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「うつくしいと感じる」をちょっとだけ深掘りして思ったこと

こんばんは、今日も暑すぎて日中はノースリーブしか着れないし、いまも長袖のパジャマをTシャツにしようか真剣に悩んでいるみやこびとです。

突然ですが、みなさんはここ最近どんなものに「うつくしい」と感じましたか。

わたしは、このまえ花巻市で見かけた綺麗なグラデーションの葉っぱや、まだまだ綺麗に咲いていた紫陽花の色彩などに心惹かれてました。

晴れた夏空の影と、鮮やかな色味のもみじ
紫からピンクまである紫陽花、土壌はどんな性質なのか

あとは、きくちゆみこさんの書籍「だめをだいじょぶにしていく日々だよ」に綴られたいくつかの文章が、とてうつくしくて素敵だなと感じたり。

たとえば、本の中に綴られたこんな文章。

たぶん大切なのは、これまで何歩歩いたのかでも、どれだけ距離を縮めたかでもないんだろう。ほんとうに大切なのは、わたしがいま、ちゃんとわたしのままで歩いているか、たぶんそれだけなのだ。どれだけ速いのかでも、どこを目指しているのかでもなく、いまのわたしが、ここで、どんなふうに歩いているのか。どんな過去を、どんな感情を、どんな希望を持ちながら、いまこの瞬間を歩いているのか。そのまわりには誰がいる?どうしたら一緒に歩いていける?互いを互いに引き込みながら、それでもちゃんと、わたしとあなたで。

「だめをだいじょぶにしていく日々だよ」ちゃんと一人でみんなで一緒に、p.45より

太線は特にわたしが好きな文章である。

この感覚、すっごくわたしには刺さったのだけど、それ以上にこの曖昧で今にも手からこぼれ落ちそうな気持ちを、こうも優しく表現できることがすごくうらやましいし、自分の文章力でここまで感情を言い表せたことって、未だかつてない気がする。

この本は、狭山茶の茶摘みに出かけた4月の終わりに、夜の予定までをnoteでも書こうとふらっと入ったブックカフェTwilightさんで見かけて気になって購入したもの。

その日お店で少し読んで、しばらく本棚にしまっていたのだけど、ふと目に止まって、今日お昼に出かけた時に思い立ってまた少し読み進めてみた。

積読の良さって、こういう何気ない瞬間に本と再会できることだよな(積読しまくり女の言い訳)

***

さて、同じ本からの別の引用が今日書きたいことのメインテーマ。

(みやこびと注:エッセイの中で、とあるワークショップの場での自己紹介のワンシーンとして描かれている内容。下記問いはきくちさんが提案したもの)

「今日一日、ここに来るまでにうつくしいな、と感じたことをひとつ教えてもらえますか?」

(中略)

同じ一日を生きてきて、でも誰もがちがう、「うつくしさ」を秘めてここにいる。

(中略)

たった1分ほどのあいだに、それも簡潔に語られる、今日一日だけの小さな思い出。ともすればすぐに忘れてしまえるような、この先どこかで話すことすらなさそうな、ごくささやかな感情の動き。でもその一分間の言葉のなかには、これまでその人が生きてきた人生が、丸ごとひとつぶん入っている。「うつくしい」という感情を、その気づきをもたらすのは、当たり前だけど、うつくしい感情だけじゃない。悲しみや喜びや怒りや絶望、それに「人生最悪の体験」なんかもぜんぶ絡まりあって、ひとりの人間の心をつくっている、その心が、感じている。

「だめをだいじょぶにしていく日々だよ」心の底、p.74-77

すごい・・・こんなに「うつくしさ」が人の中にどのように芽生えるかを(わたし的には)的確に言い表した文章に出会ったことないわ。

本当にそうなんだよね、いろんな世の中にある素敵なものを見て、人々は「うつくしい」って思える感性を宿しているんだけど、その感性を培ってきた背景や経験はみんな違うという。

だからそもそも、何を「うつくしい」と感じるかすら違うし、一致するのはある意味不自然なことなのだ。たまたま同じものを「うつくしい」と言えたら幸せなことだし、その感覚の違いを知れたなら、新たな視点を一つ得たと思えばいい。相手が「うつくしい」と言うから自分もそう思わなきゃいけないなんて、どこにもそんなルールはない。

ひとりの人間の心って、生きて色々なものを目にするたびに無意識的に作られていってて、日々アップデートされていくんだよなあ。

その積み重ねの上で、いまの自分が「こう感じる」っていう感覚に改めて気づくことって、すごく大事だなあと思う。

そういう意味では、「うつくしい」に限らず、「かなしい」とか「うれしい」とかも、ほんとに人生の定点観測で見ると、その時々きっと思ってること違っていて自然なのかも。

昔は気にも留めなかったことに良いも悪いも反応しちゃったり、逆に昔は気にしてしまっていたのに、今は何も思わなくなったことだってきっとたくさんあって、日々見過ごしてるんだろうなあ。

これは大人になった、成長したとも言えるし、幼い頃や思春期に持ち合わせていた感覚をどこかに置いてきてしまったという、ちょっと寂しさを感じる出来事でもあるのかもしれない。

いずれにせよ、ヒトの身体の細胞は大体2年半で全てが入れ替わっていくそうだから、「イマココ」な感覚が物理的にも持続するわけないだよね(急に生物学強めな話だけど)

人は毎日、今日が一番若い日なのだ。

今日感じていたことを、こうやってnoteに残す試みは27日目になるけれど、まだ今は持ち合わせていない感覚を持った、未来の自分から眺めた時に、この66日間の闘いと努力(?)の軌跡は、どう映るんだろうね。

購入した本で、気に入った箇所にマーカーを引いちゃうのも、後から見返したときに「あの時の自分はこんなことが刺さってたんだなあ」って思えて、なんか面白いのと似てるのかも。

前にも書いたけど、読書やアート鑑賞はわたしの中で「今自分が何を考えていて、どういうことに心が動くのか」を知る一つの手がかり的な行為だとも言える。何を面白いと思い、何を綺麗だと思うのか、心の動きを知るためにとても興味深い、例えるなら感情のリトマス紙的な機能がある、大切な時間なのです。

ひとまず、今日時点のみやこびとの心に刺さったことを記録として記せてよかった!

さあて、今日は久しぶりに半袖Tシャツで寝ますか。
おやすみやこ。

読んでくださった皆さん、今日も1日お疲れ様でした!


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