7.「幸福の王子」誰も死なせない
「幸福の王子」誰も死なせない
美しさと凛々しさを兼ね備え、それでいてあどけなさも残す王子は、国中の人気者でしたが、15歳にして流行り病いで死んでしまいました。
民衆の悲しみは半端なものではなく、途方にくれ、仕事もせず、泣き暮していました。
その様子を知った王は、民の心を少しでも立ち直らせることができるものならばと、王子の像を広場の真ん中につくりました。
高い台座の上に立つ美少年の王子像は民衆を元気づけ、やがては人々の心のよりどころとなり、町の誇りとなり、国の繁栄のシンボルとなりました。
ところがその一方で、王子は高いところから町中を見渡すことによって、人々のさまざまな不幸や貧困を知ることになってしまいました。
秋も深まったある日、南の国に行こうとしている一羽のツバメが、王子の足もとで休憩をしていました。
王子は泣きながらそのツバメに、自分が身につけている宝石や体を覆っている金箔を困っている人たちに届けてくれるよう、頼みました。
「僕の剣についているルビーを貧しいマッチ売りの少女のところに運んでおくれ」
「僕は暖かい南の国に行く途中なんです。こんなとこで油を売ってはいられない」
「いやいや。油を売るんじゃない。マッチね。マッチを売っている娘さんだよ」
「王子に話が通じないので、ツバメは仕方なく、王子に言われたとおりマッチ売りの少女にルビーを届けました。
「ありがとう。じゃあ今度は僕の両目を取って、あそこの貧しい親子のところに運んでおくれ。母親が病気なんだ」
王子がツバメにそう言うと、ツバメは2個のサファイアを持って飛んでいきました。
ツバメからサファイアの目をもらったとき、7歳になる息子が言いました。
「ありがとう。これは僕から王子様へのお礼のしるしです」
その手に握られていたのは2個のビー玉でした。
「目がなくなってかわいそうだから、代わりにこのビー玉をはめてあげてください」
王子から匿名の贈り物にしてくれと言われていたツバメは慌てました。
「このサファイアは王子様の目玉なんかじゃない。神様からの贈り物だよ」
すると息子は大笑いしました。
「何言ってるんだよ。僕は毎日広場で王子様のきれいな目を見上げて感動してきたんだ。この宝石があの目玉だってこと、すぐに分かったよ」
病いに臥せっていた母親が涙ぐみながら息子に言いました。
「あのう、お話し中悪いんだけど、おまえの宝物はそれしかないのに、いいのかい。ずっと大切にしていたじゃないか」
「いいんだ。母さんの病気が治るんだったら、ビー玉なんか要らないよ」
幼いながらも優しい息子です。
ツバメは王子のところに戻り、さっそく王子の両眼にビー玉をはめ込みながら言いました。
「サファイアの贈り主の正体があっけなく息子にばれてしまいました」
「あれまあ、そうなの」
ビー玉の目が入ると、王子は嬉しそうに言いました。
「ありがとう。前より良く見えるような気がするよ」
本当は見えていないことをツバメには分かっていましたが、一緒に喜びました。
そして次もツバメは王子の言いつけ通り、王子の体を覆っていた金箔の一部をはがし、画家志望の少年のところに運びました。おかげで彼は絵具とキャンバスを買うことができました。
「ありがとう。まだまだ金箔は残っているから、全部なくなるまでいろんな貧しい人たちのところに運んでおくれ」
「あのね、もう限界です。このままあなたにお付き合いしていたら、僕は凍え死んでしまいます。先に妻と子が南の国に行っていて、僕の到着を待ってるんです。だから僕はここで死ねない。これでお役御免です」
王子は悲しそうな顔をしました。
「でも、ご心配なく。ここから先のお使いは友だちのマガモくんに託します。彼は冬鳥で、こないだ南の国からやってきたところなんです」
そう言い残し、ツバメは飛んでいきました。
早速その翌日マガモがやってきました。
「こんにちは。僕、マガモです。ツバメちゃんから王子様のことを聞きました。なんなりとご用命くださいね」
「助かります。ありがとう」
王子の体から何度も金箔がはぎ取られ、ついには青銅だけの像になってしまいました。
王子の心は満たされましたが、民衆は王子の優しく気高い願いを知らないので、そこらへんの普通レベルの像になってしまった王子像を見て、失望しました。
「ひどいかっこうになってしまったねえ。泥坊の仕業か」
「何にしてもこんなの王子様じゃない」
「この像、高級感なくなったよね」
「はずかしいね。こんなの国のシンボルじゃないよ」
騒ぎは数日で収まり、そのうち誰も見向きもしなくなりました。そして広場の中央にあったみずぼらしい王子像は、隅っこの人目につかない場所に追いやられました。
みんなから見捨てられて30年がたち、銅でできている王子の体中を青さびが覆いつくし、王子像はまるで幽霊のようになってしまいました。気味悪くて、広場を通る人もいなくなってしまったくらいです。
ある日、王子像を撤去することになり、スコップやつるはしを持った3人の土木作業員が像の前にやってきました。するとその周りに大きな人だかりができました。
「なんだかかわいそうな気がするんだよなあ」
そう言って作業にとりかかろうとしたとき、群衆の中から、2人の男の人の叫び声があがりました。
「「ちょっと待ったぁ!!」」
2人は人垣を破って、王子像の正面に飛び出したかと思うと、あっという間に高い台座をよじ登り、クエン酸を染み込ませた布で王子の体をごしごしとこすり始めました。
「おい!何をするんだ!やめろ。おまえたちは何者だ」
現場監督のお役人が怒鳴りました。
「僕は町工場の社長です。王子様を守りにきたんです」
「僕は絵描きです。サビを取って、きれいにしてあげるんだ」
彼らがそう叫ぶと、作業員たちも、
「俺たちもお手伝いしますよ」と言い、布を分けてもらって、ごしごし磨き、協力しました。
5人で丸一日作業をして、王子の体からサビがなくなると、絵描きが3人の作業員に言いました。
「みんな、ありがとう。ここからは僕たち2人がやるからね」
作業員が台座からおりると、彼は足もとに置いていた絵具箱を開けて、筆を出し、金粉の入った絵具を王子像に塗り始めました。
群衆が入れ替わり立ち替わり見守る中、3日後の夕方、王子像は金ぴかになりました。
絵描きは王子の耳元でささやきました。
「金箔を貼ってあげられるほど、僕は裕福にはなっていないけれど、あの時、あなたがくれた金箔のおかげで、絵具を買い、絵を描くことができました。本当にありがとう」
彼はたくさんの絵を描いて、その絵が世間に認められ、有名な画家になっていたのです。
画家が台座から降りてくると、今度は町工場の社長が上がっていきました。
「王子様、僕の母はあなたのおかげで病いを治すことができ、今も元気にしてます。僕はがんばってたくさん働いて、社長になりました。ようやくこれを買うことができたので、さあ、王子様、あの時の僕の宝物は返してもらいますよ」
そう言って、王子の両目にはまっていたビー玉を取り出して、ポケットにしまうと、もう片方のポケットから大粒のサファイアを2つ、大切そうに出してきました。
そして王子の両眼にサファイアが入ったとき、夕暮れだというのに、王子の目は自らまばゆいばかりの紺碧の光を放ちました。集まっていた人々は歓声を上げ、割れんばかりの拍手を送りました。感涙にむせぶ者もいました。
その時、ちょっとケバくて美しい女の人が躍り出て、台座に立つ2人を見上げて叫びました。
「これを王子様の剣につけてくださーい」
掲げられた手のひらには真っ赤に輝く、これまた特大のルビーがありました。
みんなが呆気に取られていると、その女の人は続けました。
「わたしもマッチ売りの少女をしていたとき、王子様に助けられました」
これはあとで聞いた話ですが、
マッチ売りの少女はもらったルビーを元手に、マッチを仕入れないで、お酒をたくさん買って、キャバクラを始めたそうです。必死で働いて店が繁盛し儲かると、彼女は大きなルビーを買いました。でも彼女は自分で高い台座にあがることができなかったので、このチャンスを待っていたのだそうです。
彼女が差し出したルビーが剣のツカに収まったとき、集まっていた人全員が、昔の美しい王子が帰ってきたと言って、さらに大きな拍手をし、抱き合い、喜び合い、号泣しました。
そのあと彼らは踊り狂い、夜更けになってようやく帰っていきました。
残った3人は王子像の前に腰を下ろしました。
「ねえ、あなたたちはルビーもサファイアも金箔も、僕からの贈り物だってこと、知ってたのですか」
王子が突然しゃべりだしたので、3人は驚きました。そしてそのあと、周囲に人がいないのを確かめると、にっこりうなずき合いました。
「そんなの分かるに決まってるでしょ。ツバメくんからルビーをもらった翌日、ここへ確かめに来たら、王子様のルビーが消えてたんだもの」
「そうだよね。僕だって、金箔がどんどんはがされていくのを見て、分かりましたよ」
「僕はツバメさんが持ってきたサファイアを見た瞬間、分かりましたよ」
「王子様のルビーをいただくなんてバチ当たりだと思ったけれど、あたしはあのルビーのおかげで犯罪者にならなくてすんだのよ」
「犯罪者だって?」
王子を含む3人がキャバクラの女将の顔を見ました。
「マッチが売れないで、凍え死にそうになってるとき、お金持ちのおうちでごちそうを食べているところが外から見えたんだわ。だんだん腹が立ってきてね、最後の1本のマッチでその家に放火してやろうかと思ったの。その時ツバメくんがルビーを持って現れたってわけ」
「危ないところでしたね」
「キャバクラに業種替えしてよかったね。こんな人にマッチなんか持たせたら何をするか分からないからねえ」
画家が笑いながらそう言うと、ほかの3人も笑いました。
王子はそのあと神妙な面持ちになり3人に言いました。
「本当にありがとう。でも町にはまだまだ貧しい人がいるのです。僕はまたこの目をくり抜いてその人に差し上げるし、体に塗られた金粉をこそぎ落としてその人に差し上げようと思います。ルビーだって、誰かにあげちゃいますよ」
画家が王子を見上げて言いました。
「王子様は優しいかたですからね」
そして言い聞かせるようにして続けました。
「僕たちはあなたのそのお慈悲に助けられました。でもね、みすぼらしいあなたを見ると、国中の人が悲しく、不幸な気持になるのです。みんなを泣かせてしまってそれでいいのですか」
町工場の社長がさらに言いました。
「あなたが身ぐるみ剥いでカネ目のものを差し出してくださったところで、すべての不幸な人を救いきることなんてできないでしょう」
「僕にはそのくらいのことしかできないから・・・・」
「あなたにはあなたにしかできない大切なお仕事があるんです」
「多くの不幸な人たちを救うための資金調達を僕と画家さんが考えてるんです。仕事をしながら、まもなく王子財団を立ち上げます。お金持ちから寄付を集めて」
マッチ売りの少女が口をはさみました。
「お金持ちって、案外ケチなんだけど」
すると町工場の社長が言いました。
「大丈夫。今回立ち上げる財団は、みんな大好きな王子様という広告塔がいらっしゃるんだ。その財団に寄付をしたとなれば鼻が高いでしょ。お金持ちはステータスを好むからねえ。それに寄付金は経費扱いだから、税金対策になりますよって言えば、おカネを出してくれるはず」
キャバクラの女将はにっこりうなずきましたが、王子は不安げです。
「でも、そんなにうまくいくのでしょうか」
「大丈夫。そこから見ててください。僕たちは絶対に成功させてみせますよ」
町工場の社長がそう言うと、キャバクラの女将も楽しそうに言いました。
「あたしも仲間に入れてよ。資金援助だけでなく、ハローワークを作ったりして職業訓練とかできれば、最高だよね」
今度は画家が王子の目をじっと見て言いました。
「いいですか。あなたは美しい姿でここに立っているだけで、みんなを癒し励まし、元気にできるんです。それはあなたにしかできないことなのだから、あなたはご自分の任務を果たしてくださいね。絶対にみすぼらしい姿になってはいけないのです」
王子も神妙な面持ちで答えました。
「分かりました。じゃあ、僕はずっと王子としてこの広場に立ってみんなを見守ることにしましょう」
「そうです。二度と早まったりしないでくださいね。それから王子様にひとつお尋ねしますけど」
画家が言いました。
「なんですか」
「あなたはほかのみんなともおしゃべりしますか」
「いやあ。それはちょっと遠慮しとこうかと・・・・」
「ですよね。あなたがしゃべるのが分かったら、また騒ぎになりますからね。仕事もしないで王子様を囲んで毎日踊っているかもしれないし、間違いなく観光スポットになるでしょう。海外からもぞろぞろと観光客が来ますよ」
「外貨獲得には貢献するだろうけどね」
「タニマチができて、寄付は山ほど集まると思うよ」
「歌舞伎俳優じゃないんだから」
「あはは。そうだよね。でも確かに接客業は大変なのよ。あたしはいやというほど知ってる。だからお客の相手は避けてあげるべきだわ」
「そうなんだ。それに観光地になると心ない人に落書きされたりスプレーかけられたりするかもしれないしね」
4人がぼそぼそごちゃごちゃ話しているうちに、夜は明け、太陽が昇ってきました。
見上げると、王子像は朝日を浴びてきらきらと輝いています。
「やっぱり王子さまはこうでなくっちゃねえ」
3人は何度もふり返っては王子の姿に目を細め、それぞれの家に帰っていきました。
そのあとすぐ、王子像は広場の真ん中にもどされ、大勢の人が広場に戻ってきました。
それから100年たった今も、王子財団は困窮する人々を救い、王子像は憩いの広場の真ん中で、凛々しくて美しい姿を見せてくれています。
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