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本当の私(日記)

実は自分は○○である。

○○の中に何が入るのか、考えてみた。コロナ自粛で家にいる時間が増え、家族と一緒の時間も増えた。いつもは1人だからあまり客観的に見ることもなかったのだが、自分以外の人がいると自分のことも見えてくる。これが「鏡の法則」というものなのだろうか。

だから、家族を見ると自分がわかる。実は自分は○○である。これは家族の話のようでもあるし、自分のことでもあるのだ。ただ、どこが共通しているのかというと「鼻につく」ところであり、相手に対して腹がたつところだ。

気になるところは自分の中でも「いやだ」と思っているところで、みたくもない現実を目の前に出されると誰でも目をそらしたくなるものだ。家族の「似ているところ」は時に吐き気がするほどの嫌悪感に苛まれる。

本当の私はこんなもんじゃない。

そう自信に満ち溢れているときは思うかもしれない。だけど、いやな部分は隠しきれず自信をどんどん打ち砕いて行く。

本当の自分ってなんだ?

明るくて前向きで人に優しい。そんな良い人に見られる自分が理想だったのに、実際の自分はそんなもんじゃなく穴があったら入りたいくらいのダメダメだったりする。でも、その都度なんとか切り抜けて生きてきた。自分を見つめ直す時間を作り、振り返りながらも前に進もうと頑張ってきた。

だけど、頑張らなくても良いよと言われ、空回りが続くと生きていることにも疲れてくる。好きなことをするために環境を整え、力を振り絞って頑張ってきたつもりだが、心の中は空洞になっている。

本当の私は怠け者で、短気で、飽きっぽい。コツコツやろうにも根気がない。自分のミスを認めたくなくて誰かのせいにしたり、気がついているのに気がつかないふりをしたり、自分にとって不利益を与える人を排除しようとしたり、損得を考えて動いてみたり、感情的になってみたり、好きなことばかりをやってみたり、嫌なことをやらなかったり、誰かのものを自分のもののように振舞ってみたり、ずるいことを考えてみたり、並べればキリがないほど嫌なとこだらけだ。

穴がったら入りたい過去ばかり。

そんな過去を拭い去りたいからこそ新しいものに目を向けているのだろうけど、過去を清算しなければ前には進めない。

本当の私は過去と向き合いたくなかっただけなのかもしれない。有言実行できなかった過去を消し去りたい、目標達成できなかった自分を責め努力不足の自分を罵倒したい。

どれだけ自分を責めれば気がすむのだろう。

陰と陽があるとすれば、明るい自分と暗い自分のバランスが取れずにいるのかもしれない。書きながら泣けてきた。もう自分を責めるのはやめよう。このnoteに書くのもただの感情のはけ口にしかなっていないのかと思うと、悲しくなる。

だけど、書くことによって私は再生する。文章には力がある。きっと世の中にはそうやって自分を鼓舞している人が沢山いるはずだ。ダメな自分を書くことによって再認識し、軌道修正して行く人が。少なくとも私はそうだ。

文章を書く時に「独りよがりの文章は誰にも読んでもらえない」という法則があるのだが、日記なら大丈夫だろう。もしも、人生に疲れ「死」を考えてしまったことがある人は1人で悶々と考えたりせず、その気持ちを文章に綴って欲しい。独りよがりでもなんでも良い。いつか自分が読み返した時に「こんな時もあった」と笑ってほしい。

誰にも読んでもらえないなんて思わなくても良い。誰1人読んでもらえなくても未来の自分が読み返すのだから。

本当の自分はまだまだ自分自身でも確認できないことが沢山ある。自分を知ることは永遠のテーマで、日に日に変わっていく自分の思考と感覚をどう理解したら良いのか、本当の私はどこにあるのかこれからも探し続けるのだ。

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