見出し画像

月組『グレート・ギャツビー』新人公演に思う

 新公世代でも、さすが月組。
 ニックと運転手の会話から、自然に『グレート・ギャツビー』の世界へ。幕開きのさりげない会話って難しいのに、すばらしいな。ニック・キャラウェイ(本役:風間柚乃)は瑠皇りあさん。運転手/ヘンリー・C・ギャッツ(本役:英真なおき)は柊木絢斗さん。この運転手が、次はギャッツの父として登場するのがとってもいい。感動の2時間のはじまりだ。

 ジェイ・ギャツビー(本役:月城 かなと)を演じたのは、彩海せらさん。組替えで雪組から来たばかりだけれど、雪組時代からお芝居が天才的にうまく、経験も豊富。『ONCE UPON A TIME IN AMERICA(ワンス アポン ア タイム イン アメリカ)』(2020年)にも出ているので、暗黒街の匂いを残す、渋く大人にキメたギャツビーを想像していたのだけど、全然違った。月城ギャツビーを基調とすると、恋をしている人のきらめきが、より感じられるような、みずみずしいギャツビーでした。
 一本物の新人公演はダイジェストになってしまうので、その構成が影響しているところも多分にあるだろうけれど、そもそもこの構成は、彩海ギャツビーを想定して構成されたのではないかと思う。そのくらい、この新人公演では、物語の中心部にどーんと彩海ギャツビーの存在がありました。

 冒頭の「朝日の昇る前に」も息をのんで見入ってしまうほどの出来だったけれど、デイジーとの新たな物語のはじまりを夢心地で歌う「デイジー」がすばらしかった。あの第一声! 上手の花道近くでその名を口にした瞬間に、ギャツビーから甘いときめきがふわっと香り出した。魔法のような瞬間だった。

 二人が再会した場面も印象的だった。デイジーの姿を見た瞬間に、彩海ギャツビーは時間を超える。5年前のギャツビーに戻ってしまうのだ。

 私見だけど、ギャツビーは、時間に対して独特な哲学といっていい思考を重ねていて、「時が戻らない」とは考えていないんじゃないかと思う。だから、劇中の「時は戻らない」の歌詞には違和感がある。でも、月城ギャツビーの歌からは、海乃デイジーとロマンチックに歌いながらも、劇中歌に反するような「時は戻せる」という強い信念も感じられた。もちろんそれはわたしの勝手な解釈に過ぎないけれど、観た人がそこに自分の考えや気持ちを加えられるような造形を月城さんはしていたと思う。
 そんな余白のある役の作り方は彩海さんからも感じられた。でも、彩海ギャツビーのほうは、月城ギャツビーほど時間について思考を重ねてはいなくて、二人の未来を信じたいというロマンチックな思いが勝っている感じかな。
 妄想めいた例えばなしになってしまったけど、観客の想像を受け止めてくれるギャツビーという人物と、それを表現する月城さん、彩海さんの芝居はすばらしいと思う。

 終盤には、新人公演のために用意されたギャツビーが銀橋で2つの曲を歌う場面があり、彩海さんの歌を堪能した。自身の「苦悩」を歌いあげたあと、デイジーの姿を見つけると「デイジーへの思慕」をロマンチックに歌いだす。デイジーを思った瞬間にすべての闇がすっと晴れ間に変わる。ギャツビーを動かす強い美しい光を見たような思いだった。

 デイジー(本役:海乃美月)を演じた きよら羽龍さんがまたすばらしい出来。 きよらさんは、セリフや歌声がいつまでも耳に残る美しい声の持ち主。あの声だけでデイジーの美貌と儚さが表現できていたし、憂いや哀しみをたたえた芝居がとてもよかった。

 デイジーのソロ「女の子はバカな方がいい」がなかったことも、新人公演をよい方向に向かわせたと思う。
 この場面を見るたび、気持ちがすーっと離れてしまう。スカーレットのように力強く「バカな女の子になってみせるわ」なんて思う女性がいるだろうか。反語としての「ただのバカな女の子になるわ」なのは分かるけれど、それならば違うメロディーで、違う感情で歌ってほしかった。いや、そもそも歌にする必要はない。そんなナンバーだから、きよらさんならどう歌ったのかという興味はあったけれど。

 この新人公演は娘役さんたちが大活躍だったのも楽しかった。
 目を見はったのは、マートル・ウィルソン(本役:天紫珠李)の白河りりさん。カッコよかったー。登場シーンの大迫力ったら。
 新人公演でのヒロイン役の経験もあり、正統派のヒロインを演じられる人ですが、『Rain on Neptune』の「コブラ」(って、宙組で上演中のあの「コブラ」なのですか?)あたりから突き抜けた感があって、本当に楽しみ。強くて美しい娘役さんが幅を利かせる宝塚になってほしいので。
 同じく、強くて美しいジョーダン・ベイカー(本役:彩みちる)の蘭世惠翔さんもすてきでした。ただ、セリフの調子が尊大な大女優みたいで、デイジーと親友という設定がやや不自然に感じられたのは残念。デイジーはジョーダンみたいな新しい生き方に憧れていたんじゃないかな。女性たちが何かに押しつぶされ、壊れていくなかで、最後に一人で旅立っていくジョーダン・ベイカーはこの物語の救い。そのあたりも表現できたらよかったけれど、それには場面が少なすぎたか。
 本公演では、彩海 せらさん、きよら 羽龍さんが演じた若いカップルのエディとジュディは、涼宮蘭奈さん、花妃舞音さん。『今夜、ロマンス劇場で』新人公演でヒロイン役をすてきに演じた花妃さんには、もはや役不足に感じるほどだけれど、とてもチャーミングでした。キャサリン(本役:白河りり)の咲彩いちごさんがよかったことも書いておこう。ラストのセリフがめちゃくちゃ利いてました。

 と、充実の娘役陣に比べると、男役さんたちは相当にもがき苦しんだことと思う。なにしろ『グレート・ギャツビー』に出てくる男たちって、本当に難しい役ばかり。大体、ギャツビーさんったら、心の内をほとんど何も言ってない。歌がないと語れない人。この人物像を説得力をもって演じるなんて、並大抵のことではありません。
 難役といえば、トムも。今ならば、ほとんどの人がトランプの若い頃を投影するんじゃないかな。絵に描いたような鼻持ちならない上流階級の男。場面が増えるほど俗悪さがふくれあがって怪物化していくのに、最後まで役者としてのうまみがない。でも、こういう男が生き残り、アメリカを支えてきたのだということをきちんと伝える必要がある。ギャツビーとの対比にもなるし、作品の説得力に直結する。この役を、物語の流れを壊さず誠実に演じ、同時に二番手の男役の存在感も出さなければならない。この難役を、本役の鳳月杏さんは絶妙なさじ加減で演じきった。ラストの墓参りで煙草をふかしたりする一連のしぐさは、いくら賞賛しても足りないくらいの名演だった。
 新人公演で演じたのは七城雅さん。言われなければそもそも何かを企んだり、浮気すらしなさそう。ギャツビーの存在にも気づかなそうな、屈託のないトムだったけれど、新人公演としてはアリかもしれない。物怖じせずに演じていて好感が持てた。
 ニックも新人公演用の構成で比重が小さくなった一人。狂言回し的な役割になってしまったけれど、瑠皇りあさんが誠実に演じた。舞台で見ると、面差しが珠城りょうさんに似ているなと思った。
 ジョージ・ウィルソン(本役:光月るう)を演じた真弘蓮さんもすばらしかった。声質まで似ていて、本役の光月さんが出演しているのではと思ってしまったほど。
 ウィルソンがストーリーの中心となる灰の谷の「神は見ていた」の場面は、分かりやすくするために用意されたものだと思う。サスペンス的にするなら最後に突然現れるほうが効果的だし、光月るうさんの演技が絶妙ではあったものの本公演では冗長に感じたので、新人公演のほうがしっくり来た。
 ウィルソンの見せ場はなかったからか、真弘さんは登場場面からただならぬ空気を漂わせ、ない場面の感情を伝えていて見事だった。新人公演でこんな演技を見せてもらえるとは。月組恐るべし。

 そろそろまとめに。
 言及できなかった演者さんがまだたくさんいるけれど、彩海さんときよらさん、二人のよさを生かしたロマンチックな『グレート・ギャツビー』の世界を全員でつくりあげていたと思う。ギャツビーとデイジーが出会う祝賀会の場面、森の場面がなかったのは残念だけれど、彩海さんときよらさんの存在の中に恋の甘さと輝きはあったと思う。
 新人公演らしいともいえるし、新人公演離れしているともいえる。とてもよい新人公演でした。
  
 今回演出を担当したのは田渕大輔さん。そういえば、田渕さんが演出した雪組の『ローマの休日』(2016年、早霧せいな主演)には、月城さんと、彩海さんも出演しているんですね。あの作品の月城さんが大好きなので(特に美容師のマリオさん。はじけっぷりが最高だった)、ロマコメも観てみたいなあ。それより、次の月組の本公演『応天の門』の担当でしたね。新人公演も代替わりをして、またガラリと変わるのだろうなあ。でも、誰がセンターに立ってもみんなでしっかり作品世界をつくりあげていくことができるのが月組。また観劇するのを楽しみにしています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?