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不登校になってから登校できるようになるまで(7年間)

僕が不登校になってから登校できるまでの流れを書いていきます

誰かの役に立てれば嬉しいです


■不登校0〜6ヶ月目、小3


親も先生も不登校対応の経験が全くない、不登校になった理由もわからず解決する方法がわからない状態

自分は学校に行きたいけどなぜか玄関から動けなくなる

登校しようとすると、お腹が痛くなりトイレにこもる

登校できるように全ての準備を終わらせても、何故か行けない。

玄関で靴を履くために座ったらそこから立てなくなる。

行くか休むか何時間も迷う、遅刻しない時間に玄関で靴を履けても他の子が下校するまで悩み続けることがしょっちゅうあった。

最初の半年くらいは母親も父親も行けないことを怒っていた。

たまに学校に行けた日は、意外と楽しめたが、なぜか次の日からまた行けなくなる。(無意識に疲れてた)

学校と家、両方で疲れて休む時がなくなってしまった。

午前中は腹痛、母親と口論。

夜は父親が帰ってきてまた喧嘩。

家と学校、両方辛くてどんどんやれることが減っていく。

風呂に入る、外に出る、笑うことが減り、生活リズムが狂い出す


夜、父親と会うのが嫌で食事を取らなくなることも増える。

あとなぜか好き嫌いが物凄く増えた。

少し経ち、母親が若干不登校に理解し始める、カウンセリングとかも多分この時くらいから行き始める。

知能テストを受けた。

知能(IQ)に凹凸があること(30以上)を知る

知覚推理127
言語理解95
処理速度113
ワーキングメモリー97

高機能自閉症(アスペ)だと言われる。

それから母親の対応が変わる、ほんとに早い段階で変わってくれて助かった。

父親は相変わらず変化なし。

母親との喧嘩は減ったけど父親とは喧嘩する。

■不登校1年経過、小4


保健室登校に給食だけ食べに行ったりする。

母親と回復した元気を父親が消していく毎日。

時間がかかりすぎてる、そんなんだから行けないんだと父親が怒ることが多かった。

その度に時間をかけて回復した元気が消えるため、父が邪魔することにより余計に時間がかかる。

■不登校2〜3年経過、小5.6


PCのオンラインゲームを始めて居場所を見つける。

学校、家に居場所がなくてゲームが居場所。

自分の部屋から出ることが極端に減る

この頃は父親が嫌いすぎて足音がするだけで休まらない、父親が自分の後ろを通るだけで体が緊張してた

PCのオンラインゲームで色んな人とコミュニケーションを取って会話とかがスムーズにできるようになる

コミュ力の高いニートのおじさん

自営業のおじさん

大学生、高校生、中学生、小学生

本当に色んな人がいた、不登校もいた。

ほとんど毎日ゲームをして寝るだけの日々

3ヶ月くらい自分の部屋にコーンフレークを置き朝食は全部それ

毎日12時間以上ゲーム、トイレ、食事以外はほぼ部屋から出ない。

風呂も2週間に1回くらいしか入ってなかった。

PCやゲームを父親に取り上げられること数回、好きなこと居場所を取られても残るのは家と学校。

勿論、学校に行けるようになるわけでもないし

ここで学校に行くと嫌いな父親がゲームを取り上げてよかったと勘違いするかもしれないから意地でも登校しなかった。

登校できないから登校を絶対しないに変化

身体中に蕁麻疹が出たり、悲しくない時になぜか涙が出たり、メンタルだけじゃなく体がボロボロになった

この頃にやってた不登校を無理やり部屋から出す地上波の番組を父親が見て父親の対応が悪化。

無理やり部屋に入ってきてその番組を見させられたりした。

父親からのストレスを、父親、母親、妹にぶつけまくる、そのせいで父親が怒りまたイライラをぶつける悪循環。

壁を蹴って穴を開けたり椅子をぶん投げたり引き出しを全部部屋中に投げ飛ばしたり

ソファーの背もたれを投げたりして部屋中をめちゃくちゃにしてた。

この時、イライラを物にぶつけないで溜めたりしてたら家族が今生きてたかわからない。

実際、気がついたら包丁持って父親が寝てる部屋で立ってたことがある

僕がいつも言ってる家族関係を悪化させないように、家族関係が1番大切だと言ってるのはこれが理由。

11〜12歳くらいの小学生でこうなるんだから、もし中学生くらいでこれくらい悪化した家族だったら本当に危ない。

子供を無理やりコントロールしたら、できなくなるほど成長した時が危ないし絶対にやめた方がいい。

何人ものカウンセラーの所へ行ったりしたが、ほとんど何も変わらなかった。

だけど1人だけ、物凄い変化をさせてくれた先生と出会う

普通のカウンセラーは悩みを聞くだけでなんの変化もなかったが、この先生だけは具体的なアドバイスをくれた

最初に驚いたのが父親を責めたこと、父親に変化が必要なことを話していた。

そして次に驚いたのが僕に向かって、君は発達障害じゃないと言ったこと。

自分のことを高機能自閉症だと思っていたけど、高機能自閉症の特徴に似てはいるけど違うと言われた。

そしてゲームの時間を減らした方がいいとは言われたが、ゲームをやめるんじゃなく代わりの時間を作って結果的にゲームの時間を減らそうと提案してくれた

その時にKindleで本を読んだりブログを書いたりしてみるのをオススメしてくれた

それから父親がすぐに端末を買ってくれた、対応は悪かったけど自分なりに解決しようとしてはいたんだと思う。

それからKindleUnlimitedというサービスに入って、そのサービスで読める本を読みまくった

1日10時間くらい読書してた

ブログは書き始めたけど、途中でやめてしまった。

あの先生と父親が会って、相当対応が変わった。

無理やり何かをさせてくることが減ったし、理解できなくても理解しようと頑張ってくれた。


■不登校4〜7年、中学123


この頃からようやく元気が回復し始めた、遠すぎる回り道をしてから前に進み出した。

だけど中学の教室へは最初の数日しか登校できなかった。

この頃もまだ父親と衝突があったりしたけど、それでも小学生の頃に比べたら無いも同然。

そんなこんなで3年たち

中学3年の本当に最後から高校、学校のことを考えられるようになって

勉強なんてほぼできないでも入れる通信制高校に入学して登校できるようになった。

ただ学歴では完全に他の人達と比べて負けてるから、少しでも他のスキルを伸ばそうと頑張り始めて

Twitterとブログを書き始めたんだ

こんな長い文章を読んでくれてありがとうございます。

大した人生経験もスキルもないし、Twitterやブログ、noteで発信していいのか悩んでいたこともあったんですけど

短い人生振り返ってみたら思ったより波乱万丈でした、ここに書ききれないくらい修羅場もあるんですけど、それはまた今度書きます。

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