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#8 TJ・デファルコ

Torey James DeFalco(愛称 TJ)
1997年4月10日生まれ(2022年8月現在 25歳)
身長:198cm
ポジション:OH
現在の所属先:Asseco Resovia(🇵🇱PlusLiga)
出身大学:Long Beach State University(LBSU)
好きなUSAジャージーの色:赤
利き手:右
(冒頭の写真はFIVB公式より)

USAVページ:
https://www.teamusa.org/usa-volleyball/athletes/TJ-DeFalco
Wikipediaページ:
https://en.wikipedia.org/wiki/Torey_DeFalco
Instagram:
https://www.instagram.com/tjdefalco/?hl=en


今年のVNLが大阪で開催され、また、USAが2019年VNL以来のファイナルズ及び決勝に進出、その立役者の一人となったこともあり一気に知名度や人気が上がった感のあるデファルコを、この機会により知っていただけたらと思い、一度まとめてみることにした。


1. 生い立ち〜高校卒業まで

デファルコは7人きょうだいの4番目で、両親と11歳までアメリカ中西部にあるミズーリ州の農場で、ほぼ自給自足の生活をしていた。朝6時に起きて牛や山羊の乳搾りをし、いろんな作業を手伝い、辺りを冒険し、木を切って特製ゲームを作って遊んだりしていた。

「想像力を働かせられてよかった」

https://volleyballmag.com/tj-defalco-013118/

また、父親に連れられてゴルフを楽しみ、スコアは大人顔負けだったそう。
2008年、デファルコが11歳の頃に父親が転職、それを機にカリフォルニア州キメティラへ移り住む。そこでトゥアニンガと出会い、一緒にビーチバレーボールを楽しむようになる。その後、デファルコの腕の素晴らしさとバレーボールの才能を知ったトゥアニンガの父親の仲介で、トゥアニンガがセッターをやっていたHBCというバレーボールクラブに入部。そうして11歳からHBC、Huntington Beach High School(高校)を経てLBSU(大学)を卒業するまで、2人はずっと一緒にプレーをし、デファルコの攻撃力は2人で作り上げてきたともいえる。
(生い立ちについては上の記事に詳しく記載あり)

デファルコはHBCでも高校でも好成績を残す。HBCでは全国大会の決勝まで進み、高校ではCIF南部セクションで3年連続優勝を果たし、そのうち2年生、3年生時には40-0と無敗記録を達成している。そういった成功とともに、早くから世間の注目を集めることになる。

(デファルコよりもついトゥアニンガの髪型に目がいってしまう動画)


インドアバレーボールと並行してビーチバレーボールでも結果を残してきた。2013年にはFIVB Beach Volleyball U19 World Championshipsで3位に入り、翌2014年の同大会にも出場している。

2013年 FIVB Beach Volleyball U19 World Championships
(写真:FIVB)
この大会の1位は🇩🇪(ライヒャートとウィックラー)
2位は🇳🇴(のちにLBSUで対角を組むフースと現在ビーチバレーボール界トップのソールム)
2013年 FIVB Beach Volleyball U19 World Championships
(写真:FIVB)

2014年にはユースオリンピックのビーチバレーボールに参加。この時は5位入賞を果たしている。
これはその時のハイライト映像。負けてしまったオーストリア戦しか見つけられなかった、ごめんよTJ。


2015年、高校3年生の時にはスパローから声がかかり、World Leagueのワイドロスターに最年少USA選手として名前が載る。USAジムに呼ばれ、そこでプリディやアンダーソン、サンダーのプレーを見て感銘を受け、見ていて気になったことを彼らに質問攻めすることで自分のものにしていった。

WLには練習に参加しただけで、その年デファルコはFIVB U19 World Championshipsへ出場する。その年代のUSAとしては最高位となる7位で終え、97年世代に期待が高まるようになる。

2015年 FIVB U19 World Championships
トゥアニンガ、エンシン、マアたちと(写真:FIVB)


2. 大学時代 〜完璧を求めるデファルコと成長〜

デファルコはその秋にトゥアニンガ、エンシンとともにLBSUへ入学。1年生から3人ともがスターター、主力選手として試合に出るようになるが、それによって出られなくなった上級生がいたり、経験値や熟練度等ではデファルコが上ながら、年齢が上の上級生たちと同じコートに立ってどのように戦うか等、デファルコにとって最初は苦悩も多かった。そういったさまざまな経験を通して、少しずつリーダーとしても成長していったデファルコだが、時にコートで見せるチームメイトに対する厳しい態度が話題に上がることもあった。

1つ目の記事にもそのことについて書かれているが、デファルコは、トップアスリートに備わる資質としてよく挙げられる『Perfection(完璧)』を自身に求めるところがあり、彼がコートで激しい怒りを露にする時、それは大抵うまくやれなかった自分自身に向けられている。そして時には、チームメイトにも同じようにベストを要求することがある。デファルコにとっては「彼らにはそれができると知っている、見たことがあるから。そして今それが自分たちに必要だから」で、彼自身、常に自分にそれを求めてプレーしている。そのことを理解しているまわりの人たちは、彼のことを「わがまま」や「癇癪持ち」「自己中心的」とは思っていない。
LBSUのナイプ監督にとっては、デファルコは悪いチームメイトやネガティブな性格の選手ではなく、他人の期待や賞賛に屈しないように戦っている選手だった。

「彼は幼い頃から非常に大きな期待に応えなければならなかったし、子どもの頃はそれが簡単ではなかった。休みはないし、次はもっとすごいことをするはず、とみんなが期待している。TJの素晴らしいところは、自分が自身にかける以上の期待を他人からかけられることがないところ」

https://lbpost.com/sports/lbsus-tj-defalco-and-his-impossible-pursuit-of-perfection

デファルコ自身、完璧を求める性格は父親譲りだと言うが、その父親は次のように語っている。

「そういった性格や激しさを洗練させ、健康的なものに変えていかなければならないが、彼はそれを必要とするスポーツとキャリアを選択し、その教訓を学んだ」 

https://lbpost.com/sports/lbsus-tj-defalco-and-his-impossible-pursuit-of-perfection

完璧を追求するあまり、楽しむことをつい忘れてしまうこともあったようだが、少しずつ、楽しみに重点を置くことができるようになっていっていく。それは、上の記事でトゥアニンガも語っている。


大学2年生が終わった時に、ヨーロッパのクラブから高額なオファーを受けたデファルコ。1,000万円を超える契約金に興奮し、次のステップに進みたい、とプロ転向を希望したが、父親は以下のようにアドバイスをした。

「おまえのゲームはその準備ができているが、頭脳(brain)はまだ。それよりも、アラン(・ナイプLBSU監督)やジョシュ(・トゥアニンガ)、チームメイトとの約束を果たし、仲間たちと一緒にゴールインすることが大事なんじゃないか」

https://lbpost.com/sports/lbsus-tj-defalco-and-his-impossible-pursuit-of-perfection

ナイプ監督も、バレーボール以外のところで、海外で一人孤独に過ごすその生活にはまだ耐えられないのではと考えていたとのこと。結局デファルコはその年にプロに進むのは諦め、LBSUでまだ成し遂げていなかったチャンピオンシップ優勝を目指すことにする。

目指したとおり、翌年の2018年(シーズン戦績28-1)NCAA Championship Tournamentでは決勝に進出し、スパロー率いるUCLAと対戦。フルセットを制して見事優勝を果たした。

その翌シーズン、2019年(シーズン戦績28-2)のNCAA Championship Tournamentでもホーム会場でHawaiiを下し、2シーズン連続優勝。この年にはTounamentのMOPに選出されている(前年はトゥアニンガ)。

大学時代にはほかに
2017年(大学2年生時):
   AVCA National Player Of The Year
2019年(大学4年生時):
   AVCA National Player Of The Year
2017〜2019年:
 アメリカの大学男子バレーボールを取り扱うメディア『Off The Block』によるカーチ・キライ賞(最優秀OH賞)を3年連続受賞
等華々しい受賞歴で、それこそ11歳の頃から期待され言われてきた「カーチ・キライの再来」と騒がれたりもした。


冒頭の記事にあるように、デファルコは目で見て覚えるヴィジュアルラーナーで、音楽を聴きながら瞑想し、頭の中にイメージを描いて自分のものにしていく。特にサーブは「バレーボールの中で唯一、自分で100%コントロールできるスキル」だから、自分がサーブに向かい、完璧なトスを上げ、打ちたいところへサーブを打つ様子をスローモーションで思い浮かべる、と話している。


3. 大学卒業後

NCAAで2連覇を果たしてから、満を持してプロフェッショナルバレーボールの世界へ。卒業後に進んだのは、イタリア南部にある SuperLegaのTonno Callipo Calabria Vibo Valentia。
1年目の2019/20シーズンはカール🇫🇷やスワン(・エンガペ)🇫🇷らと対角を組み、MBにはシネニエゼ🇫🇷がいた。初の海外生活で、SuperLegaのほかのUSA選手が所属するクラブはイタリア北部に集中しており気軽に会える距離でもなかったが、フランスメンバーたちのおかげで楽しく過ごすことができたようだった。とはいえ、このシーズンの途中で新型コロナウイルスによるパンデミックが発生。SuperLegaは翌年3月に中断となってしまった。

初めてトゥアニンガのいないチームで、トゥアニンガではないセッターのセットを1シーズン通して打つことになったわけだが、そこで自分の力を発揮することができるかどうか、注目している人も多かった。実際は、Viboのセッター、サイッタ🇮🇹とのコネクションに困るようなことはなく、どのセッターとでも、プロの世界でも十分にやっていけることを示した。

ただ、大学生の頃はデファルコに対してそういった印象はまったくなかったのだが、プロになって1年目は特に、レセプションに苦労しているように見えた。アメリカ国内ではミカサはあまり使われておらず、モルテンやほかのボールでプレーすることが多かったため、プロになり国際大会に出るようになってからは、トップクラスのサーブに慣れるのに加え、ミカサのボールに慣れるまで少し時間を要するようだった。
また、レセプションが思うようにできないと自分のプレーリズムが崩れるのか、それが攻撃にも作用しているように見えることがあり、大学時代のデファルコを思うと、持っている実力をまだ出し切れていないようにも感じられた。
ちなみに、レセプションの際、相手がサーブを打つ直前に間合いを取るように両手を合わせパチンと音を立てるのは、大学1年生の頃からのルーティンである。

2年目も引き続きViboに所属。イタリアは特にパンデミックによる打撃を大きく受けた国だったため、当時のSuperLegaのプロトコルはかなり厳格なものだった。しょっちゅう検査を受けなければならなかったし、感染予防対策のために会場は無観客となった。
カール、スワンはほかのクラブへ出ていってしまったが、シネニエゼは残留、さらにロサール🇫🇷が加入した。このデファルコ−ロサール対角の相性がよく、チームも快進撃。SuperLegaのトップ4といわれるLubeに2勝、Trentoにも1勝し、クラブ史上初のレギュラーシーズン5位を達成した。
デファルコは、伸びた髪の毛を結ぶようになり(いわゆるちょんまげヘア。髪の毛を短く切っても死守された)、当時長い髪の毛を1つに束ねていたロサールの影響を多分に受けたと思われた(筆者の独断)。プレーオフにも期待が高まったが、そのロサールが膝の怪我によりプレーできなくなり、そんな中でもデファルコは孤軍奮闘したものの、準決勝へ進むことはできなかった。

上述したように、大学時代のデファルコは常に完璧を目指すストイックな選手、というイメージが強かった。試合中に見せるのは、真剣な眼差しとまわりを鼓舞するための叱咤、決まった時には叫びもするが、コートの上で笑顔になったり、表情を崩して大笑いしたりおどけたりするようなことはほとんどなかった。
それが、Viboでプレーするようになってから、コートでの振る舞いが変わったように思う。自分のさまざまな感情や情動を、ストレートによく出すようになった。デファルコを昔から知っているウォーズリー弟は、デファルコのことを「goofy(おっちょこちょい、まぬけな、天然の、という意味)」と言い、パソコンではトランプゲームばっかりしているようなお茶目なやつ、と暴露している。元来のそういったキャラクターがコートの上でも出るようになり、試合をより楽しむようになったのは、Viboで一緒に戦ったフランスメンバーの影響が大きかったのではないかと考えている。

参考までに、大学1年生時のQ&Aと、Vibo2年目のちょんまげヘアをするようになってからのQ&Aを。表に出るキャラクターの変化が実感できる。そしてViboの方はイタリア語を話す貴重なデファルコを見ることができる。


USAでも、リオ五輪翌年の2017年からWorld LeagueやVNL等に出場するようになるが、2018年までは秋には大学に戻らないといけなかったり、この頃のUSAはまだサンダーとラッセルのOH対角が固かったために、主要大会となると出場機会が減ってしまう状況だった(2019年のVNLファイナルズは怪我のためという説もあり)。


4. パンデミックと東京五輪

翌2020年はパンデミックにより国際試合はすべてキャンセルに。東京五輪も2021年に延期となった。

そして2021年。イタリア、リミニでのバブルによるVNLを経て、東京五輪。開会式が3ヵ月後に迫った4月、ラッセルが2020/21シーズン中に悩まされていた腰(hip)の手術に踏み切った。ラッセルとしては、東京五輪に間に合わせるためにより早い手術日を希望していたのだが、所属していたPiacenza🇮🇹のプレーオフ進出がかかっていた時期だったため、コンセンサスが得られなかった。結果的に東京五輪には間に合わず、デファルコがスターターとなる。

その時にデファルコが直面していたことの詳細は、上の動画で語られている。パンデミック下での五輪がいかに大変だったか。長いフライトを終えて日本の空港に着いてから、検査で4時間待たされたこと、その後3時間バスに揺られて目的地(三島市)へ向かったこと。夜10時過ぎに着き、翌朝9時にはトレーニングが始まったこと。選手村に入る時も同じ煩雑な手続きが必要で、トレーニングや試合以外で外に出ることはできなかったし、バレーボールのほかには何もできなかった、試合に勝っても負けても、トレーニングで心配になることがあっても、部屋に戻って持参のパソコン画面に向かうぐらいしかやれることがなかった、等々。

また、東京五輪のためのトレーニングサイクルが始まると、「ラッセルがいないから、デファルコが東京五輪のスターターに昇格した。ラッセルの代わりになれるのか」等、周囲からいろんな声が投げかけられ、最初はそれに対処するのが大変だったとデファルコ。「でも、チームメイトと話す機会を持てた時に、みんなが驚いて『自分たちはTJにアーロンになることなんて期待していないよ。TJがここにいるのには理由があるんだ。自分の力を発揮してほしい』と言ってくれて、その時に変な考えに囚われることから解放された。チームメイトが助けてくれて、自分を信頼しサポートしてくれたおかげで、落ち着いてチームにいることができるようになった。アーロンは素晴らしい選手で、自分は一晩で彼の身長になることもできなければ、彼のようにプレーすることもできないけれど、彼ではなく自分だからできることがある、と思えるようになったんだ」と話している。

五輪後は、しばらくスマートフォンでインスタグラム等を見ないようにしていた、とも。いろんな、特に批判的だったりネガティブだったりするコメントを目にしたくなかったんだそう。

ちなみに、この動画の中でも「コート上でチームメイトへの態度が悪い」と批判されることについて、デファルコ自身が語っている。自分の動画に寄せられるコメントにそういうものを見ることがあるけれど、自分自身に怒っていることが外からはチームメイトに怒っているように見えている、と。それでも、LBSUで自分は随分変わったと思う、とも。
また、同じ動画の中で「最高のチームメイトは?」と訊かれ、「トゥアニンガとエンシン」と答えている。

東京五輪だけでなく、その前のクラブシーズンから、パンデミックによる無観客や行動制限が続くことで精神的に苦しかったデファルコの心情は、先に掲載したこちらの記事にも書かれている。


デファルコは、大学やクラブがシーズンオフになる毎夏には、マンハッタンビーチで開催される6マンビーチに出場したりと、ビーチバレーボールを楽しんでいる。特に去年は、パンデミックによる諸々の苦しさからビーチバレーボールへの転向をより真剣に考えるようになったようで、「パリ五輪は目指すし、その4年後のロス五輪も考えてはいるが、まだ不確定。もしこのパンデミックの状況、無観客や行動制限が続くようであれば、インドアバレーボールを続けるのは難しいかもしれない」と話している。ビーチバレーボールに転向したら絶対に楽しいということはわかっているが、収入面で厳しいのも知っている、今はインドアバレーボールでその面が充実しているので、すぐに転向ということではないけれど、ということだった。

また、東京五輪が終わってから、次のクラブとなるポーランドのOlsztynへ向かうまでの間に、急遽出場できなくなった選手の代役を頼まれ、AVP Manhattan Beach Openに参加した。公式試合に出るのは2016年以来とのこと。

この時、観客から「スカイボール!スカイボール!」コールがかかり、要望に応えてスカイボールを見せたデファルコ。

今回のVNL大阪大会でも、試合前のウォームアップでずっとスカイボールの練習をしていたデファルコであった。

PlusLiga初参戦となったOlsztynでの1年目は、Viboでの2シーズンからさらに飛躍するものとなった。MVPに6度選ばれ、チームのシーズンベストスコアラーに。

また、Olsztynファンが選ぶシーズンMVPも受賞した。


5. そして今年、2022年

今年、2022年VNLでは、2019年以来3年ぶりにファイナルズ、そして決勝まで進んだUSA。その快進撃を支えたのは間違いなくデファルコだった。プロになった頃に苦労していたレセプションも随分と安定し、自分の持っている力をUSAでも遺憾なく発揮するようになった。
大会中に主に対角を組んでいたのは、去年彼の代わりにスターターに入ったと言われたラッセル。最初は少しぎこちなさがあったものの、大会が進むにつれ、試合を重ねるにつれて、徐々にいい対角ができ上がっていく様子を見ることができた。

大事な試合で突然選手のポジションを変えて挑むスタイルを取ることで有名なUSAのスパロー監督、VNL決勝ではフランスに2セットを落とした後、この試合はレセプションで苦しんでいたデファルコを第3セットからOPで起用するという思い切った策に出る。これまで一度も練習したこともなければやってみたこともない布陣に決勝でチャレンジ。慣れないであろうポジションをよくこなしたデファルコだったが、こういうところにもビーチバレーボールの経験が生きているのかもしれない。その策が当たり、USAはその後2セットを奪取。最終的にはフルセットで敗れたものの、ボローニャの会場にたくさん入った観客から「USA!USA!」とUSAチャントが沸き起こるほどに盛り上がり、バレーボールを楽しむことにかけては右に出る者のいないフランスと、VBTVの実況クレイトン氏の笑いが止まらなくなるようなナイスプレーを何度も出し合いながら、決勝戦らしい試合を展開した。

そして、不慣れなポジションでチームの勝利のためひたむきに頑張るデファルコを、チーム全体で支えようという意識がより強くなったように見えた決勝でもあった。そうして、新しいUSAというチームができ上がったようだった。


1ヵ月後には世界選手権が始まるが、その新しいUSAにこれまでのUSAを支え続けてきたアンダーソンとホルトが合流し、どんなチーム、どんなバレーボールを見せてくれるのか、楽しみにしている。
そしてデファルコは、秋からのクラブシーズンではPLのResoviaでプレーすることが決まっている。Resoviaにはロサールも移籍してくるので、再び2人の対角が見られるのではと、これも楽しみである。

これからのUSAを背負っていくに違いないデファルコが、楽しく、たくさんの観客に囲まれながら、彼らを楽しませるプレーを見せて、自身もまた楽しむ、そんな瞬間がたくさん生まれていくことを願うばかりである。