小沢健二「So kakkoii 宇宙 Shows」*パシフィコ横浜 国立大ホール
「生活に帰ろう」
その言葉を合図に、いつものようにライブは終わった。
そこからはそれぞれの日常…。なのだけど、ステージのライトが落ちるようには切り替わらなくて、みんなぼうっとした名残の時間の中にいる。ライブ中に勢い余ってぶつかってしまった隣の席の人とどちらからともなくほほえみあったりして、おざわさんとの時間を共有したたくさんの人たちと歩いて行く。
パシフィコ横浜を出ると、ウソみたいにきれいな港ヨコハマの景色が目の前に広がっている。大観覧車なんかSo kakkoii 電子回路の蓄光グリーンに染まっていて、みなとみらいなんて何度も来ているのに、こんなにきれいだったのかと驚く。
おざわさんのライブの後は見える景色が変わるのだ。
街が。人が。自然が。物さえもが親しみを持ってこちらに目配せを送ってくる。私たちを取り巻く社会もだ。
ちゃんと食べてちゃんと眠って、音楽や言葉を楽しみ、家族や友人とたわいのないおしゃべりを楽しんだり。日々の生活のなんてことない断片がキラキラと光を放つ。
「すごいことになる」と聞いていたけど、本当だった。
なんといっても音が素晴らしい。おざわさんの歌と、おざわさんを中心としたバンドサウンドがどどーんとセンターに構え、後ろには服部隆之さんとハープとキーボード? 上手にホーンセクションとラテンとクラシックのパーカッション。下手にストリングス。ほぼ30人(数えられなかった)の変則的なファンクバンドだ。
曲やモノローグに合わせて、それぞれの楽器の小さな流れが聴こえてきたり、大きな川のような流れになったり。
「絶対に録音することができないものが渡せる、と思っています」
これは、ツアーに先だって公開された動画「ツアーへ」からの、おざわさんのことば(一部)。
確かにこれは録音や録画では追いつかない。映像は残っているはずなのに、おざわさんが頑ななまでにライブ映像を販売しないことにもうなずけてしまう。あの生の音、生の声、生の演奏、生の空気。あの時間は絶対に再現できない。
(一方で、そうした不完全なものでも観たい聴きたい気持ちはもちろん強くある)
ツアーが始まる前は、オープニング曲はなんだろうとか、どんなセットリストになるのかとかいろいろ考えるのに、始まってしまうとどうでもよくなるのはいつものこと。
全部がいま聴きたい曲なのだ。カンペキなのだ。
それでも、この日心に強く残ったのは、離脱と大人スウィングのダンスが楽しかった「大人になれば」(これがジャズの真髄)と、「もし…」のひとことで泣きそうになるくらい甘やかだった「いちょう並木のセレナーデ」。そして、荘厳なイントロのあとの「晩ごはん」という単語にいつもやられてしまう「フクロウの声が聞こえる」(荘厳さとかわいさの奇跡的なマッチング!)と、やさしいやさしい「アルペジオ」だった。
2年越しに実現したライブだったから、感傷に浸ってしまったのかもしれない。おざわさんも、無防備で気持ちが演奏より走っているように感じた。いや、私たち観客もです。
どの曲もしみた。そして、モノローグがぐっと来た。
今回おざわさんが用意してきたモノローグは、いつもよりもストレートなテーマで、生きていく、生活していくことにフォーカスしている感じ。歌のことば、モノローグのことばが、ひとつも取りこぼされずにまっすぐ届いた。
声がとても力強い。どんな歌い方、話し方、音響にすればこんなにことばが粒立つの?
途中、おざわさんのライブが初めての人に向けたのか、「こうやって演奏するのがめちゃくちゃ楽しいんで、MCとかないけど大丈夫かな」みたいなことを言っていたと思う。
おざわさんは本当に楽しそうだった。モノローグの最中もステップを踏んでリズムを取っている。ギターもほとんど離さない。体じゅうで音楽を楽しんでいる。銀髪だったこともあって、ツイッターでいろんな人がつぶやいていたけど、わたしもその姿から即座に小澤征爾の姿を思い描いた。アンディ・ウォーホルっぽさもあったかな。
歌とモノローグで過去と現在と未来がつながれていく。知らず知らずのうちにジャズのリズムに乗っていたり、へんてこでかわいいダンスを踊らされたり、おとなタイムがあったり、離脱したり、甘いきもちになったかと思えば、一気にブチ上がったり。
声は出せなかったけど、力一杯手をたたいたし、マスクの下で声を出さないで歌った。いや、出てたかな。おざわさんが歌いながら「聞こえる」と言ったけれど、わたしにも本当に客席の合唱が聞こえた。ほんとにあれはなんだったんだろう。
ひと言にすると、高い塔をみんなでつくっていくようなライブだった。
最後のことばを聞くたびに「魔法的」の湾岸ライブを思い出す。日常へのカウントダウンの前でおざわさんが泣き出してしまったことがあった。「みんなこんなにあたたかいけれど、ここを一歩外に出たら、世界は大変なことになっていて…」みたいなことを言っていたと思う。
でも、その後にすぐ「大丈夫」「大丈夫だから」と(自分のことをではなく、世界のことを言っていたと想う)私たちに力強く言葉を放ち、「生活に帰ろう」の言葉と共にステージのライトを落とした。
あのときはたまらなくせつなく思えた「生活に帰ろう」という言葉が、今はせつなく感じなかった。
なぜだろう。
おざわさんがまたライブをやってくれそうな空気があるから? もちろんそれもあるけど…。
「日常が変化している」からではないだろうか。
あの日、なぜ「大丈夫」なのかをおざわさんは説明しなかったけれど、いまは少し分かってきた気がする。
小沢健二は生活の宇宙を歌う。子どもたちの宇宙を歌う。心のなかのちいさな炎を歌う。時間を歌う。本当のことを歌う。
言葉や音楽は街を変える。人を変える。社会を変える。生活を変える。だから大丈夫。
おざわさんは歌で答えてくれている。「流動体について」や「彗星」や「薫る」、過去現在未来のすべての曲で。
さて、初日らしく、物販は大変なことになっていた。ちょうど仕事で早く出られず、開場の1時間前に着いて、すぐに並んだのだけど、順番が回ってきたのは開演15分くらい前。ほぼほぼ売り切れていて、手にできたのは魔法的電子回路のグリーンだけ。でも、これが大活躍してくれた。
おざわさんも途中、物販が大変なことになっていて、買えなかった方ごめんなさいと謝っていた。「でもまあ、そんなもんです」というひと言にみんながなごむ。おざわさんに言われたら仕方ない。
そんな横浜の夜だった。ツアーはいよいよ始まった。
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