さいスキルがかなり求められるようになる、フリーボールが来たらそのパスは完璧でないといけない、誰がコートにいようが関係なく、パスは完璧でなければならない、と。そのことをそういった体験から学んでいった。今の自分は、もし誰かがフリーボールをオーバーパスにしてしまったり、アタックライン手前にしか上げられなかったら「何やってんだよ。完璧にやらないと」となる。健康的なコミュニケーションは必要だけど、実際のプレー中の場面では、コート上ではまた別で、それが敬意を持って表出されたものであれば、競争的でもかまわない。


6. サーブとコーチのインプットの二律背反(The dichotomy of serving and coachs input)

エイヴリル:
 昨季USAのアシスタントコーチを務め、現在はOlsztynで指導を受けているウェベルは、とてもいいコーチで人間的にも素晴らしい。彼はかなり豊富な経験を持っている監督で、その事実だけで最初からすでに尊敬の念を持っていた。そして日々の会話を通して、その尊敬はさらに大きなものになっていった。彼とはとてもハイレベルな話し合いができる。そういった監督との経験はこれまでになかったもの。
 アメリカの子どもたちはいまだに、世界最高のバレーボール選手は誰か、世界最高のリーグはどこか等々、何も知らない。アメリカのバレーボール界には、子どもへのコーチングのやり方をわかっていない人ばかりで、アメリカに帰ってくるとその事実にがっかりして悲しくなる。一緒にトレーニングキャンプをしたりすると、え?となることがよくある。
ジェスキー:
 中国行きのためのビザ等を待っている間、母校のLoyolaでボランティアアシスタントコーチをしているが、Loyolaは今季から、UCLAで長年スパローと一緒にやっていたホークスが監督になったので、国際的なバレーボールのことをよくわかっているし、自分にも「どう思う?」とオープンに訊いてきてくれる。コーチングスタッフも素晴らしい人たちばかりで、自分は恵まれている。
 これまであまりいいと思わなかった監督がいて、1人はResoviaにいたときの監督(コヴァル)で、もう1人はその後Veronaで監督だったストイチェフ。
 ストイチェフは情報の与え方がよくなかった。「〜してはいけない」「〜するな」で、8ヵ月間のクラブシーズンが終わった頃にはとても打ちのめされた気分になっていた。今でも覚えているのが、練習中のドリルでうまくいかず、すると途中でストイチェフが止めて、それぞれに「君はここがだめだった。君はここをミスした。君はこんなことをした。君はこんなにひどかった」とだめなところを指摘しまくった。自分は彼を見て「じゃあ自分たちはどうすべきだと?あなたは自分たちにどうしてほしいんだ?間違いをただ指摘するだけで、それはみんなわかっていること。あなたはそれ以上の新しい情報を何1つくれなかった」と言ったら、彼は激怒して自分を練習から追い出した。選手を練習から追い出す監督として有名なのかどうかは知らないけれど。当時を振り返ってみても、彼には正直さが感じられなかった。

ジェスキー:
 今、Loyolaで大学生を見ているが、サーブを打つ選手に「ミスをするな」と言い続けると、ミスをすることへの恐れが染み付いてしまう。自分は言い方を変えるようにした。「思い切ってサーブを打とう」「自分のサーブを打つんだ」と。
エイヴリル:
 例えば、前の2人がサーブをミスっているとき、次にサーブを打つ選手に対して「3連続でミスってはだめだ。絶対に」と言うよりも、さっきトムが言っていた「サーブを思い切り打っていこう」「自分のサーブを打とう」という声かけの方がいい。選手としての経験から断言するが、「サーブをミスるな」という声かけはいつでもまったく機能しない、何の役にも立たない。そういうとき、ウェベルは「これがチームにとってベストなことだ。ジャンプフローターサーブを打ってほしい。君のジャンプフローターサーブはかなり高い確率で入るから、それが今チームに必要なことなんだ」と説明してくれる。
 その前のターンでサーブをミスしていると、次のターンでは絶対にミスをしてはいけない、サーブを入れなければいけない、と選手は必ず思う。そのときに「ミスするなよ」と言うコーチはだめ。「自分のサーブを打て」と言って自信を与えてくれるコーチがいいコーチ。

(サーブを打つ時にいかにミスをする恐れや不安、緊張から解放されるか、自信を持って挑めるか、が本当に鍵なんだな、と聴いていて改めて思った)

ジェスキー:
 リオ五輪後にResoviaに行ってから、自分の自信が揺らいだ。というのも、そこで起こったことは、もし自分がいいプレーをしていて、スターターになって試合でもいいプレーをして、5試合連続出場したとしても、その次の6試合目にはスターターから降ろされてしまい、その次のトレーニングでは2番手に降格されることが想像できるという状況。その前の5試合が何の意味も持たないということ。それがその先に長く続く保証になり得ないということ。
 USAでも、当時の自分はまだ若く未熟で、テイラー(・サンダー)とロンという2人のベストOHが自分の上にいて、スターターになりたかったけれどなれなかった。左膝のACL(膝前十字靭帯)損傷を負う直前の時期は、自分にとってベストなバレーボールがプレーできていた頃で、あのままやっていたらスターターになれたかもしれなかった。でもACL損傷を負ってしまい、自分の自信は砕け散ってしまった。

本当にこの頃のジェスキーはとてもいいパフォーマンスを見せていて、絶好調期だったといえる
試合後ジェスキーにハグをするクリステンソン、とホルト
親友ラッセルとホルトと
ワッテンも
スパローも

ジェスキーのケガの軌跡:
・NTに入った1年目、当時は練習メンバーだったけれど、脚を骨折して手術を受けた(2015年ワールドカップ期間中のこと)。
・6ヵ月後、テイラー・クラブのセットを打った後の着地で足首を酷く捻り、第5中足骨骨折となり手術を受けた。
・2018年6月にWL、シカゴ会場でのセルビア戦の最中に左膝のACL損傷。丸1年間プレーできずだったが、Veronaはもう1年契約を延長してくれた。15ヵ月の回復期間を経て、トレーニングスタッフに「かなりいい感じ」と話していた1週間後に…
・2019年日本でのワールドカップ、ポーランド戦で途中出場、そこで右肩を脱臼。


7. 亡くなった人の膝蓋骨(A dead man’s patella)

ジェスキー:
 ACL損傷に対する手術後、当初は回復までに15ヵ月かかる予定ではなく、もっと早く復帰できるはずだった。ただ、ジャンプと着地、膝の回旋を安定させるために、また、新しいACLを作るのに自分の膝蓋骨を使ったため、それには十分な長い期間の回復過程が必要とされた。亡くなった人の膝蓋骨等を使用して再生手術を行う場合もあるので、もし自分がまたACL損傷を負ってしまったら、亡くなった人の部位を使うと思う。
エイヴリル:
 ひぇぇぇ、亡くなった人の膝蓋骨を使うの…

ジェスキー:
 肩の脱臼について。ワールドカップのポーランド戦で、ネット際に落ちそうなボールに突っ込みチキンウイングで上げたものの、そのままポールに突っ込んでぶつかり、肩の骨が前に飛び出した。脱臼だったので自分で入れようとしたけれどできず、チームドクターもコートに入ってきて入れようとしたけれどできなかった。その時は痛みよりもショックの方が大きかった。自分の肩が鎖骨に固定されているように感じるぐらい、腕を動かすことがまったくできなかった。指がチクチクし始めて、次第に手と腕の感覚を失い始めた。コートから出て、フロアにうつ伏せに寝た状態になり、チームドクターが自分の腕を折り曲げた状態でぐっと下に引っ張ってから押し入れて、肩を元に戻した。

↑ ジェスキーが肩を脱臼したときのシーンも入っている。


この試合でも、膝の怪我以降ようやく彼らしいプレーが、と思った矢先の怪我だった
バボちゃんに垂れ下がるテーピング事件の日だけれど、このときジェスキーは本当はショックで打ちのめされていたはずなのに、写真ではぎこちなくも笑っている
画質が荒くて見づらいですが、肩を脱臼した翌日に試合会場に姿を見せたジェスキー
この後、大会途中だったが治療のためにアメリカへ帰国した

ジェスキー:
 そして、肩の関節唇を修復する手術を行なった。肩が開いてしまったので、元に戻すための手術。それはリハビリでもできないわけではないけれど、これからもスパイクやサーブを打つのに肩を後ろに反るたび脱臼する危険性があったので、再びプレーするためには手術が最善の方法だと思った。

エイヴリル:
 ACL損傷から15ヵ月の回復過程を経て、調子が戻ってきたと思った矢先の肩の怪我、そしてまた手術となって、メンタルが打ちのめされたのでは?
ジェスキー:
 メンタル的にもフィジカル的にもいい状態ではなかった。最悪だった。

 でも、肩よりもACL損傷の方がはるかにつらかった。ACL損傷の手術後に、身体を水平から垂直に動かすと血液が幹部を流れていくように感じて、身体に深く刺すような痛みを覚えた。術後に初めてシャワーを浴びようとしたけれど浴びることができず、何もできずに、シャワー室で泣いていた。アスリートにとって身体がすべてなのに、自分の身体をきれいにすることさえできない。精神的にかなり落ちた。自分の望みはただもう一度プレーすることだった。さっきも言ったように、その夏が自分にとってベストなバレーボールをプレーしていたときだったから。
エイヴリル:
 入浴介助の人は頼んでたの?
ジェスキー:
 (少し顔を赤くして照れた感じで)いや、あの、当時の彼女が一緒にいてくれたから。(だってw)
 自分はスーパー頑固で、全部自分の力でやりたかったから、助けを求めようとしなかった。あの頃は何度も泣いたのを覚えているし、精神的にもかなりきつい状態が続いた。
(この後、術後の痛みを抑える鎮痛剤についても2人で話している)
エイヴリル:
 膝の手術後に初めて映画館に入った時、パニック発作を起こした。なんだか酷い気持ちになってしまったんだ。自分に「ちゃんとしろ。おかしくなるな」と必死で言い聞かせていた。自分がそんなことになったのは、初めてのことだった。術後はそういうことが起こったりする。
ジェスキー:
 わかる。でも、怪我は自分をよりいい人間に変えたと思う。自分にとって好ましくないことを言われたとき、以前の自分は態度が悪く、今よりもそれにうまく対処できなかった。リオ五輪の夏に、チーム内の関係性が少し悪化したように感じたので、エリックとカヴィカと話をした。それぞれと個別に話をして「何がどうなっているんだ?!なんだか自分だけ外野に追いやられている感じがするんだけど」と言ったら、2人とも言い方は違うけれど内容としては似たようなことを言われた。「君は自分が正しいと思うことすべてに反応するようになった。批判を聞かず、受け入れない。近くにいたり一緒にプレーをすると疲れる」と。自分ではまったく思ってもいないことだった。去年の夏、自分にとっては肩の手術後初めてNTに戻ってきた夏で、さらには五輪の夏だった。4年前と同じようにストレスの高い状況だったけれど、起こることに以前よりうまく、これまでとは違うやり方で対応できるようになったと思う。身体の状態がよくなくて、自分の本来のレベルでプレーできず、かなりフラストレーションが溜まったけれど。



8. トムの最も大事な朝のルーティーン(Tom’s most important morning routine)

エイヴリル:
 トムはめちゃめちゃルーティーン男だよね。
ジェスキー:
 例えば、夜寝る前にコーヒーメーカーをセットしておいて、朝起きたらコーヒーができている状態にしておく。目が覚めたらキッチンへ行ってコーヒーを入れ、カウチに座って30〜45分ほどスポーツニュースをチェックする。そこで1杯〜1杯半のコーヒーを飲んでから、シャワーを浴びて、朝食を作って、準備をする。シャワーは毎朝。NTの練習に行く日も出かける前にシャワーを浴びる。


9. とても重要なディベート(A very important devate)

エイヴリル:
 2時間後に(練習で)汚くなるのにシャワーを浴びるの?
ジェスキー:
 OK。バレーボールは自分たちの仕事で、自分はプロフェッショナルだと思っている。オフィスの仕事に行く前にシャワーを浴びない?どこに行くにしても、きれいにしていない状態では行きたくないんだ。汚くなりに行くとしても、それは自分たちの仕事で、自分たち自身のことをプロとしての仕事の代表者だと思っているから。


10. それぞれの不安(Our insecurities)

ジェスキー:
 夜はよく眠れるタイプ。オイリースキン。髪の毛は細いけど量は多く、おでこの剃り込み部分が少し後退したけれど、もう数年ずっとそこから変わっていないので、薄毛が急速に進んでいるわけではないと思う。(どんな情報ww)
 高校時代にニキビがひどかったのはすごい気にしていて、きついニキビ治療薬を飲んだこともあった。顔に傷が残っているのが見えると思うけれど、胸と背中にも同じような傷があって、それは全部自分でやったもので、ニキビを潰そうとしてできた傷なんだ。顔中のニキビで自分に自信がなくて、当時は女の子と話すことなんてなかった。今でも自分の皮膚を恥ずかしく思っているし、自分にとっての不安なことで、そういうふうに自分で自分を認識している。
 最近は、内視鏡ツールと呼んでいるんだけど、それが正しい名称かわからないんだけど、小さいカメラを耳に入れて耳垢を取り出すことができるんだ。そのカメラはスマートフォンと接続できるので、スマートフォンで耳の中を見ながらきれいに耳掃除ができて、それが自分にとって一番満足することなんだ。(ww いやなんの話www)
エイヴリル:
 自分は身体のあちこち、お尻なんかにも痣がたくさんあって、それがずっと嫌だったし、メラノーマ(悪性黒色腫)に2回なったことがあって、それがまだ小さいうちに切除手術を受けたから、傷跡が残っている。
ジェスキー:
 自分にとってはきれいな肌のテイラーは羨ましかったけれど、人にはそれぞれ抱えている悩みがあって、外から見ていると完璧に見える人でも、みんな完璧じゃないんだよね。


11. 最後に

ジェスキー:
 中国に行くけれど、リーグの開催やスケジュールについて紆余曲折があって大変だった。リーグ期間は一応今のところ1月15日までと聞いている。「中国リーグが終わったらポーランドでやらないか」という話が来ているとエージェントから言われている。でも今は直近の中国リーグのことを考えていて、その先のことはまだ考えていないんだ。
 ポーランド、イタリアでやってきて、今回中国からオファーをもらい、やってみたいと思った。大きな文化の変化になるけれど、楽しみ。マックスが一緒なのも嬉しい。彼がいてくれると大きな助けになると思う。
エイヴリル:
 マックスにめっちゃメッセージ送ってるのに全然返信がないんだけどさ。
ジェスキー:
 WhatsAppでメッセージを送るといいよ。彼がなんでiMassageだと返信しないのかわからないけれど。
エイヴリル:
 送ってるよぉ。OK、これは自分の個人的な問題だな。わからないけど、彼に無視されてるのかな…
ジェスキー:
 いやいや。マックスは風に吹かれてるような人だから。ロンも同じだよ。彼らは自分たちのやりたいようにやってるだけだよ。(だってww マックスは風に吹かれてる人、て最高にぴったりな表現!ジェスキーやるな!)


 最後はこの写真で。2018年WLで、ジェスキーが左膝の怪我により大会を離脱した後の試合前写真。ラッセルは隣の空いているスペースと肩を組んでいる。きっと親友ジェスキーを思い、彼と肩を組んでいたに違いない。