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ウエストセネカのマット・アンダーソン、Team USA バレーボールチームのリーダーとしてパリ五輪へ向けて再出発

”West Seneca’s Matt Anderson, Team USA volleyball’s leader, in for another run at Paris Olympics”
https://www.wivb.com/jerry-sullivan/west-senecas-matt-anderson-team-usa-mens-volleyballs-leader-in-for-another-run-at-paris-olympics/
               ジェリー・サリヴァン著
(上記記事の翻訳。厳密な完訳ではなく、ところどころ省いたり簡略化したりしています)


その決断は簡単なものではなかった。しかし、今月初めの東京五輪での失意のすぐ後、アンダーソンは心の奥底で、これでは自分の五輪バレーボール選手としてのキャリアを終えることはできないと感じていた。

彼は2024年のパリ五輪を目指している。

「自分に正直に言えば、(考えたのは)敗戦からそれほど時間が経っていなかった。でも、それについて議論する必要があったし、いくつかのことを解決する必要があった」。

献身的な家族人であるアンダーソンには、生後18ヵ月になるジェイミーと妻のジャッキーがいて、彼らのことを心配していた。プロとしての活動に時間を割くのは大変なことである。さらに3年間、代表チームのプログラムにコミットすることは、いっそう大きな負担となるだろう。

「自分にとって犠牲になるのと同じぐらい、まわりの人にとっても大きな犠牲となる。自分はそのことに注意を払わないほど愚かではない」

「妻やTeam USAのコーチングスタッフにもそれについて相談した。トレーニングの負荷や、海外そして代表チームでのプレーを続けられるよう自身の身体を管理しなければいけないのは確か。でも、自分はそれを目指している。100%乗り気でいる」

来年の4月に35歳になるアンダーソンは、肉体的にも最盛期を過ぎている。パリ五輪では37歳になっている。しかし、彼は今でも世界最高の選手の一人であり、208cmのリーパー(跳ぶ人)であり、コンディショニング、労働倫理、メンタルヘルスに対する進化した姿勢で有名である。

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「マティは真のプロフェッショナル」とUSA男子バレーボール監督のスパローは言う。「彼のゲームへのコミットメント、仕事への意欲のおかげで、今でも驚くほど安定して高いレベルでプレーできている。東京では結果を出せなかったが、パリではこれまで以上にやる気を出し、よくなって戻ってくるだろう」

「だから、再起動したマット・アンダーソンの今後に期待している」

2000年以来初めて、6チームで構成された予選プールから五輪のメダルラウンドに進出できなかったUSA男子バレーボールチームには、アンフィニッシュド・ビジネス、やり残したことがある。準々決勝進出をかけて臨んだプール戦の最終戦では、アルゼンチンに25-21、25-23、25-23のストレートで敗れ、日本での試合を終えた。

こうして、2016年のリオ五輪で銅メダルを獲得し、東京五輪に大きな期待を寄せていたUSA男子バレーボールチームにとって、2年間の苦難の日々が終わった。しかし、パンデミックによる1年の遅れと、複数の主要選手の怪我により、東京での成功の可能性は損なわれてしまった。

チームのトップアウトサイドヒッターであり、2018年のクラブ世界選手権でMVPを獲得したアーロン・ラッセルは、股関節の手術を受けて五輪を欠場した。キープレーヤーであり、世界最高のリーパーの一人であるテイラー・サンダーは、肩の手術と足首のひどい怪我をした後では、東京で微調整をしたものの、以前と同じようにはいかなかった。

USAの選手たちはそれでも金メダルの可能性を感じていたが、日本ではお粗末なサーブ&パスが命取りになった。アンダーソンはベストを尽くしたが、チームの実行力がシンプルに不足していたと言う。

「五輪に向けた自分たちのシステムとトレーニングは正しかったと思う。肉体的に、自分たちはかなり厳しい問題に直面した。怪我はこのスポーツの不幸な側面。みんなできる限りの準備をしてきたことを知っているので、それが少し慰めになったし、自分のトレーニングに個人的な後悔はない」

「だが、実行力の問題があった。パーツはすべて揃っているのに、実行が伴わなかった、それが残念。実行しなければ結果はついてこない」

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UCLA男子バレーボールチームの監督でもあるスパローは「終わってよかった」と話している。彼はパリ五輪までチームの監督を務めたいと思っているが、その決定はこの数ヵ月の間にUSA Volleyballによってなされなければならない。

アンダーソンは、数年に一度、夏に家族で集まるのが恒例となっており、十分な休息をとっている。

「毎年というわけにはいかないが、少なくとも2年に一度は集まって、お互いのことを話し合うようにしている。また、子どもたちにも遊んでもらい、お互いを知ってもらいたい」

「ウエストセネカで育った叔父や叔母、いとこたちはみんな、この辺りに住んでいた。自分たちには、幼い頃の思い出や、子どもたちに伝えたいことがたくさんある」。

アンダーソンは、妻のジャッキー・ギラムと一緒に、彼女の故郷であるインディアナ州に家を構えている。息子のマイケルは、マットの亡き父にちなんで名付けられ、ジェイミーと呼ばれているが、現在1歳半になった。

「彼は元気だよ。大きくなって、身長は34インチ(約86cm)になった。あちこち走り回ってるよ」。

マットはウンブリア州のプロチームであるSir Safety Perugiaと1年間の契約を結んでおり、来月、ジャッキーとジェイミーは、そのためイタリアに同行する。10月中旬から来年5月までのイタリアのプロシーズン中は、家族でペルージャに住む予定だと言う。

「いいんじゃないかな」とアンダーソン。「いい時間を過ごせるだろう。イタリアが嫌いなわけがない。美味しいワインに、美味しい料理」

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アンダーソンのプロバレーボールのキャリアは輝かしいものである。韓国でスタートし、イタリアでプレーした後、ロシアのZenit Kazanに移籍して7シーズンを過ごした。パンデミックに見舞われる前の2019/20シーズンはModenaでプレーした。昨シーズンは中国の上海でプレーするはずだった。

Zenit Kazanでは、各種国内選手権で10回、チャンピオンズリーグで4回の優勝を果たし、アンダーソンがつけていた背番号1は永久欠番になっている。USAではインドア・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを6回受賞。USA代表としては3つの国際大会でMVPを獲得している。

しかし、おそらく彼の最大の貢献は、メンタルヘルスに関する率直な態度だった。2014年、アンダーソンは、ホームシックと孤独でうつ病に近い状態だと言って、ロシアのチームを離れた。彼は、2010年腎臓がんの療養中に心臓発作で亡くなった父親(享年56)の死を完全に受け入れられていないことに気づいた。
(アンダーソンのお父さんの死とうつ状態については https://note.com/miyamaoh/n/ne3052d25f9b6

父マイクはマットのヒーローであり、マットの最大のファンだった。人と接することが好きなアスリートで、50代のときに屋根から落ちて重傷を負うまで、競技ソフトボールをプレーしていた。

アンダーソンは、父の死で最もつらかったことの一つとして、父がマットの子どもたちを知ることができないことを挙げている。マットは、東京五輪にジェイミーも一緒に来ることを楽しみにしていた。家族で五輪に参加することが許されなかったときには、大きな失望を感じた。彼にとっては、典型的な五輪とは感じられなかったと言う。

「ファンがいないことを嫌っているわけではなかった。自分のプレースタイルでは、特にタフな試合では、プレーをするための感情やエネルギーを外側のソースに頼らなければならないのは好きではない。自分の内側を見るのが好き」

「でももちろん、ファンや友人、家族がいれば、試合前にまた別の刺激を受けることができる。自分が今でも試合をする理由の一つは、他の人々、特に自分が最も大切にしている人々を通してその経験を感じたいからなんだ」

アンダーソンは、今でも自分の精神状態には敏感だ。昨年、彼は予定より早く中国のチームを離れた。2014年と同じように、それは大きなニュースにはならなかった。シモーン・バイルズが東京五輪での体操の総合優勝を逃したときのような世界的な騒ぎにはならなかったし、最近では精神的な問題に取り組むプロスポーツ選手が急増している。

「彼は本当に時代の先端を行っていた」 とスパローは言う。「彼がそのようにみんなをリードする強さを持っていたことは、私たちのプログラムの財産だった。彼は模範を示すことでリードする。彼のコミットメント、プロ意識、そして明らかに、チームと彼自身の最高のパフォーマンスのために彼が下した決定。 彼は常に正しい判断をしている」

アンダーソンは、バイルズの決断について、どちらの側にも強い反応はなかったと言う。彼にとって、精神的なストレスが、いわゆる史上最高のアスリートをも消耗させることは驚くことではない。7年前に一線から退いた時、彼はおそらく世界最高の選手だと考えられていた。

「肉体的なことと精神的なことは、また別のもの。アスリートたちは、肉体的にも精神的にも、苦しい仕事が自分たちに何をもたらすのか、それが自分たちをどのように破壊するのか、そして、人間関係や自分自身をよりよくするために実際に努力するには何が必要なのか、ということに注目し始めている。最終的には、それがあなたをよくする」

「自分は、(バイルズや大坂なおみが)何を感じていたのかを知っているとは思わないし、答えを持っているとも思わない。肉体的な健康が個人の問題であるのと同じように、精神的な健康はさらにもっと個人的な問題。なぜならすべてはその人たちの頭の中にあるものだから」

アンダーソンは、自分が手本になるというスパローの言葉に同意している。彼が精神的なプレッシャーを正直に話すことで、若い選手たちはそれを打ち明けてもいいのだと理解する。彼が個人的なコンディショニングに余分な時間を割くと、他の選手もそれに従う傾向がある。

彼がパリ五輪に向けてコミットし、USA男子バレーボールのプログラムを確かに履行する今、他のUSA選手たちはそれを見て、将来へのモチベーションを高めていくに違いない。

彼は何も言う必要がないだろう。

「その必要はない」とスパロー。「ウエイトルームで、コートで、そして彼が毎日どのように準備をしているかをただ見ていればいいのだから。見ていると感動する。この8年間、9年間の一貫したプロフェッショナリズムが、彼のキャリアを長続きさせているのだと思う」

「彼は自分の身体を大切にしていて、彼の力、強みやコンディショニング、そして肉体的な準備をどのように行うか、とてもよく理解している。そういうことが他のアスリートにも見られるようになってきた。自分の身体のケアに真剣に取り組めば、このゲームを長く続けることができる」

それは、確かにパリでのこと。アンダーソンは、五輪に4回出場したUSA男子インドアバレーボール選手の選抜グループに加わることになる。レイド・プリディは2004年から2016年まで4回の五輪に出場した。ロイ・ボールは1996年から2008年まで4回出場している。USAは1996年からの3大会ではメダルを獲得できず、ボールの最後の五輪となった北京大会で金メダルを獲得した。そこにアンダーソンが思案することがある。

ロシアのセルゲイ・テチューヒンは、1996年から2016年まで史上最多の6大会に出場した。他の3人、オランダのレインダー・ヌーメドー、ブラジルのマウリシオ・リマ、イタリアのアンドレア・ジャーニは5回の五輪に出ている。

スパローは、アンダーソンが2028年のロス五輪でプレーすることも辞さないと語っている。そのときアンダーソンは41歳になる。

覚えておいてください。これはマットが2012年に初めて五輪に出場する前に私に語った言葉:

「そこに着いたら、帰りたくなくなると思う」