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乗馬教室8 三浦友和

サンライズヤマト  三浦友和

三木ホーストレックには30頭かそれ以上のお馬さんがいるんだけど、私はかっこいいお馬を見つけては、職員さんをつかまえて、そのお馬さんの名前を聞いている。中でもいつも目を奪われるのはサンライズヤマトだ。
ヤマトはイケメンで毛色は青鹿毛なんだそう。でも青鹿毛って、見た感じ青くない。黒鹿毛よりも真っ黒に近いように思える。
青鹿毛ならみんなそうなのか、彼だけの特徴なのかどうか知らないが、毛艶がすごいんだ。特にお天気のいい日は、お日様の光が反射してぴかぴか光っていて、びっくりするくらい美しい。そればかりか、ヤマトは歩く姿も凛としていて、威風堂々を絵にかいたようなお馬さんである。おまけに人懐っこくて、愛想がいい。完璧や。
21歳。人間年齢で70歳くらいかなあ。人間でいうと、本当は北大路欣也がぴったしだと思うんだけど、彼はちょっと歳いきすぎてるので、三浦友和あたりがちょうどいいと思う。舘ひろしも好きだけど、ヤマトはあんなふうにしゅっと背が高い元暴走族ジイサンという感じじゃない。和風のぼんぼん顔とあの落ち着きっぷりからいくと、やっぱし三浦友和だわ。

ヤマトの経歴を知りたくて、ネット検索をした。
サンライズヤマトという名前の賃貸物件が出てきた。それも豪華とかおしゃれという感じがしない昭和の集合住宅みたいなものである。
いつの時代も家主さんが新築アパートに名前をつけるとき、明るい部屋のイメージを持つものを考えるだろう。ならば真っ先に思い付くのは、「日の出」だ。昭和の前半ならば日の出荘という名前のアパートはあちこちにあったはず。でも昭和後期になると、家主さんはそういうもっさりした名前ではなく、もっとスマートな名前を求めたんだ。そこで手っ取り早いのはカタカナ表記だ。
日の出をそのまま英語に替えた「サンライズ」は、彼らがすぐに思いつくアパート名だろう。だからと言って、サンライズだけでは名前がポピュラーすぎて、ほかの関係ないものの商品名とかぶってしまう。実際に、サンライズという品種のメロンが売られていたし、西日本ではサンライズという名のメロンパンが出回っていた。アパートの家主さんはメロンパンと間違われないよう、「ヤマト」をつけ足したんだ。
じゃあ、下につけた「ヤマト」はどっから引っ張ってきたのか。ヤマトタケルが浮かんだのか、戦艦ヤマトなのか、ヤマト芋なのか、ヤマト運輸なのかは定かでないけれど、なんでもいい。「サンライズヤマト」はカタカナだし、日当たり良好感もある。昭和後半のアパート名としては上出来だ。
ちなみに、もしその時代のアパートに「モンテクリスエス」なんていう超ハイカラ&意味不明な名前をつけてしまったらどうなる。滑舌の悪い人が言うと、「門で暮らします」みたいに聞こえて、住み込みの管理人募集してるんかと思われてしまうかも。

もう一方で、馬のサンライズヤマトは昭和生まれじゃないけど、馬主さんがもともと昭和の時代からサンライズを持ち馬の冠名に使っていたので、頭にサンライズがつくのは当然だ。その下にヤマトがきたのは、これまたヤマトタケルか、戦艦ヤマトか、ヤマト芋か、ヤマト運輸なのか、私は知らないけれど、「ヤマト」は強いというイメージがあるし、そもそもヤマト=日本ということでオーケー。
要するに私が言いたいのは、「サンライズヤマト」がアパートであっても、馬であっても、古今東西老若男女に親しみやすい良い名前だということ。
彼も引退後はJRAの誘導馬をしていたらしい。やっぱりねえ。誘導馬は現役中の戦績がよかったからといって簡単になれるものではない。ヤマトは美しい馬体と、ほとばしる知性と悠然たる歩行の持ち主なんだから。ほんと、見とれるよ。
私はそんなヤマトに乗せてもらいたくて仕方ないんだ。
でも彼は上級者の練習相手だ。そして私はビギナークラスのA。つまりいちばん下っ端。末席である。乗馬の姿勢もできてないし、「進め、止まれ」すらまともに操れない。
つまり、ヤマトに乗るどころか、眺めるしかないというレベルということ。
がんばって練習しても、今のペースなら、上級クラスに昇進するのに10年かそれ以上かかるだろう。
ここの受講生として在籍できるのは長くて4年だし、仮にルール変更なんかで10年いられるようになったとしても、10年後、31歳のヤマトは完全に引退してるし、ヤマトどころか、私だってどっぷりバアサンだ。乗馬はおろか、自分で車を運転して、三木まで行けるかどうかすら怪しい。
それならばと、こないだレッスンの日ちょっと早めに行って、馬房にいるヤマトに頼んでおくことにした。
ヤマトに話しかけるのは初めてなので敬語を使ってみよう。
「ヤマトさん。サンライズヤマトさん、お休みのところ、失礼します」
するとヤマトはゆっくりこちらに顔を向け、私に近づいてきた。
「今はムリですけど、生まれ変わったらちゃんと上手になりますから、あなたに乗せていただきたいんです。いかがでしょうか」
敬語がよかったのかもしれない。
「分かりました。ではわたしも来世ではまた馬になりましょう。あなたの上達を祈っておきますよ」
そう答えてくれたような気がした。何せ、三浦友和なんだから、ええよとか、いやじゃとかいう言葉使いはありえないのだ。
その時、背後でぶるぶるって音がしたので、振り返ると、筋向いのお部屋の小窓にモンテの大きな顔。
そちらに行った。
「やあ、モンテ。元気してた?」
「さっきから何ぶつぶつ言うてんねん」
「ヤマトに挨拶してた」
「あのジイサンのこと好きなんか」
「うん」
「きっしょ」
「大丈夫。ちゃんとモンテのことも大好きだからね」
「相変わらずちゃらちゃらしとる」
その日のレッスンもモンテだった。「門で暮らします」ではなく、モンテクリスエスだ。
彼はきちんと賢く私の相手をしてくれた。いい日だった。

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