見出し画像

誰かといるときの沈黙を味わってみる。

こんばんは。
30歳になり、改めて自分らしさや人間関係にあり方について考える機会が増えた三十路独身無職です(無職)

本日、2023年下半期目標が決定しました。
「誰かといるときの沈黙を味わってみる」です。 パチパチパチ

これまで誰かと会話するとき、沈黙は気まずい、自分が相手を盛り上げることができていないという焦りの気持ちを感じさせるものでした。
なので、相手に投げかける話題は、その人と話したい事というよりは沈黙を埋めるものであることも多かった(というより大半そうだったんじゃないか)と思います。

そういう会話のやり方でこれまで生きてきましたが、まだ親しくない相手との会話があまり上手ではないというか、会話自体は弾んではいるものの、自分はまったく心地良くない(つねに脳みそフル回転で焦っている)状態になることが多いように思います。

でも、それって本当に相手のことに興味を持てていないし、よく知ろうとしていなかったなと。自分との会話を気まずくなく、なんとなく盛り上がっている雰囲気をつくることばかりにやっきになっていて、会話をしている相手を見ていないんじゃないか、と思いました。

そんな会話では、相手に本当の自分は伝わっていないだろうし、相手の個性やその人らしさもちゃんと見えてなかったなと。これからは、ある意味で保身にばかり走っていた自分の「会話に対するスタンス」を見直そうと思います。

自分が理想とする会話のテンポを基準として、会話が途切れている時間を勝手に「沈黙」と判断し、何かしら話さなくてはと適当な話をベラベラと話す…ことをやめる。これからは、話し相手になってくれている人のなかに流れるテンポを感じながら、その人に何を聞いてみようか、どんな話をしてみようかを考えてみる。沈黙を埋めなければという焦りの気持ちではなく、この人とどんな話をしようかという前向きな気持ちで、会話の空間に存在してみる。
こういう状態を「沈黙を味わう」というふうに呼んでみようと思います。

明日から、話し相手になってくれている人に矢印を向けて、沈黙を味わいながら、私とその人の会話を楽しんでみよう、という気持ちで生きていこうと思います。

【明日からの私へ】
沈黙は気まずくない。相手のテンポを感じる時間なのである。(という気持ちで臨みたい)

それでは、ごきげんよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?