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裏付けが不要な情報とは感想文だった

文章を書くときに大事なことは何だろうと考えた
つい先日、SNSにシェアをした記事にクレームがついた(正確にはシェアさせてもらった人からの連絡だったのだが)

どうやら、巷で出回っている記事に「大げさな表現が含まれている」というもので、その人は丁寧に私に連絡をしてきてくれた。
そして、裏付けをとったものしかシェアできないねという話になった。

だが、自分自身が投稿している記事にはきちんと裏付けがされているのだろうか?

ふと不安になって自分の書いたものを読んでみると、それはほとんどの記事は自分の感想が述べられたものであり、裏付けが必要なものは事実のみを書いている。

私の専門分野は「心」の領域なのだが
自分の心理的なことを書くときには思いきり主観でしか書けない。

もちろん、他人様の心の様子を書くときには客観視するが、そもそも他人様の心の様子がわかるのか?
それは想像でしかないのではないか?
そしてその想像も自分の主観ではないのか?

何はともあれ、文章を書くときに裏付けは必要。
これはとても大事なことでネットの中にその答えを見つけようとしても実は、ネットの中もフェイクで溢れているということを忘れずにいようと思う。

真実はどこにあるか?

真実だけを書こうと思うなら
自分の感想を述べるしかない。

で、なければ徹底的に調べ上げてから発信することをしていこうと思う。

そしてこの件で気がついたことは、私の文章は今までずっと「感想文」だったってことだ。

19/100日目

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