家系調査

戸籍簿、除籍簿といったそれまで全く興味のなかった世界に足を踏み入れ、図書館で明智光秀、島原・天草の乱等の資料を集め、家系図を作り……そんな日々が続いていた頃。
まだ見ぬ資料を探すためにも、これはやはり一度島原へ行かねばなるまいと思うようになりました。

その前に、まずこちらにいてできることをしてから出かけようと、あらためて親に話を訊いてみました。
といってもうちの親はのんびりしていて、昔のことはぜんぜん覚えてなくて、しかも先祖や歴史にまったく興味がないためほとんど収穫はありませんでした。


結婚する時に挨拶に行ったという母に聞いた話によれば


1.島原の家にはサムライみたいな人の写真がたくさん飾ってあった。


2.一族の歴史を聞かされて、先祖は武士だと言っていた。
でもくわしいことはぜんぜん覚えてない。


3.島原の実家は開けても開けても襖が続く、映画犬神家の一族に出てくるみたいな大きな屋敷だった。


わかったことはこの三つだけでした。
横溝正史は大好きなので、犬神家云々にちょっとウケました。

私が小学生の時、何気なく父に「うちの先祖は何してた人?」と訊いてみたところ、帰ってきた答えは「さあ、何してたのかな?~ハハハ」というはなはだ頼りにならないものでした。
なので私は現在も先祖調査に関して家族にはまったく協力は求めず、結果も話さず、すべて一人だけでやっています。


頼りない母の話から、なんとなく古そうな家だということだけは想像できました。
ちなみに屋敷が大きいといっても、父の家はお金持ちでもなんでもありません。
田舎の家はどこもだいだい大きなものだし、土地の値段も都会のように高いワケではないし。

あとからわかったことですが、父の祖父は早死にし、その長男(私の祖父)は身体が弱くて働くことができず、さらに戦争があったり、戦後は地主解体令で土地をほとんど失くしてしまったりで、父の母(私の祖母)はとても苦労して子どもたちを育てたそうです。

ということで、とにかく島原へ行かなくてはいけないと気持ちがはやり、梅雨時だったけれども出かけることにしました。それが2010年のことです。


島原へ行く前にわかったこと 


その1.
長崎県史に、先祖が島原で寺子屋を開いていたという記録があったので、島原の教育委員会に問い合わせたところ、郷土史の複写が送られてきました。

それによると

三宅家の先祖は医者をしていた。
江戸時代の先祖に三宅元哉という人がいた。
元哉には二人の息子があり、長男はとても優秀だったのになぜか家を継がず、南有馬村にある実家を出て、同じ島原の北有馬村に分家して医者になった。
その子孫が三宅艮斎。(ミヤケゴンサイ)

元哉の次男もやはり医者になり家を継いだ。
この次男が私の直系先祖で、島原三宅家の本家を継いだ人物になります。

その2.
ちょうどその頃、三宅藤兵衛の子孫と名乗る人が教育委員会に連絡をとっていたことがあったので、教育委員会の方がその方と繋ぎをつけてくださいました。
後に電話でお話して、興味深いことをたくさん
教えていただきました。
三宅藤兵衛は唐津藩に行く前に福岡・黒田藩にいたことがあるらしいとか。


その3.
教育委員会の方は三宅艮斎の直系子孫をご存知なので、その方に連絡をとってくださり、その方の住む長崎市内で対面することになった。

その4.
父の実家の菩提寺と周辺寺院のこと

以前noteに書いた天草代官鈴木重成は、天草・島原の乱の後、戦禍により荒らされた土地の復興のため、人心を慰めることが重要だと考えました。
そこで実兄で僧侶の鈴木正三を呼び寄せ、天草や島原のあちこちに赴かせ、正三は仏教を説く活動をしました。
そして、天草や島原の各地にいくつもの鈴木兄弟
ゆかりの寺院ができることとなりました。
私の家の菩提寺G寺と、そのすぐ隣にあるS寺も、そんな鈴木兄弟ゆかりの寺院だとわかりました。

教育委員会の方やS寺、G寺の方たちは、なぜ三宅家について多少なりともご存知だったのか。
それは、三宅家の本家は戦前に医者を廃業しましたが、分家、親類の者たちらはずっと医者を続け、現在も島原や長崎で医院を開いている人たちが多くいるからだそうです。

島原は過疎化が進む地域なので、昔からずっと続く家で、しかも病院という人が集まる職業に就いているため、三宅家を知る人が多くいるというわけです。

北有馬村の艮斎の実家の直系子孫は、今から2、30年ほど前まで当時島原で一番大きな病院を経営していたそうです。
その頃島原には、入院施設の整った大きな病院というのがその三宅病院一件だけだったので、島原中から患者さんがやって来ていたそうです。そのため三宅一族のことも島原ではよく知られていたようです。

その三宅病院は、院長が跡継ぎを残さないまま急死したため廃院となりましたが、当時のことを覚えている人は今もたくさんいらっしゃいました。

S寺の御住職は「三宅家のご先祖は三宅藤兵衛に間違いありません。代々そう伝え聞いています。」と証言してくださいました。
S寺になにか三宅家に関する資料といったものが
のこされているわけではありませんが、代々の住職に確かに伝わる話だそうです。

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