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「日本のセックスシンボル」のたおやかで、ゆるやかな語り口:『壇蜜の耳蜜』


 

 『壇蜜の耳蜜』番組内でも紹介されていたが、ある雑誌が「日本のセックスシンボルは誰か?」というアンケートをしたところ、壇蜜が1位になったという。さすがというべきか、この10~15年ほどで蒼井そらや橋本マナミのような、性やセクシーさを前面に出す女性タレントも増加してきたように感じるが、やはり壇蜜はそうしたタレントの中でも「別格」というような雰囲気がある。

 そうした番組パーソナリティのキャラクターもあり、恋愛や性に関する投稿も少なくない。なかなか取り扱うのが難しいテーマであるが、壇蜜のたおやかかつ、ゆるやかな語り口は良い意味で「いつも通り」だ。複雑で“重く”なってしまいがちな主題に対して、無理に答えを出そうとせず、柔軟に話題を広げ、テーマに対して「ほぐしていく」という風なやり方で、主題と向き合っていくのだ。
 猫やラーメンの話題(「猫ラーメン、見〜つけた」というコーナーがある)と変わらないリズムで、そうしたテーマを話すことの出来る芸能人は、壇蜜が唯一の人物であろう。「日本のセックスシンボル」ではあるが、決して「セックス」(=動物学的な性)だけにはとどまらない、「ジェンダー」(=社会的な意味合いの性役割区別)にも正面から取り組める稀有な存在である。


 10年ほど前のAKB48をはじめとする大アイドル戦国時代の潮流に逆らい、壇蜜は「昭和のエッチなお姉さん」として頭角を現した。そして改元をまたいだこの10年、アイドルたちが総選挙や卒業など栄枯盛衰を繰り返すのを尻目に、壇蜜は令和4年のいまなお10年前と変わらないポジションでメディアに顔を出し続けている。
 流行を追うことも決して悪いことではないが、常に変化を強いられ、結果として疲弊することも多々ある。ネットの普及もあり、近年特に芸能界はそうしたケースが多かったように感じたが、壇蜜はそうしたものと意識的に無縁でありつづけ、「色気」という人類史のなかでもかなり普遍的なテーマを軸に、変わらぬポジションに立ち続けたからこそ「シンボル」になったのではないだろうか。

 壇蜜の著書は『エロスのお作法』と『男と女の理不尽な愉しみ』(これは林真理子との共著)という2冊を読んだが、壇蜜本人のジェンダー観として「無理に男性とフラットになろうとしたり女性性を捨てるのではなく、旧来の『女性らしさ』をもって社会の変化や障壁にたちむかう方法があるはずである」という考えに立脚されているように感じた。
 もちろんこれひとつが「正解」ということはないが、これを踏まえて彼女のしなやかな語り口を思い返すと、「なるほど」と感じる部分がかなりある。自分が生きる上で持っていたいものと、その持ち物でどう変化に立ち向かうかを決して重苦しい響きになることなく、たおやかかつ、ゆるやかな表現で伝えてくれるのだ。

 

 これからも日本社会は幾度となくジェンダーや性に関する問題に直面し続け、そのたびに解決を迫られる。さらに日本社会では欧米のルールをそのまま適応することが難しく、独自の着地点を求められることも出てくるだろう。
 そんなときに壇蜜のような存在がいるということに、さらに意味を持つのではないか。そして彼女のたおやかさの中に、そのヒントが間違いなく隠れているはずだ。

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